2015/02/16

お散歩

0 Comments




2015/02/11

2015/02/10

洗足池散歩

0 Comments




2015/02/09

花撮影会

0 Comments





2015/02/08

2015/02/07

アンサー:2012年との心身の違い

0 Comments















「2012年頃と今では、どんな感じですか?
体調のアップダウン」と、

お客さまからご質問をいただきました!
ありがとうございます。

(写真は2012年@阪急うめだ本店さま)

 *

これはお仕事が止まり気味になることと
深く関係しているので、

状況をご説明する方が良いな
と思ったので、

ちょっとがんばって
公に書いてみようと思います。

 *

ただ文字なのと、

身体優位な人と、
意識優位な人では、
ぼんやりした説明はコチラ

本当に
「言葉の伝わり方がまったく違う」場合がある、

目の前で観てもらっても
「理解にものすごい差が出る」ということを

最近自分が去年今年と、
身体優位を経験しながら驚いているので、

わたしと会って質疑応答を交えて
対話をするまでは、

誤解の起りやすいことが
「多々ある」という前提で、

「勘違いして読んでいるかも?」という

疑問を持ちつつ、
読んでいただけたらうれしいなと思っています。

そういう前提で、
書かせていただきます。

 *

まず、

2012年との状態から言うと、
かなり違っています。

身体的には体重が落ちています。

ただし血液検査を観ても、
至って健康体です。

そして
運動能力は多少ですが上がっています。

また、

お散歩が日課になってきているのと
身体を動かすようにしているので、

筋肉がついてきています。

 *

意識的言うと、

一旦閉じた感覚が、
一気にまた開いてしまっていて、

色んなものを感じやすくなっています。

ストレス耐性が弱く?なっている。
というのが

比較的
解りやすい説明になると思うのですが、

ストレス耐性自体は、

一応リクルートでしばらく働けたこともあり
元々高めなので、

それでも元々弱い人よりは強いため、
ここも…説明が難しいです。

以前よりかなり低くなっている…
というのが実感値です。

 *

今までは意識だけで拾っていた情報を
身体も拾ってくるので、

(例えば、今までなら

光が強いな温度が高いな、
という情報だけだとしたら、

暑いな、少し毛穴が開いてきてるな
みたいに情報が増えるイメージです)

基本的には、

同じ状況の中に居ても、
情報が倍かそれ以上になっている状態です。

まだそれを精査して
削ぎ落とすのが難しいので、

慣れた場所以外、
安心感のある人の側以外だと、

単純に情報量が増えて、
若干破綻しやすい状況かなあ…とみています。

お友達と一緒に出かけるなどだと、

例えば迷子にならないように
外側を観ることを一切止めるなどして、

情報を減らせるので
一人で居るよりキープしやすくなったりはします。

 *

これは実際にあったのですが、

年末お友達とリラックスしていた後に、
ショックを受ける出来事がありました。

その状況が心に深く入ってしまって
自分が壊れてしまったのです。

翌日には途中で意識が飛んで、

丸一日は記憶が身体に居る自分と、
意識だけの自分とで分散してしまって、

現実感が崩壊し、
記憶が途切れ途切れになりました。

わたし個人はひとつの時間軸に居たのですが、
親の話と一致しない部分がいくつもあり、

現実感が混乱したことは明らかです。

 *

またパンクしやすくて、

これは昨年の入院中に
専門家から言われたのですが

「あなたは普段
感受性を周囲に合わせてしまっていて

殆ど日常で表現していない」

という
指摘を受けています。

「普段はそれを知織化することで
現実とのバランスを取っているけれど、

それが保ちきれなくて破綻した時に
外側からみると病気との区別がつけないだろう」と。

 *

そのためアウトプット量を増やすなど
工夫をしているのですが、

指の動く速度の限界とか、

身体優位の世界を言語化することの難しさなど
諸々追いつけなくて、

お散歩に、
フラメンコのレッスン再開他、

運動から発散可能な感情的なものもあるので、
そこを追加しつつ、

個人的なアクセサリー制作や
抽象画への取り組み、

日常のアウトプットを
文字だけでなくイラストでもやるなどを、

感受性のアウトプット先として
表現をどんどん増やしているのですが、

まだアンバランスで
昇華しきれない状態が続いています。

 *

2012年までは、
割と現実が映画を観ているような感じで、

平面的であり、
物語を観ているような実感値だった?のですが、

2013年の後半から徐々に感覚が変化し、

2014年は、

自分の筋肉で身体を動かしている感覚が
時折顔を出すようになり、

外側から入ってくる?エネルギーで
身体が動いているのとは違う、

鈍い動きが
身体に現れるようになりました。

また、

自分の意思とは全く関係のない意識による
身体のコントロール?

(これは説明が本当に誤解をはらみやすく
極めて言語表現が難しいです)

が起こりやすくなり、
その解除と対処に相当苦労しています。

最近は場所を選んでいるので、
それによる破綻は起らずに済んでいますが、

去年は夏と年末にやっているので、
注意をしています。

 *

これまでに比べると
比較的身体と連動率が高いので、

ストレスが身体に表現されやすく。

コンディションダウンも
起りやすくはなっています。

ただし体力もつけようとしているため、

ダウンしていても、

2008年頃のような
倒れ込んで動けなくなるようなものは

消えています。

 *

これは2013年にもあって、

あの頃は
販売イベント中に背中とお腹に

一斉に湿疹が出てしまい、

大阪で皮膚科を探して

数日だけですが
ステロイド剤の治療をした位でした。

とは言え最近は、
ほんのちょっとしたことで

湿疹が出たり
熱が出たりしやすい状態です。

熱は
2012年頃に比べると出難くなりましたが、

湿疹はどうも増えています。

 *

栄養バランスは
基本取れているのですが、

入っているエネルギーそのものを食べている
側面?があって、

その辺は必要量を接種するのが
多少難しいことも多いです。

 *

身体に対する情報も
かなり緻密に読める状況ではあって、

例えば血液検査があったら、
結果が出る前に

鉄分とビタミンBが飲みたいです!
のように言えたりして、

結果が出てから
主治医と答え合わせをしたら、

「確かに数値がそこだけ若干落ちていますね」
みたいなことは現実に起っています。

とにかく情報が多く取れ過ぎていて、

慣れていないので
無視しきれないため、

パンクしやすく。

現実感覚をキープするのに、

人と会っておしゃべりをしたりすることが
大事になっています。

 *

メールは、

実はかなりエネルギーを読み込んで
コンテクストを読んでいるため、

今は内容問わず負担の大きいことが多く、
避け気味になっています。

大量の人ごみに居るような体感を伴って
目が回ってくることが多く、

ちょっと意識の置き所を悩んでいます。

もうしばらくは
調整期間としてコダマの助けを借りながら、

都度対応でやらせていただくかと思います。

 *

良い意味で言うと、
身体意識が上がってきていることで

「ああ!みんなそういう意味で言ってたのか!」
みたいな理解の進むことが増えており、

意味の分かることが増えています。

逆に、
自分が自由に書いた過去の文章に対して

判り難いなあ…と
頻繁に感じるようになっていたり、

かなりの意識変化になっています。

 *

この辺は、
一ヶ月前と一ヶ月後の変化なので、

結構インパクトも強く、
かなり目が回る感じです。

 *

多分、体力は以前よりついています。

違うというのは

バランスが根底から変わったこと
によって起っていると思います。

 *

この位で、
多少はご説明になったでしょうか。

わたし自身も変化の過渡期で
言葉になり切っていなくて

それもあってパンクしやすいのもあります。

でも可能な限りとは思っていますので、
またいつでもご質問くださいね!



2015/02/06

気持ちの整理をする方法

0 Comments



















自分の中に在る誤摩化しみたいなものと、

じっくり向き合っています。

言葉にするのが難しくて。

天然石のビーズを並べてみています。

 *


心のままを色とカタチに置き換える作業です。


「気持ちの整理」と

多くの人が呼ぶことを、

わたしはこうやって

作ることの中に持ち込みます。

 *

まだ、相当苦しいです。

 *



1/31:その時の気持ちをカタチと色で観て、吐きそうになりました。

1/31:これは悪くないと頭が判断したので却下。小手先だなと。幻滅です。

2/1:これなら少しは素直だろうか?と。

2/5:これは悪くないのか?と思ったけれど誤摩化したなと感じました。

2/5:お風呂で泣いた後に、ああ、これならと感じた並び。今はこの違和感がある、という状態そのものが素直さなのだという納得です。

2/5:これなら組み上げられるかなと感じています。これはわたしの中ですごく大切なことなので、もうしばらく眺めてみようと思います。

2015/02/05

自分とは別の生き方を求められたら?

0 Comments



















身体には明らかに
機能としての性別があるけれど、

意識には性別というよりは

「(その人)ぽさ」があるだけかな?
と感じます。

 *

それは、

「らしさ」という程
個別に確立はされていなくて、

もうちょっと
身体に触れた温度が
心地よいかどうかを判断するみたいな、

ちょっとした笑いのツボの違いみたいな、
そういうことを言おうとしています。

 *

新生児室に行った時に、
そこには性別を感じませんでした。

きっとおくるみをはがしたら
身体の男女差は判ったと思うのですが、

意識として観ていると、
とってもフラットで。

もう外側に気がついている子が居たり、
そうではなくて身体の中に眠り落ちている子も居たり。

 *

わたしは、

「雄々しく生きろ」と
祖父に意識教育を受けた母親に、

「男の子っぽさ」=「いいこと」として
育てられたのですが、

わたしの「ぽさ」は、
女の子寄り。

それでもお茶碗や枕カバーは
「マジンガーZ」だったので、

それなりに複雑な心境だったのではないかな?
とは思えてしまいます。

当時描いている絵で、
印象深いのは、

大きなヒヨコの頭に
大きな水玉リボン。

みたいなのがあるので、

既に周囲に合わせていた可能性もあります(笑)。

難しいことじゃなくて、

自分の手を出したものに対して、

親の反応が
大きい方ということだったんじゃないかな?

と分析します(笑)。

 *

ひらひらを着たくて仕方なかったし、
髪の毛を伸ばしてリボンがしたかったタイプです。

 *

こないだフラメンコのレッスンへ行った後。

電車でもバスでも、
泣けて泣けて仕方なくて。

そこには自分の中に居る「女性」が
やっと立ち上がってきたイメージがありました。

 *

幼少から繰り返して観ていた怖い夢があって。

それは、

真っ赤なワンピースドレスに
真っ赤な赤い帽子を被っている黒い長髪の女性で。

その人は
中空に浮かぶコンクリートローラーに

音もなく吸い込まれるように潰されていく、
というものでした。

この夢は2007年の入院中にも観ていて。

わたしは当時、

そろそろわたしは赤いドレスを
「自分に着せてあげる必要がある」のではないか?

と思いました。

 *

GAP で赤いワンピースを買ったのですが。

もうGAP で買っている辺で
全然ダメだったのですよね(笑)。

それはわたしの中の「女性」を
満足させることは難しかったのだと思います。

そして、
それは親からも不評を買い(笑)、

結局若い女の子へのプレゼントになりました。

 *

その日わたしは、
中級者の方と一緒のレッスンだったのですが、

彼女達は既にレッスン用の
スカートを履いて良いことになっていました。

それがすごくうらやましくて。
上手くなってきたらあのスカートがはけるんだ!

と思ったらすごくトキメクのです。

そして発表会の時には、
衣装が身に着けられます。

それは親が絶対に許してくれなかった、
ひらひらのドレスです。

 *

身体を鍛えていって、
社会でやっていけるように心身を作り直すこと。

それは今のわたしの、
お仕事みたいなものです。

フラメンコを踊れるようになるのは
一体何時なのかな?

と思うのですが。

セビジャーナスは
2年もしたら少しは踊れるようになるだろうか?と。

4年後か5年後には、

スペインに移住する夢を持っている
お友達の家に長期滞在して、

春祭りでセビジャーナスを一緒に踊りたい。

そういう目標を掲げてみました。

 *

身体をやわらかくすることも
筋肉を作ることも、殆どこれから(笑)。

身体を感じながら楽しみながらやりたいです。

 *

フラメンコのレッスン後に感じた涙は、

この映像を観て泣いた時の気持ちが
とても似ていると思います。

「女の子みたいに走ってみて?」

そう言われたら、
みんなどうしたと思いますか…?

その言葉を聴いたあなたは、
あなたが男性であっても女性であっても、

一体何をイメージするでしょうか?

実際の「少女」がそれを聴いて行った行動を観て、
あなたは何を感じるでしょうか。


2015/02/03

幸せになるプロセス

0 Comments



















わたしが、悪いから。
いけないからだ。

と、思いやすかったのだと思うのです。

でも、違うこともありますよね。

 *

レデントーレのネックレスが
自分のものとなってから、

びっくりするようなことが次々起っています。

うれしいことに
ふわーっと意識があがり、

数日をハイテンションで楽しみ(笑)。

あがったところから観たら、
あんなところにこんなものが!と気がついて、

振り子の反対側へ
見えているので安心して飛び込めました(笑)。

そしてこれまで向き合えなかった
自分と向き合うことも出来た。

その後、
心の中にひっかかっていたことが次々と解消へ。

元・スタッフからもプレゼントが届くし、
そこでご褒美だわ〜!と思っていたら、

昨日なんて
フラメンコのレッスン再開だけでも幸せなのに、

更に棚ぼた!

何がどうなったのか判らない位でした(笑)。

 *

自分が越えたいことがあるから、
その反対側に光が見える。

見えた光と、
今ある暗闇の間に安定がある。

 *

わたしにとって、
ここでいう「安定」は幸せのひとつです。

それは身体の感覚で言うなら、
軸が通って安定しているということ。

ブレズに居るということ。

 *

心のアップダウンは、
心の感じやすさと比例します。

それをわたしのように
表に晒す人は珍しいと思います。

わたしの場合、それ、お仕事なので
させていただいている部分が多いです(笑)。

昔はきれいに隠していました(笑)。

殆ど誰にも気がつかれない位、
隠すのが上手かったので、

リクルートの人事の方から
「さやかはポーカーフェイスだからな…」

と言われた事さえあります(笑)。

 *

振り切れる幅は、

その人の「懐の深さ」という言葉で
表現されることが多いと思います。

それは
人を優しく見つめる力の元になる。

それは他者の理解のために
必要なことのひとつかなと思うからです。

でもひとつボタンを掛け違えると
その心の感じやすさは、

傷つきやすさと結びついて、

自分を責めたり
他者を責める

材料になってしまうかも知れないのです。

 *

わたしが悪いからだ。

わたしの思いの奥には、
そういう言葉がよく流れていました。

もうおかしな位ループしていました。

いつでも思っていたのは、

「今のはわたしの何が悪かったんだろう?」
です。

 *

でも。

そのループも
とうとうおしまいに出来ました。

自分のために、

誠実に、正直に、素直に、
生きられるようになって良かった!

と思いました。

もちろんそうしてきたつもりなのだけど、

自分が自分に対して
知らぬ間についた嘘もありました。

両親に認められたくて、
恋人に認められたくて、

知らないうちについた嘘。

 *

嘘によって失った最大の現実は、
子どもが産めなかったこと(笑)。

わたしは自分が
そんなに子どもが欲しかったなんて、

もう安全に生むのは難しいよ、と
身体から声がするまで気がつかなかった。

そういうものもあります。

 *

でも、

気がついて素直に正直に在ろうと
自分自身を見つめてきた結果、

わたしは自分が、

こんなに好きで大切に思える
お仕事を産み出せたんだ!

ということや、
そういう素直にやっている不器用なわたしを

「いいね」と思ってくれる
一生ものの得難いお友達を、

大分沢山(笑)!
得ています。