2014/01/31

どうかよろしくお願いします

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徳永自身が掲げた
「目標を達成させたい」のです。

ご協力をお願いしても良いでしょうか?

 *

去年1年とても悩んで、
今まで避けて来たことでもあったのですが、

なんかわたしはやっぱり、

Holly heal を通して関わってくださる
みなさんには、

舞台裏と呼ばれる背後にあるものも

ちゃんとこれまで通り
共有したい気持ちなのです。

 *

それはこれまで通りの
わたしの成長物語でもあるし、

それが
沢山の方の勇気や涙になって

時にお役に立てていることを、

少なからずメールやお手紙で
聴かせていただいて来たことが、

わたし自身の
モチベーションにも

繋がって来ているからなのです。

 *

事の経緯を
お話しさせてください。

 *

事業計画書を書いた時に

「10年後の数字」と
「3年後までの数字」を作りました。

コンサルタントの方にサポートしていただいて、

それはもう、
目からウロコの作業でした。

 *

こうやって、未来を数値化するんだ!ということ。

そして基本的にその数字は
「関わってくださる方の笑顔のために」なんだなあ…

ということに
驚きと喜びを覚えたのです。

 *

これまでわたしは、

Holly heal のお仕事の中に、
数字を持ち込むことを殆どしてきませんでした。

特にスタッフさんについては
言いませんでした。

 *

何故か?

「数字」と思った瞬間に、
「数字を追い掛けてしまう人が多い」のを知っていたし、

相手の笑顔に差別化をしてしまうように
なりやすかったからです。

自分の数字に関わる人にはより手厚く、
みたいなことが起こってしまいやすいからです。

これはHolly heal のやりたいことから考えると、
ものすごく間違っているからです。

 *

だけど、数字はとっても大事です。

例えばわたしは、

2007年の終わりに
Holly heal を再開した時に

「毎月必ず3つ」と決めて、
オーダーをいただくように

それはそれは努力をしていました。

 *

再開した当初は
Blog もありませんでしたし、

誰も知らなかったのですから、
自分で営業するしか在りません。

3つに満たない時は、
お友達にメールやら電話やらをどんどんして

「今月あと2つ作れるので、誰か居たら紹介して欲しいの」
とお願いもしました。

最初は断わられるのも怖かったですし
病状も深刻だったので、

相当勇気が要りました。

それでも病院へ通う必要があったから
死活問題でしたし、

自分で決めた
「月に3つなら今のわたしにでも作れる」ということを

ちゃんと達成したかったのです。

 *

その後お客さまのご要望で
恐る恐るBlog を開始し、

Blog を始めたことで、

自分のお友達とは全く違うルートの方が
少しずつ買ってくださるようになりました。

未だに覚えています!
最初のお客さまは山梨の方でした。

本当にものすごくうれしかったのを
今でもハッキリ思い出せる程です。

 *

どうやったら見知らぬ方に信頼していただけるか?
を考えて、

毎日Blog を書くことに決めて、
毎日毎日書いていました。

当時の記事もここのアーカイブに入っています。

それを読んでくださっていた彼女は
「信頼出来る気がすると思った」と、

オーダーをしてくださったのです。

 *

月3万円の状態では、
当然投資出来る予算もありません。

当時このBlog は、

Blogger の初期フォーマットを
自分なりに色を変えたりしただけのものでした。

そんな中で
こういう小さな小さな試みが「2年半続いた」後、

わたしは雑誌に載せていただくチャンスを
いただけることになったのです。

そこで最初の流れが変わりました。

お客さまが全国へ広がり、
その月のオーダーは一気に50件になりました。

Holly heal は
求めていただいていたものだったのです。

ただ、
本当に、知られていなかったのです。

 *

そうしてわたしは、
最初のパンクをしました。

メールの応対で毎日が終わってしまって、
全く作れない日々が続き、

メールをサポートしてくださる方を置く、
という新しいことを始めました。

これは心底怖かったです。

 *

何故怖かったか?

自分が
どれ程丁寧に、

どれ程ありがたいと思って、

お客さまに一通一通
メールをして来たか知っていましたし、

その感謝と感動は、

なかなか人には理解し難い筈なのも
気がついていたからです。

そしてそれは

直接お客さまに届く「唯一の手段」であり、

それだけで当時の
Holly heal は

全ての活動を行っていたからです。

 *

どうやったら大切な方々なのだという
その想いが伝わるのか、

再現してもらえるようになるのか?

これまた試行錯誤でした。

それがやっとカタチになって来たのは、
前任者の青木が関わってくれるようになってからです。

彼女の「仕事を覚えたい」にわたし自身が
しっかりとコミットをして、

時間を相当に割き
学んでもらうことが始まった後、

少しずつ関わりの中で
「何が大事なのか」が浸透し始め、

カタチとしてメールに表れるようになりました。

これはもう、
本当にありがたかったです。

 *

そして徳永にバトンタッチです。

彼女は成長意欲がとてもあって、
Holly heal のお客さまでもあります。

自分自身と向き合うことの大切さ、

何かに気づいて、変わっていくこと、
(それなりにショックだったり怖かったりはする筈です)

に自分自身がしっかりコミット出来る
強さと柔軟さを持っています。

彼女は1年で相当がんばり、
飛躍しています。

 *

わたし自身は去年、
Holly heal 自体は休養中だったとは言え、

Blog は極力書こうと思っていましたし、

経営のために必要な
かなりの量の勉強もしていました。

 *

時間的な余裕は減っていましたが
徳永は大阪ですし、

2月に1度は会いに行くことに決めて、
出来る限り会うようにしました。

実際には見えない中で、
彼女の情動をメールの文面から読み取るようにし、

可能な限りのフォローも試みました。

見えない分伝えることも大切なので、
青木以上にメールの回数を増やし、

何故そうする必要があるのか、
何が今おかしいのか、

Holly heal では何が正解なのか、
などを伝えさせていただくようにしてきました。

 *

病後6年。

やっと人並みに生活が戻り、
わたしが「楽しかった仕事」のスタイルが戻って来て

その頃の友達とまた同じように、

その当時以上に成長させていただいた自分として
おしゃべりも出来るようになってきた時。

ホッとしたこともありました。

これまでの
必死さから一歩やっと引くことが出来て、

そして燃え尽き現象が起こりました。

 *

収入の基本はストップしていましたが、
彼女へのお支払いは当然あります。

それは本人の希望があって
クリスタルの支給というカタチで行いますが、

時間と労力を計算すれば、

金額的には
単にクリスタルの値段だけではありませんから

値段以上に
かかっているのも事実です。

徳永のすごいところは、

こういうところに
気づく力が在ることだと思います。

 *

お仕事の中身は

これまでのオーダーのやり取りで行われていた
ルーチンワークから、

フレキシブルな状況対応型へと変化していますし
その中で彼女自身が、

「Holly heal」の正解を
出し続けられるようになって来たのには

ものすごい努力を感じます。

最初から出来た訳ではありません。
ひとつひとつ地道に積上げてくれました。

関わりが半年を過ぎ、

「自分の出来ることをやろう」
という意識がしっかり的を得て来てからは、

本当に助かるようになりました。

 *

その徳永が、

「パーソナルストーン・オーダー」を
もっと紹介したいです!

と言ってくれたのが、
確か年末のことだったように思います。

クリスタルがどれ程面白いか、
笑顔の基盤になりうるか、

それによって
自分自身や
彼女の家族が変わっていったかも

彼女は体験を通して知っています。

そして徳永は更に、

わたしが本当に楽しく、
クリスタルを選んでいるのを

ある時の電話口で
どうやら感じ取ってくれたようなのでした。

笑顔の連鎖を
彼女自身が発見した、

最初の出来事でした。

 *

Holly heal でというか、

わたし自身が常に
お仕事をさせていただく上で観ていることは

非常にシンプルなことです。

「関わる人、
全てが笑顔になるにはどうしたらいいか?」

ということです。

これは後に

近江商人の「三方よし」という言葉が
既に存在していることを知り、

基本なのだなあと感じ入るに至ります。

 *

お客さまから 「いいお仕事ですね、続けてください」

と、聴かせていただくようになった頃。

まだわたしのコンディションも相当に崩れやすく
病状も不安定な時期でした。

でも、この感動は本当に大きかったです。

何人もの方からそういうメールをいただいて、
わたしは続けるための模索を始めました。

そういう流れの中で、
徳永はジョインしてくれています。

 *

お仕事としての永続性を持つためには、
数字をしっかり見つめることが大事です。

その「数字」は金額ではなくて、

お客さまの

笑顔であり
喜びであり、

それは同時に、

わたし達の
笑顔であり喜びでもあります。

 *

数値化して
それを追い掛けるのはいけないこと、

相手を嫌な気持ちにさせること、と

日本人は
特に思いがちだと言います。

おそらくユダヤの人以外には、

「教育」の中に
「お金を稼ぐことを肯定するもの」がないので、

取り組むのが難しくなりやすいのではないか?
思うのですが、

目標達成は、
「自分に自信を持つこと」にも繋がります。

 *

わたしはお医者さまからも

「もう元には戻らないかもしれない」
と言われた後、

最初は「今、出来ていること」に
自分が気がついていられるように、

毎日手帳に
「今日もちゃんと薬が飲めた」と

飲んだ時間を記述するところから始めました。

親から
病院代をもう払えないと言われた後は、

毎月3つを
必死にやり続けることで、

自尊心を保つことと、
社会との接点を繋ぎ続けることが出来ました。

「3つ」を達成し続けることによって
「出来ている」を積上げていったのです。

 *

人は数値化して初めて、

物事を明確に
「達成出来るようになる」のです。

 *

スケジュールを組むのも同じことです。

これは期日を切るからこそ約束が出来るし、

約束が出来るから、
守ることが出来るようになるのです。

それは信頼へと繋がります。

 *

5月から弊社は11期に入ります。

会社は休眠中もゼロ円決算を続けていたので、
期だけは立派にかせいでいます(笑)。

初めて「続けてください」と言っていただいてから
多分、3年と少しです。

色々試したのですが、

わたしは会社勤めより、
自分でやる方が向いていました。

独身の上病気もあるし、
両親は当然高齢。

両親はフリーランサーでしたから、
年金も小さな金額ですし、

うちは資産家でもありません。

続けるためには、

事業として成立させることが急務なのは
実感としてありました。

 *

会社員として、
フリーランサーとして、
1人有限会社として、

がんばった頃…
わたしはとっても辛かったです。

でも、ある意味
選択の余地がない中で、

チームホリーヒールが自然発生し
「みんなとやる」を体験すると、

それはわたしにとって
夢のように楽しいことでした。

経営の勉強が必要なのはすぐに解りましたから、
教えてくれる方を探していました。

本で学ぶのは
正直、限界があると思っていました。

年齢のことや生活のこともありました。
速く立て直すことは優先順位が高かった。

「本当に理解されている方」から
直接学ぶことは大事です。

その時に

自分が理解をしていく
スピード感と理解の深さは、

やはり圧倒的な差なのです。

 *

3年かけて先生を見つけたのがやっと去年。

そこで学びながら、
やっと自分として納得のいく、

続けるための
「考え方」や「やり方」が観えてきたのが、

この年末年始です。

 *

話が長くなりました。

 *

そうしてわたし自身が
「今後3年間の数字」を「表」として持った時。

わたしは自分への宣言として
それを徳永に共有しました。

その返信に彼女は、

1月は
パーソナルストーン・オーダー1個以上

を自分の目標として

自発的に、
書き換えて送ってくれたのです。

 *

わたしが
どれ程うれしかったか!

これは部下を育てたことのある人や、
子育て中のお母さんには、

理解していただけると思います。

 *

お客さまのフォローをするのと、

お客さまへのフォローをするのとでは、
違います。

前者はお客さまからいただくものへの
フォローであり、対応であり返信です。

後者は、

お客さまのお気持ちを想定した上での
ご提案です。営業でありサービスになります。

これは大きな違いですし、

前提として学ぶ必要のある要素も
かなり変わってきます。

 *

「お客さまのことを考える」

それは
わたしにもまだまだ難しいことです。

でも徳永が自発的に
そこに目標を掲げてくれたのです。

 *

しばらくオーダーを
止めさせていただいたこと。

リニューアルのローンチが
様々な理由から遅れてしまい、

お客さまへの約束が守れなかったこと。

しかもメニュー変更を
しっかりご説明する余裕もまだとれておらず、

お客さまからの声のご紹介も

バランスペンダントの
アンケート結果をお知らせするので精一杯の今、

オーダーひとつをいただくのは
とっても難しいことです。

彼女には、

「わたしがどう言ったら欲しくなる?」
と聴きました。

 *

やってみても、動きがありません。

改善を考えてもらいました。

条件も上記に記したように、
良いとは決して言えない中です。

そして
最初はなかなか上手くは行きません。

当然です。

 *

でも、
最初のひとつをクリア出来るかどうかは、

そこをがんばりきるかどうかは、
本当に本当に大事なことです。

最初から上手くいかなくて当り前ですが、

最初から最善を尽くすことは
もっと大事なことです。

 *

そんな中、
彼女は38度越えの熱。

お家では
受験生を抱えるお母さんでもあります。

Holly heal 以外にも、

大好きなインコのお仕事のお手伝いと、
歯科でのお仕事もしています。

それでも昨日はがんばって
お客さまへメールを出しました。

Holly heal では、

お客さまにホッとすることを届けたい
と言い続けています。

そのためには、

まずメールの書き手であるわたしたちが、
ホッとしていることが大事。

エネルギーはそうやって伝わります。

いつも完璧に出来る訳じゃないので

だからこそ、

わたしも徳永も、
そこは本気で努力してきました。

38度で、

優しいエネルギーの乗ったメールを書くことは、
結構力が要ります。

そして、
その中でもお客さまについて考えました。



>パーソナルストーン・オーダーって、
>今どんな状態のお客さまが、
>笑顔になれると思う?

意気揚々と未来に目を向けて動きたい!
という方と

動き始めたいけどどう動けば良いかわからない、
という方に

お届けすることができれば
本当に笑顔が増えると思うんですね。

ありのままを認めてもらえる喜びって

言葉とクリスタルの相乗効果で
すごく感じられると思うので。


彼女はそう思ってくれています。

 *

今日が最終日。

もし、そんな方がいらっしゃるようでしたら、
どうぞご協力をお願いしたいのです。

Holly heal の扱うものの実際は、
気持ちです。

そこには、
対話がとても必要だと思っています。

だからこそ、リニューアルした今は、
セッションメニューが増えています。

わたしたちは、
クリスタルがタイミングであることを

自分達の体験から
とてもよく知っています。

 *

ただ。

それと、

お知らせを怠ることは
別のことだとも思っています。

それは一昨日の晩に、

ショックを受けて
facebook に書かせていただいた内容でもあります。

 *

わたしは今回、

徳永に「目標達成する」
ということを体験してもらいたいです。

それは売りつけるということではありません。


伝えることを諦めないこと、
最後まで出来ると思うことを全部をやること。


やってみてダメだった時と、
やらないでダメだった時に

「得るものは違う」と知って欲しいのです。

 *

もし「協力しても良いよ」と
思ってくださる方がいらっしゃいましたら

徳永にオーダーをいただけたら、
本当にうれしいです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか

2014/01/30

ひとりぼっちにならないで欲しい

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初めて買った
大きなシトリンのフリーフォーム。

両手で包み込むのは難しい、
それなりの大きさがあります。

当時のわたしには、

数万のお金を
クリスタルに使うのは、

正直、異常事態でした。

 *

それでも手に入れたのは、

当時おつき合いしていた
BF の心臓が止まって、

息を吹き返した彼との時間が
始まっていたからだったと思います。

 *

かれこれ10年程前のことで
時系列の記憶が曖昧ですが、

その時のどこかのタイミングで、

わたしは、
このクリスタルを買いました。

必死にPC に向かって
キーボードを叩いた遠い記憶があります。

 *

当時ショップをやっていた彼女とは
面識はなかったのですが、

優しい優しいクリスタルを選ぶ彼女には
どこか親しみがあり、

わたしは思いのたけを書き綴り、

まだあったら
そのシトリンを買わせてください、と

お願いをしたのでした。

 *

届いたのはシトリンと、
いくつかのクリスタルでした。

買ったものよりも、

遥かに多いクリスタルが
一緒に送られて来たのです。

息を吹き返した彼の分も含めてです!

 *

もし、あなたのお友達の
パートナーの心臓が止まって、

しかし息を吹き返し、

相手の身内の方から
心ない言葉をかけられて、

その後何やら大変な状況になっていたとしたら…?

あなたはその人に
なんと声をかけますか?

 *

わたしには、
クリスタルは言葉以上のものでした。

本当は知らない彼女が、

わたしのために
選んでくれたクリスタルが届いたことは、

クリスタルが運んで来てくれた
「想い」に触れたことは、

信じられないことでした。

何か、とてつもない
奇跡みたいなものでした。

 *

ギリギリに追いつめられた
気持ちの糸がぷつんと切れて、

わたしは包みから現れた
いくつものクリスタルを前に、

初めて号泣したのです。

 *

相手が

わたしの気持ちのために
選んでくれたクリスタル達が、

目の前にありました。

わたしはそれを抱きしめて、
かなりの時間号泣しました。

怖かったし、辛かったし、心細かった。

それを初めて素直に感じられたのです。

 *

それが、
身近な誰からでもなく、

遠くの他人から届いたこと。

もちろんそれには
オーダーという行動をしたわたしが居て、

自分の支えになる何かが欲しいという
意図を伝えたからだったのですが、

伝えた時に、
応えてくれる人が居たという現実と、

それがクリスタルというカタチになって
こうして両手に持って、

抱きしめられるということの
すさまじい慰めは、

きっと他のものでは
あり得なかったように思います。

チョコレートや苺や、
ぬいぐるみじゃダメだったと思います。

 *

わたしは、当時
誰にも言えなかったのです。

わたしが「助けて」と言う時、

それは崖っぷちで
もう本当にギリギリの時でした。

ただ、あまりにも冷静に
理路整然と無理であることを伝えてしまうわたしを、

本当にヤバいぞ!と
気がついてくれる人は、

当時…誰も居なかったのです。

わたしはそれで何度も失敗してきました。

でもどうして伝わらないのかには
気がつけていませんでした。

だから、
伝えるのは怖かった。

出来なかったのです。

 *

だからこそ、
見ず知らずの誰だか解らない、

でも素敵なクリスタルを選んでいた、
彼女に伝えたのだと思います。

 *

パーソナルストーン・オーダーを始めたのには、
そういう熱い体験があります。

 *

クリスタルは不思議なものです。

「こういうの持たないことにしてるんだよね」
と言う人でも、

「さやかさんからのものだから、
ありがたくいただくよ!ありがとう、大事にするね」

と受け取ってくれたりします。

「気休めになれば」と、
厳しい曲面に向き合っていらっしゃる経営者さんに

そっとお渡しすることも在ります。

その後、
元気を取り戻されるのを拝見して、

こちらが驚くことも多いです。

きっとそれが
「何か」であることを、

受け取ってくださる
お友達や経営者仲間のみんなは、

言葉以上に
心の何処かで気がついているのではないかな?と

思うことがあります。

それは間違いなくただのクリスタルです。

だけど、
「何か」でもあるのです。

 *

ひとりぼっちにならないで欲しい。

ちゃんと居るよ、
ちゃんと在るよ。

そうして触れて感じてみて欲しい。

感じられている自分や、
その背後にある世界との繋がりの妙を。

もう何もないと思った時にも、

手のひらの中の重さが
支えてくれる存在があるということを、

心の片隅でいいから、
覚えておいて欲しいなと思うのです。

 *

その時、
彼女が選んでくれたクリスタルは、

レッドジャスパーでした。

わたしは長年
このクリスタルが理解出来なくて、

ずっと見えないところに
こっそり置いていました。

でも、

誰にも譲れなかったし、
捨てることも出来ませんでした。

 *

一昨日、初めて、

レッドジャスパーについて、
深く理解した気がします。

独りぼっちじゃない。
確かに「在る」ということ。

ただ、クリスタルが在る、ということは、

石があるということ以上の
何かなのだなというのは、

わたしにとって、
本当に奇跡だったなと思います。

もし、支えが必要なときは、
思い出してください。

わたしでよかったら、

あなたのために、
クリスタルをお選びしてきます。


ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか

2014/01/28

わたしが居るじゃないか

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今朝は5時過ぎに目が覚めてしまい、
そのまま読書をして朝を待ちました。

 *

『ダンナ様はFBI』(幻冬舎さま)
という

タイトルからして
結構ふざけた本を読んでいたのですが、

後半想像を超えてシリアスな展開になり、

朝日が昇る頃には、
何だか涙がにじむ程でした。

パートナーシップの妙について考えてみたり、
親子について考えてみたり、

とっても大切に想う人のことを考えてみたり、

少ししんみりした気持ちであったのは
確かです。

 *

ふと先だってのコーチングで

親の子どもへの気持ちは
絶対温かいものであるというような、

その方なりの「子どもの捉え方」を
お話しいただいたのを思い出しました。

 *

その方は2児のお父さんでもあるのですが、
お子さんのお話をなさる時に、

とても柔らかな素敵な表情をなさっていて、
そこには温かな愛情が感じられました。

 *

その後、

わたしが自分の中での混線を解消すべく
おしゃべりをしていると、

テーマは、
お金であったり、安心であったりするのに、

やはり出てくるのは記憶の中にあるしこりのようなもの。
わたしが退院後
父から実際に言われたことをお話しするなどして、

その時の
その方の反応を感じながら、

「そうか、わたしはどうも
ちょっと大変な状況なのかも知れないなあ…
結構変わった家庭に育っているのかもしれないなあ…」

と感じたのでした。

 *

そして昨日の晩。

お友達がわたしの大好きな映画のDVD を
突然プレゼントに送ってくれました。

そこに登場する
「るくそー」という存在がとても好きで、

「るくそーがBF だったらいいのに〜!」と思ったら、
泣けてくる位何かが琴線に触れてしまい、

コーチングを受けた時に
それを言うか言うまいか考える程でした。

DVD をプレゼントしてくれたお友達は
この映画を観て感想を沢山くれたのですが(優しい・笑)、

「るくそーはなんも言わないんだね〜」
とも送ってくれていました。

わたしはそれにちょっとハッとなったのです。

 *

何にも言わないで、
ただ側に居てくれる存在。

そんなのは生活をする上で
現実にあり得ないな、ということ。

でもどうしてわたしは、
るくそーが居て欲しいのかな?

ということ。

大変な時に、
「いい」とか「わるい」とかではなく。

ただもう側に居てくれる
そういう存在がシンプルに欲しい

ということなのだろうな、と思ったのでした。

 *

相当ぼんやりしながら服を着替え、

顔を洗うために洗面台の前にたって、
それらを思い出しました。

その時。

不意にやって来たのが、

「わたしが…、ここにわたしが居るじゃないか」
という気持ちでした。

誰よりもわたしに寄り添っている、
「わたし」が鏡の中に居たのです。

鏡を観ながら、
わたしはボロボロ泣きました。

 *

聴いて欲しかった。
わたしを観て欲しかった。

誰にも、わたしを

良いところと悪いところに
切り刻まないで欲しかった。

わたしをバラバラにしないで欲しかった。

外側はいつも

わたしをバラバラにして、
切り刻んで、

わたしじゃないものにしているように、
感じていました。

 *

昨日まで
わたしを大好きだった人は、

結局「わたし」を好きなのではなくて、
わたしの都合の良い「側面」だけが好きなだけ

ということも何度もありました。

幼少から
他人の話を注意深く聞いて来たわたしにとって、

「ひと一人」というのは、
そうそう理解出来るような簡単なものではありません。

それなのに、

「もうあなたのことは解ってるよ!」と
言えてしまう無神経や、

「あなたこういう人だよね」と
バッサリ切り込んでくる人。

自分の価値観だけで
相手を判断して切り捨てていくような傲慢さや、

自己投影と気づかないで、
相手を判断する洞察の浅さ。

いずれも、怖くて怖くて仕方がありませんでした。

 *

親もそうでした。
もちろん親を責めるつもりは毛頭ありません。

彼らが一生懸命だったのは
近くで観ていたのです。よく知っています。

わたしは彼らに笑って欲しかったし、
楽になって欲しくて、

小さいなりに一生懸命言うことを聴いて、
しかしどうしようもない圧力には反発し、

でも可能な限り
望まれるようでありたいと思って、

自分を消してがんばってはいたのです。

でも、でも、
ごめんなさいなのだけれど。

わたしはわたしで、どうにも辛かったのです。

 *

探しても探しても、
わたしはどこにも居なくて、

わたしは居場所がないように感じられて、
ホッと休むことが難しい感じがありました。

 *

学校で机を割り当てられた時は、
それでも居場所を感じられましたが、

朝ちょっとでもゆっくり登校すると、

机や椅子が教室の外に出されていたり、
上履きがなくなっていたりしたものです。

春休み明けの
お誕生日は忘れられがちでしたし、

約束は忘れ去られる度に、
自分の存在が薄れていくようにさえ感じました。

安心出来る居場所が欲しかった。

「わたしの感じる世界の中」には、
どこを探しても

「わたしは居なかった」し、
「わたしの居場所がなかった」のです。

 *

でも、わたしは

ずっと、とっくにここに居たのです。

鏡の中に映るわたしを観ながら、
わたしは「わたしの存在」にやっと気がついたのです。

わたしが、知っているよ。
わたしは、観て来たよ。
わたしが、居るよ。

というのは、衝撃でした。

頭では理解していたことでした。
だから他人には話して来たことでもありました。

だけど、その実感が来たのは、初めてだったのです。

 *

わたしが、居るじゃないか。

外側にじゃなくて、
内側に。

確実に。

わたしはここに居るじゃないか。

それが驚きでもありました。

 *

小学生の頃
こう聴いたのです。

「もし、自分がして欲しいことがあったら他人にしてごらん。
そうするとそれは自分に返ってくるからね」

わたしにとってそれは希望的な言葉でした。

だから一生懸命、やりました。
他人の話を聴いて、理解しようとしました。

誰かを独りぼっちにしないように、
心を配りました。

その人のいいところを見つけようと
いつも探していました。

 *

だけど。

わたしはいじめられっこだったし、
根も葉もない酷い噂を立てられたり、

(火のないところに煙は立たないと言いますが、
わたしの経験はそれを全く覆すものでした)

どんなに耳を傾けても、

「ところで、さやかはどうなの?」とは
聴いてはもらえなかった印象を持っています。

こちらが言えば
相手も言うのかと思って、

一生懸命に自分のことを伝えたこともありますが、

それはそれで「自分のことばっかり!」
「あなたのことは解ってるよ!」と言われて、

相手は同じように
話してはくれませんでした。

そしてわたしは「解っているよ!」と言われても、
決して理解されているとは感じられなかったのです。

 *

どうしたらいいのか本当に判らなくて、

日本語を沢山勉強して、
心理学を勉強して、

聴く力を養って、
あらゆる手段を通して「理解」に努めて来ました。

でもそれは、
小学生の頃に切実に思った

誰かに「解って欲しい」という
気持ちの発展でしかありませんでした。

 *

中学生時代には、
わたしがわたし自身の日常のの言葉ではなく、

自分で書いた小説の登場人物に
言いたいことを語らせると

相手に通じることを見つけました。

 *

社会人になってからは、
イラストに言葉を添えると、

わたしの伝えたいことが
その温度で伝わることを見つけました。

それは生まれて初めて体験した
大笑いによって

他人に受け容れられました。

「さやかは真面目でつまんない!」というレッテルに
傷つき悩んでもいたので、

恐ろしい程うれしかったのを、
今も鮮明に思い出せます。

 *

ただ、その後。

XBF は結婚直前の女性と浮気をしていたことが発覚して、
わたしは心療内科へ行く程ズタズタになりました。

6年以上続いた関係が終わってしばらくした頃にさせていただいた
2度目の個展では、

イラストを好きだと言ってくれた人の言葉を、
わたしの全部を好きと言ってくれていると感じてしまったり、

(人によるとは思うのですが、
わたしにとって描くことは全部が出てしまうことなので、

自分との距離感が近過ぎて、
別のこととして切り離して考えるのが難しいのです)

イラストを誤解されると
猛烈に哀しくなってしまうことから、

恋愛感情のバランスがめちゃくちゃになってしまって、
今もまだイラストを他人の前に出すのは怖いです。

 *

解って欲しかった。

ただもう、
誰かに解って欲しかったのです。

だからわたしは、他人を理解しようとしました。

わたしがあなたを解ったら、
あなたは同じようにわたしを解ってくれる筈。

それは小学生のわたしが
受け取った言葉の解釈でした。

 *

わたしを初めて理解してくださった方は、
既に他界されています。

先生は、わたしを聴いてくださいました。

わたしが言葉以上にあらゆることから
相手を知れることにも気がついてくださいました。

「きみには解るのですねえ…」としみじみお話しくださったのは
わたしにとって強烈な救いでした。

 *

余りにも解って欲しかったことは、
相手を理解するための原動力となり、

気がつくと、
そのスキルは国境を越えていました。

相手が
オーストラリア人でも、イギリス人でも、フィリピン人でも
アメリカ人でも、イタリア人でも、

誰彼構わず、
彼らは対面するとせき切ったように話し出し、

話し終えて、
自分の中に何かを発見し、

微笑んで去っていくのです。

 *

それは、どこか
哀しい出来事でもありました。

わたしは依然として
どこにも居ないままだと感じて居たからです。

わたしは、
聴き役の時は存在を許可されているように感じましたが、

自分が話し出した途端に
バラバラに刻まれて、

居なくなってしまうように感じていました。

 *

一昨日読んだ
斎藤一人さんの『人とお金』にも少し泣きました。

もしかしたらやっかみを生んだ外見があるとしたら、

でもそれならそれを
活かすことが大事だよ、という視点。

病気がちだったから自分は今の仕事が出来ている
という斎藤さんの考え方。

それはすごく大きなエールとなって
わたしの心をぐっと引き上げてくれたのです。

背の低いBF としかおつき合いしたことがなくて、

わたしがハイヒールを我慢していたのを覆せたのは、
なんと去年です。

背の高い人は縮こまるのではなく、
10センチヒールをはく位して堂々としていて良い、

自分を活かすことを考えるのだ
という主旨の文面は、

余りにもグッドタイミングでした。

 *

わたしは、わたしを活かしていいんだ、ということ。

高校時代にはわたしの普通の在り方について、

「さやかは誰にでも優し過ぎる!」
と言われたこともあります。

だからそっけなくしてみたりもしたのですが、
すごくやりづらかったです。

それは、わたしの普段の在り方だったし、
意図したことでもなかったからです。

わたしがわたしを活かしていいなら、

幼稚園時代に「アイデアはかせ」と言われた
自分の頭を存分に活かしたい。

まだ綺麗に観てもらえるなら
それをもっと磨いて輝いてみたい。

美しいハイヒールを履いて、
優雅に歩きたい。

誰にでも素で関わりたい。
例えそれが優し過ぎるのであったとしても。

聴く力があるならば、
聴かせて欲しい、この力を使わせて欲しい。

自分は素敵で、
ちょっとはイケてると感じてみたいと思えたのです。

 *

鏡の中に見つけた、わたしが。

間違いなくここに居るじゃないか。

 *

目を赤くして
朝っぱらから泣いているわたしが、

そこに居るじゃないか。

外側に理解されなくても、
外側がわたしを切り裂いていると感じたとしても、

本当は何も起こっていない。

わたしは、ちゃんとここに居るじゃないか。

 *

それはビックリする程の衝撃で、
わたしは両手で頬を抑えながら、

そうやって自分自身を感じながら、
しばらく泣いたのでした。

 *

そのわたしは、

聴くことで誰かの元気や笑顔を取り戻せる位、
相手を聴けるようになっているよ?

ということ。

解ってくれるのは

さやかさんだけだよ、
さやかちゃん位よ、
さやちゃんだからだよ、

と言ってもらえる位…

誰かを聴けるようになっているのです。
30年間かけて磨いたスキルです。

 *

「他人のことは解らない」と教えてくださった方も居ます。

彼はわたしが初めて

「何でこの人は
こんなにわたしを解ってくれるのだろう?!」と感じた人でした。

基本わたしは結構根が素直なので(笑)、

その日から「解ってもらえない」ことは
決して辛いことではなくなりました。

わたしをビックリする位理解してくださる方がおっしゃるのです。
「人のことは解りませんからねえ」と。

それは当り前のことだったんだ、と思えたのです。

 *

その割には、
解っている人が居るなあというのは

もはや奇跡みたいに素敵なことでした。

そしてその筈なのに、

なんだか他人から「解ってもらえる」と思ってもらえる
自分がいること。

それもまた奇跡みたいなことだなあと思えて来たのです。

 *

もちろん生活の中では、

相手の言い分や、
その背後にある想いや混線を理解していても、

自分の考えや想いを通すことも増やしています。

でも、こうやって必死の想いで身に付けて来たことが、
誰かの役に立てるなら…

今はもう、それは最高にうれしいことです。

 *

そうか、
わたしが居たんだ。

そんな日にわたしが惹かれたクリスタルが、

レッドジャスパーだったのは、
偶然じゃないなと思います。


p.s.
お友達曰く「めめめのくらげ」に出てくる、
くらげ坊が、色白からしてわたしに似てるそうで、

「特にやる気まんまんの鼻息ふん!っていうのも
感じがさやちゃんだったよ。」だ、そうです(笑)。

こんな親しみやすいならうれしいです。


ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか