蜷川実花さんの展示を観て来ました。
「裏・蜷川実花」という
帯のついた写真集も売っていたけれど、
原美術館全体が、
彼女もこうやって
バランスを保っているのだな…
というのを
体感出来る空間になっていて、
生々しく、毒々しく、重々しく。
かつ繊細で
生乾きの傷跡から痛みを感じるような展示でした。
*
わたしは元々、
比較的表と裏を分けずに居ます。
だからアップダウンが激しく見えると思うのですが、
おそらく「作るということ」全般は、
「暗闇の中に在る虹を知っていること」から生まれるので、
アートにまつわる作り手にとってそれは、
「心の深み」と「現実」の行き来は
比較的当り前のことであり、
特筆することでもないように思います。
それでも、普段
光のあたる虹の世界を陽気に歩いている人達に、
実はね…といきなり
暗闇の虹を観せられる衝撃というのはありますね。
ああ、そうだ。
これだ。
これがレインボーオブシディアンの世界だよね。
という感じがありました。
*
その虹がなかったら
きっと、
表の虹は崩壊するだろうなと感じるような、
夢のような美しさの背後に在る、
生々しい
生きざまのようなもの。
表舞台に上がるものが
キリストの十字架やマリア像ならば、
そこに同時にある
生死への希求みたいなものは、
血の香りが漂う生肉や、ピンで刺された昆虫。
そういう感じを受けました。
*
ああ、この人はこういう人だったのだ。
という全体像を
かいま見せてもらったような安堵がありました。
*
面識は在りませんが、
彼女は学年で言うと
多摩美のひとつ下の後輩にあたります。
展示を観ながら、
「この人も美大生だったんだな…」
と思いました。
それは、
単なる事実なのだけれど、
「裏側を明らかに出来る心のつよさを持っている」
という
感想としての言葉だったな思います。
ストーン・コンシェルジュ / 作家 みたけさやか