surya
たなかみほちゃんとの
結晶会議も12回目!
1ダース!
とか無意味に盛り上がります(笑)。
*
今回はしばらく間が空いてしまったので、
本当に久しぶりの会議でした。
始めた頃に比べたら、
お互い随分と状況が変わってきたなあと思います。
みほちゃんは、
顔つきがちょっと変わってました♪
*
どれだけ忙しくなっても、
結晶会議は続けていたいものだなあ…と
思います。
クリスタルを通して見えてくる
「感覚」の色々は、
宝石箱を開けたような感動でもあり、
人一人が生きて居ることの
確かな証でもあるような気がします。
同じクリスタルを観ても、
感じることは違い、視点も違い、
しかし
何か同じようなことを言っている、
という感覚。
日本では特に、
覆い隠されやすい「違い」かも知れませんが、
そこにだから潜んでいる
豊かさを
目の当たりにする時間です。
違うって
豊かで面白いなと思います♪
*
何故か写真を撮り忘れているのですが、
みほちゃんは、
ラリマーを相変わらずワーク中のようでした。
「ワーク」とは、この場合、
そこに意識を向けている、
ピントを合わせている、
という感じのことを言っています。
*
みほちゃんは、
すごく深い色の
美しいラリマーを見せてくれました。
1度あんまり好きじゃなかったものを
好きになるというのは、
もう嫌いになれないということかもな~、なんて思います(笑)。
3大ヒーリングクリスタルなんて銘打たれて、
「けっ、なんだよ」と思っていたらしいのですが(笑)、
実際にワークしてみると、
その良さにびっくりみたいなね♪
癒される~!という言い方を彼女はするのですが、
わたしには一向にピンとは来ないので、
本当に不思議なものだと思います。
ただ、
みほちゃんの話をじっくり聴いていると、
ラリマーって、
関係性において発現するエネルギーなんじゃないかなって、
すごい感じました。
わたしが、
わたしの自身の内側に見つける
「こんな感覚もあったんだ」というものではなく、
他者との関わりの中で見い出すもの、というか。
他者が介在して
初めて見つけられるエネルギーというか。
他者に気持ちが向いた時には、
ラリマーを使えそうだなあという感覚というか。
自分が自分のために、
ラリマーのように言動することは難しくても、
他者に対してなら、
割と使える感覚かな、というか。
*
みほちゃんは、
ラリマーによって、
ローズクォーツよりもずっと深いところでの
自己受容をした、
というような言い方をしていたのですが、
なんかちょっと判る気がします。
そうやって見せられたラリマーには、
深い受容と、
足場がしっかりしているような
手ごたえみたいなものがあって、
いいなあ、この安定感。
と、思います。
とはいえ、
わたしにはまだ、
ラリマーは良く判らないです(笑)。
*
わたしはダイヤモンドとトパーズについて
ここしばらく考えていたので、
それについて語っていました。
ダイヤモンドから見ると、
フローライトは詰めが甘くてふわふわなんだけど、
トパーズから見ると、
神経質に見えるんだよね、
という話をしたら、
みほちゃんにはとっくに神経質に見えていたらしく、
面白いなあと思ったりして(笑)。
ダイヤモンドに意識を合わせていたら、
フローライトは休息だけど、
トパーズに意識を合わせていたら、
フローライトは繊細過ぎて疲れるのです。
興味深いです。これは(笑)。
「鈍感力も大事だよ」なんて言われてきたわたしにとっては、
すごく新しい感覚です(笑)。
*
トパーズは、
身体における最上級の精神性の高さ、
かなあという感があります。
身体と精神というのは、
結晶会議では欠かせない表現なのですが、
みほちゃんとわたしの根本的な違いを端的に言うと
身体と精神、みたいになります。
簡単に言うと、
みほちゃんはダンスで自己表現をしていて、
わたしは小説を書いて自己表現をしていた。
みたいな違いです。
これは、
どっちが得意か、みたいなことです。
不思議なことに結論は同じところへ向かうのですが、
取っ掛かりが違うという。
*
トパーズは、
身体寄りの意識の持ち方かなと感じます。
身体の限界に対して
敏感ですから、
最大のパフォーマンスを出すためには、
今は体力がないから止めておこう、
みたいな、
身体への配慮が出来ます。
ダイヤモンドは、
今がその時だと思ったら、
出来る無茶はし尽くして、
今その時に最大限のパフォーマンスをします。
継続よりも
瞬間的な最大値に対して焦点を合わせる。
極端に言えば、そんなやり方。
気力で持たせる、
みたいな言い方は、
ダイヤモンドにはあっても、
トパーズにはなさそうです。
*
トパーズは、
いつも朗らかに笑っているみたいな明るさ。
肉体を離れてしまう(精神的)
という意味では、
モルガナイトやアクアマリンが
聖母の慈愛のような
ある種の抽象的な存在感なのに対して、
ピンクトパーズは、
肝っ玉かあさん、のように
もっと現実味のある存在に例えられます。
具体的であるというのは、
身体に近いエネルギーの特徴かも知れません。
これだけでも、
エネルギーの違いは明らかですよね。
*
みほちゃんからは、
「ダイヤは恐れ多くて手伝えないけど、
トパーズなら手伝える」という話があって、
それはいい例えだなあと思いました!
わたしは今回
トパーズをずっと使ってみて
初めて気がついたのですが、
ダイヤモンドの求めている完成度は、
多分生半可なものではないので、
多くの人にとっては、
「ついていけない」
ものかも知れないなあ…ということ。
ダイヤモンドの見ている完成形は、
共有しにくいかも知れないな…ということ。
ダイヤモンドから見ると、
トパーズは、甘い(やわらかい)のですが、
トパーズも充分固いと言うか(意味不明かしら)。
*
それから、クンツァイト。
topの写真がそれです。
これまた
みほちゃんが、
ずっと言ってるのですが、
「突き上げるような喜び」
というのは解るなあと思います♪
他者と共有できなくてもこれは自分的にツボなの、
ウレシ~!
という感じ。
自分にだけ解る
突き上げてくるような喜び、
確かにこういう感じかも、と思います。
クンツァイトって、
意識の高いところに居るのですが、
その色彩がピンクの割に
孤立感があります。
ピンク色系のクリスタルには、
横広がりのゆったりした感覚が似合うと感じるのですが、
クンツァイトは、
カイヤナイトみたいに、どこか突き刺さってくるイメージ。
どうもそのヒヤッとした感覚が解らなくて、
個人的にはピンと来なかったのですが、
みほちゃんが「突き上げるような」と話してくれた時に、
あ、なるほど、と思いました。
ものすごく個人的に刺さってくるような、
他の人には共有の難しい喜び。
「解ってもらえないけど、いいや」
それでもわたしはうれしい。
という感覚。
確かにクンツァイトっぽいですよね。
*
みほちゃんが話していた事で
これまた面白かったのが、
「種」という話です。
彼女は、
自分の日々のあれこれを、
収穫に例えて認識しているかのようでした。
耕して、種を蒔いて、育てて、
花が咲いて、また実をつけ種となる。
なんだか例えが
実直でいいなあ…と思います。
*
みほちゃんの2~3年前の「種」。
こっちは、最近の「種」。
みほちゃん変わったよね、と感じます♪
*
エレスチャルや、DT や、ハーキマーを
今「種」と認識している
みほちゃん。
興味深かったのは、
エレスチャルについて
「積み上げてきたことあっての、今」と
捉えていたことでした。
わたしは、
ある物事を完成をするために
その物事を分解して
何と何をやったら完成するかを読む、
ステップとして捉える力、
みたいなこととして、
その瞬間に
エレスチャルを捉えたので、
過去があっての今、という
みほちゃんの捉え方はすごく身体的で
(身体は、過去があっての今という時系列を生きて居るから)
なんか、うらやましい位でした。
未来あっての今からのステップ、という捉え方は、
やっぱり、そこには身体が不在ですよね。
わたしは未来をかなり物質的に認知しやすいので、
ないものをあるように分解したりしますが、
ないものじゃなくて、
あるものを基点に物事を組み立てる
みほちゃんの意識がうらやましくなりました。
ホントに!
*
風邪を引いていることもあるし、
rooms での世界観作りの反省とかもあって、
ちょっと落ち込み気味です(笑)。
なんか、
もっと眠って少し元気になったら、
無彩色の服を着て、
ぶらぶら散歩でもしようという気分です。
*
ちなみにわたしが
今回の結晶会議に持って行ったのは、
この数ヶ月を過ごす中で、
みほちゃんに見せたいと思ったのはこの2つだけ。
これといった話題には
上らなかったのですが、
「種」と言うなら、
これらがそうかなあと思います。
*
ひと言だけつぶやいてもいいなら。
全部が正しさを内包していると知った上で、
自分の正しさを貫くのは骨が折れる。
ということ。
自ら選択するということは、
他者の意見に屈するよりも
難易度が高いかも知れません。
見えているところまでが、見える。
解っているところまでが、解る。
まだ解らないことがあると判っていても、
解る範囲で決めるしかないということの怖さを味わっています。
ま、考え過ぎているということなのですが(笑)。
*
なんだか判らなくなって来たので、
このへんで。