2014/06/01

アンデシンとアクアマリンと在り方

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アンデシンを触って
アクセサリーを作っている夢を観ました。

 *

いつだったか

「自分にもやっと赤が来た」というように、

ハマダヨーコさんが
お話しなさっていたクリスタルです。

結構高価なクリスタルなので、
手元に置くのを躊躇していたのですが、

ある時に「これは!」というものを発見し、
買い求めてストックへ放り込んでいたものでした。

 *

ヨーコさんや
Steragate のMINA ちゃんは、

わたしにとっては
クリスタルの世界を語ってくださる大切な人達です。

 *

ヨーコさんは、
まだお会いしたことのない頃から

彼女のクリスタル写真の美しさで
存じ上げていました。

スターポエッツギャラリーのオーナーであり

(2006年のイラストの個展は
こちらで開催させていただきました)

以前取り組んでいたオーラソーマの
師匠の1人でもある

今村ひとみさんから、

「さやかちゃんに会わせたい」と
言っていただいていた方です。

今の時代の流れや
その時に来ているエネルギーの話をすれば、

「その話…
ヨーコとさやかちゃん…全く同じ事言ってる」

と何度か
ひとみさんからおっしゃっていただいた事があって、

ヨーコさんは
気になる存在だったのです。

 *

実際にお会いして
コース(terakoya)に参加させていただいたのは

その後大分経ってからでしたが、

「(大変なことはたまにあるので)
何かあったらいつでも言って」と

それこそ対面して日の浅い中
真摯におっしゃっていただいたこともあり、

わたしの中では、

必要な時にはいつでも繋がれる人、のお1人が
ヨーコさんです。

唐突に報告や相談をしても
(わたしは・笑)平気な方です。

 *

MINA ちゃんとは

2005年に
Candle JUNE さんが開催されていた

クラスカのイベントで知り合いました。

MINA ちゃんは
わたしがフェレットの長男を亡くした後、

ふらーっと当時あった
葉山のサロンへ来てくれて、

ご飯を作ってくれたり、
一緒に海を観に行ってくれたり。

一緒に表参道で
ウィンドウショッピングした際には、

見えない筈の「同じもの」を
感じられることが判り、

わたしにとってそこを「一緒に」出来る人は
それまで皆無だったので、

かけがえのない人です。

 *

クリスタルの世界は、
共有可能なART(自己表現)の世界かもしれない。

ということを
近年は思うのだけれど。

わたしは2005年以降、

お2人の既に展開されていた
クリスタルの世界を通じて、

自分の世界を深めていった訳です。

 *

あ、話が逸れているのだけど。

アンデシンです。

 *

内側から堪え難い
フィーリングが上がって来た時に、

これは上手く逃がさないと

「何かを破壊してしまうエネルギーになりうる」と
感じました。

そして、移動中
Twitter に書いていたのですが、

わたしは「作ろう」と思ったのでした。

アーティスト仲間の人が昔、

「描けなかったらとっくに死んでいた」
という話をしてくれていたことを思い出して、

(今PC の変換ミスで
「神で居た(しんでいた)」と出て驚いた!)

そうだ、こういう内側からの欲求は、
他のことへ転換していく必要があるなと。

それがきっと、

アートであったり
スポーツであったりするのだろうと、

そう改めて思えたのでした。

 *

夜、お友達をおしゃべりをしながら
アンデシンを触っていたら、

この赤は本当に美しい。

わたしもこの赤が好き。

この赤は受け容れられる。

という感覚がやってきて、
そして眠りに落ちた後。

わたしは半分夢の中で、

「そうだ、自分の感覚を信じよう」

と、思ったのでした。

 *

わたしは
天然石アクセサリーを媒介にして

「人を感じるお仕事」を
させていただいていて、

人の気持ちの推測は、
そんなに大外しはしません。

もちろん100% 理解するのは難しいけれど、
確立は相当高い筈です。

 *

「どうしてさやかちゃんには解るんだろう?」
「解ってくれるのはさやかさんだけ」

という話は
頻繁に聴かせていただいているので、

それはしっかり
相手と向き合えている証拠だと思っています。

 *

ここまで来るのには、
10歳で心理学に傾倒してから32年です。

自分の目で観て、耳で聴いて、
実際に検証して来たことの積み上げから

その「推測」は、やってきます。

努力してきたのだから!
そのわたしなのだから!

自分の感性を信じよう。

と思ったのです。

 *

夜、お友達とのおしゃべりでは、
アクアマリンの話も出てきました。

わたしはこの、
ホリーヒールを考える時に、

「愛と信頼」という言葉を
恥ずかしげもなく置いたのだけど、

愛は、当時「ローズクォーツ」であり
信頼は、「アクアマリン」でした。

今。

わたしの言っている愛は
「ピンククォーツ」であり、

信頼は依然「アクアマリン」です。

 *

「内側の信頼が過剰になる」と、

外側がファンタジーみたいに
加工されて観えてしまい、

歪み過ぎることがあります。

でも今のわたしなら、
いい按配に出来そうだと。

アクアマリンの「信頼」は
信仰に似たニュアンス。

それは「ある種の物語」なのだけれど、
人を根底から支える不思議な力です。

 *

見えないものを信じるのは、

時に根拠が見当たらないから
とても難しいけれど

それでも、
「この自分が感じた事を信じよう」と思うのは、

アンデシンのニュアンスがくれた
新しい「在り方」なのだろうな

と思うのです。

 *

誰かが
誰かの世界の中で生きるとしたら、

わたしも
わたしの世界の中で生きていい筈だと。

そして、

その違いを面白がって、
聴き合って、

そうやって進んでいけるとしたら
楽しいなと思うのです。

 *

そういう未来がいい。

 *

そして、
今は、

しんどい気持ちを昇華させていくために、

クリスタルを触って、

しばらくコツコツと
アクセサリーを作ろうと思います。



ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか

2014/05/31

それでも大丈夫

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これはもうダメだろうな…
といういう位、

自分の中でNG にしてきたことを
言ったりやったりすると。

それでも居てくれる人と、
さすがに離れていく人とが、

ものすごくハッキリ観えてきます(笑)。

 *

でも多分
多くの人は、

離れていく人の代わりに
近づいてくる人も居るという現実を

見落としている気がするのです。

 *

以前一緒にユニットを組んでいた
咲ちゃんが言っていたことを思い出します。

「さやかさんは、
これをやりたいって言う時に、

離れていく人を観て悲しむんだね。

わたしは、はいはい!これやりたい!って
手を挙げたら

それに乗って来る人がいるんだ〜!って思った」

といった内容でした。

これは咲ちゃんの捉え方の方が
圧倒的に高級だと思います(笑)。

 *

わたしは、

「みんなのやりたいことを
出来るようにしたら、

わたしのやりたいことも
やらせてもらえるかな?」

というアプローチを
かなり長いことやっていたのですが、

叶いませんでした。

でもこれを、

「わたしのやりたいことを
精一杯やっていたら、

一緒にやってくれる人が現れるかな?」

に切り替えたらビンゴ!

え〜!!!
20年位気がつかなかった!!!

とショックだった程です(笑)。


 *

人によって
自分の上手くいく方法は違うので、

これを読んでくださっている方に
全て当てはまる訳じゃないと思うけれど、

自分の中で繰り返している
「何か」にぶつかった時、

これまでとは違う方法論をとるのは、
多くは

「自分の中で禁じていた、
でも本当はそうしたいこと」

と自分にさせてあげることは、

価値があるなあ…と
思ったりします。

 *

自分がめちゃくちゃなことをしてみて言うので、
なんだかなあという感じですが。

それでも大丈夫みたいです(笑)。

 *

facebook で
凄まじい状況を展開していた中でも、

お誕生日おめでとうの連絡を
30件もいただいたり

(さすがにいつもよりは少なかったですが!)、

動じない人っているのね…。と
ありがたいやら驚くやら(笑)。

でも、
こういう時に側に居てくれる人達は、

ご縁の続く限りは、
懲りずに側に居てくれるのだろうな…と。

 *

それって、

自分が一切包み隠さずに
そのままで居られるということ。

その自分を現実に生きた時にも、
周囲はゼロじゃなかったということ。

払った犠牲が大きい
という見方も出来るけれど、

「それでも居てくれる人達」を知った時に
得られる安堵は、

並大抵のものではありません。

 *

本当にどん底に落ちているような
自分の在り方さえ、

「応援してるよ!」
という声に換わることもあるのですね!

自分に禁じていたことを
せざるを得なくなっても、

「応援してる!」
と言ってもらえた時には、

拍子抜けしましたし(笑)。

幸せって、
広義だなあと思ったりもして(笑)。

 *

世の中捨てたものでもないなあと。

それでも大丈夫なことって、
あるのだ。

ということ。

ありがたいです、本当に。
心の底から感謝の気持をお伝えしたいです。


ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか

2014/05/30

Holly heal レディメイドコレクション9

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こんにちは。コダマユカリです。

今回は
イタリア製の 『聖人のメダイ』 とバリシルバーを使用した
マザーオブパールの 「生きる祈りを込めた」
Holly heal alive たちです。

 *

キラキラと輝くカッティングがキレイな
4mmの小さなマザーオブパール。

家族の絆を強化 子宝 子育てのサポート 
魅力を高める

そんなニュアンスを持つクリスタルと、聖人のメダイ。

聖人の名前がメダイに入っているので、
ピンと来たものを手に入れて、
文献をあたると面白いですよ!

裏面は全て、上の画像の素敵なお花になっています☆

 *
 
クリスタルとメダイの両方でお楽しみいただける
Holly heal alive たちをお届けいたします♪




No.032 『マザーオブパール1』 
税込価格¥19,100- (税抜価格¥17,685-) 送料込
内径約15cm





No.033 『マザーオブパール2』 
税込価格¥19,100- (税抜価格¥17,685-) 送料込
内径約15cm





No.034 『マザーオブパール3』 
税込価格¥19,100- (税抜価格¥17,685-) 送料込
内径約15cm





No.035 『マザーオブパール4』 
税込価格¥19,100- (税抜価格¥17,685-) 送料込
内径約15cm





No.036 『マザーオブパール5』 
税込価格¥19,100- (税抜価格¥17,685-) 送料込
内径約15cm





No.037 『マザーオブパール6』 
税込価格¥19,100- (税抜価格¥17,685-) 送料込
内径約15cm




No.038 『マザーオブパール7』 
税込価格¥19,100- (税抜価格¥17,685-) 送料込
内径約15cm





『「作品を選んで欲しい」方に』
税込価格¥1,890- (税抜価格¥1,739-)

もし、「ご自身では選ぶのが難しい」

「どれが合っているかなどアドバイスが欲しい」
「この際さやかさんに選んでもらいたい!」
というお客さまは、
作品をお選びするお手伝いのサービスもご利用ください♪



サイズダウン・サイズアップも有料にてお受けいたしております。

・サイズダウン 税込価格¥1,080- (税抜価格¥1,000-)
・サイズアップ 税込価格¥1,080- + クリスタル・パーツ代金

サイズアップの場合、

使用するクリスタルによってお値段が変動いたします。
また、クリスタルによっては入手困難なものもあり
サイズアップ不可の作品もございます。

商品詳細に記載しているサイズは目安になります。
実際に身につけると、もう少しゆったりめの着け心地になります。

サイズ変更は、使用しているクリスタルの関係上
4mm単位での変更が基本となりますが、
まずはお気軽にご相談ください!



レディメイド購入をご希望のお客さまは

件名に 『レディメイドNo.○○○(例・No.003)購入希望』 とご入力いただき

・作品番号(例・No.003)

・作品名(例・『ラベンダーアメジスト+ミルキークォーツ』)
・お名前(ふりがな)
・生年月日
・ご住所、郵便番号
・緊急連絡先お電話番号

・サイズ変更ご希望の有無

・『「作品を選んで欲しい」方に』 をご希望の場合は
 (1)受け取る方のご氏名の 「ふりがな」
 (2)生年月日

上記内容を、


hollyheal☆gmail.com(☆を@に)


まで、メールにてお申し込みください。

スタッフ徳永より折り返しメールを差し上げます。


作品の販売は先着順となりますので、

売れてしまった場合はご了承くださいませ。

「あなたが今、惹かれるクリスタル」 がございましたら、

ぜひ、お早目にご連絡くださいね♪


惹かれるクリスタルのメッセージを読むだけでも、

今の自分の心が欲しているもの、
今の自分の状態などが垣間見えると思います!

レディメイドは月・水・金曜日の

お昼の12時にアップしていく予定です。
次回もお楽しみいただけるとうれしいです!

 *


本日も素敵な午後をお過ごしくださいね。


コダマ ユカリ



距離感

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距離感なんだ。
ということをすごく思うのです。

 *

傷つくのは、
自分と他人が混ざってしまうから。

それは、
自分の内側に「招き入れ過ぎる」から。

そして、

そこまで入ってもらえないことに
違和感を感じるからなのかも?

と思うのです。

 *

でも距離感を保ってもらえたら、
安心して話せます。

 *

ここしばらくわたしは、

記憶にあげた後、
しばらくすると震えが出てくるような

深い傷みたいなものと
じっくり向き合っています(職業病です・笑)。

これが何度も何度も、

自分の恋愛を邪魔して来た
「何か」なのは解っているので、

もういい加減繰り返すのはイヤですし、

何がどうなって
こんなに複雑になっているのか?

というのを
つぶさに観ていっているのです。

 *

もちろん背後には
しんどい経験が山積みになっていたりして

それをある種意図的に
事実を加工し、

認識している自分が
隠れていたりして、

まあ、無意識に
結構「物語になっている」ものだな…

と解ってきました。

 *

こういう心の深堀りは
深くなり過ぎてくると

自分1人でやると堂々巡りをするので、

他人のエネルギーを
受け皿に使うと俄然効率がいいです。

こんな言い方だと酷い人だっていう
誤解を受けそうですが…(笑)。

要はカウンセリングみたいなことです。

ただし、
実際のカウンセリングだと

相手のカウンセラーさんが、
相当な深度でご自身と向き合っていないと、

難しいことが多い筈です。

 *

心の深いところというのは、

自分を痛めつけないように
抽象度があがっていることが多く、

それ故に
聴き手が勝手な解釈を交えやすく

=巻き込まれやすくなります。

聴く側の力量によっては、
危ないことも多いのです。

 *

そんな訳で
わたしは文字を使う訳なのですが、

壁打のように
連日連絡をさせてもらっているお友達がいて、

はた迷惑かと思いますが
相当助かっていたりします(笑)。

やりとりをする中で、


無理したり手伝ったりしてる感はない。
関心がないわけではない。


といった内容のレスポンスがあって、

その時に、
ああ、これだ!この距離感!本当に助かる!

と思ったのです。

 *

巻き込まれないで、
居てくれる。

ということは本当に助かります。

他人のままで居てくれるというのは
実に安堵します。

何故って、
関係性にどんなレッテルが貼られようとも、

家族であっても何でも、

身体が別々に分かれている以上、
他人は他人なのですから。

そこが非常にシンプルに
現実的な視点だからです。

 *

英会話の先生とおしゃべりをしていて

イギリス人の彼が「日本人は不思議だ」と
言っていたのを思い出します。


きみと僕は別の人だから、

だから何か困っていたら
手伝いたいなと思ったり、

助けられることがあれば
やるよ、と言えるのに。

と。


今のわたしは完全に同意見です。

 *

しかし長年わたしは、
ずっと「解って欲しかった」のです。

どうして解ってもらえないのか?が、
判らなかった。

でもそれは。

今思うと「話していないから」なのです。

話していないということに
気がつけていなかった。

何故そうなったかの理由も解りました。

だけど余りにも解って欲しくて、
解ってもらえないことに絶望していたので、

自分が他人を解ってあげられたら、

きっと解ってあげた後にはわたしの番が来て、
解ってもらえるに違いない!

と幼心に思ったのです。

小学生の時でした(笑)。

 *

今は、解らなくていいじゃないか。
と思っています。

この心境の変化は何だろうと思う位です。

 *

「他人のことは解りませんからねえ」と、

入院していた時に
主治医から言われました。

彼はわたしに

「あなたは真っ直ぐ過ぎて折れてしまいそうだ」
と言った人でした。

その言葉の醸し出すニュアンスは、

自分が自分に長年抱いていた感覚と
完全に一致していたので、

衝撃でした。

その人が「他人のことは解らない」と言うなら、
そうなのだろうと思いました(笑)。

人って本当にいい加減なものです(笑)。

 *

実際は、

「どうしてさやかちゃんには解るの?」というのが
わたしの日常だったので、

その言葉の意味は、

自分にはピッタリ当てはまらない

とは思ったのですが(笑)。

でも「他人のデフォルト」はそうなのだろうと。

じゃあ、その前提で
世界を見つめ直してみようと思いました。

 *

そうすると、

解らないという前提なら
話す必要があるのですよ(笑)!

シンプルです。

勘違いされても、
ああ、解らないからなんだなと思えば

訂正も簡単です。

「チガウチガウ、そういう意味じゃなくて!」
と言うことも気楽になりました。

解らないから、
聴き合ったり出来るって楽しいなと。

解らない筈なのに、

時折「え〜!」と思う位
突然理解されたりして、

感動したりもします(笑)。

わたしの長年続いていた、

寂しくて独りぼっちの世界は
これによって大分改善されたのです。

 *

もちろん、それとは別に
「理解者」というのは居て。

理解者が
どんどん死んでいってしまうことは

わたしの独りぼっち感を強めていました。

それも、今回何が原因で、
その恐怖感が強くなっていたのかが観えました。

 *

幼稚園時代に、
小学生だった「みきのお兄ちゃん」は、

わたしを怖がらせないように、
少しずつ少しずつ距離をとってくれて、

「ここまで来たら怖くない?」
「ここなら大丈夫?」

と離れてくれました。

そしてわたしが自分から
近づいていくことの出来た最初の人でした。

そう、距離を取って
待っていてくれた人だったのです。

 *

その人がわたしの高校時代に
死んでしまった時に、

わたしは初めて彼が
とても大切な人であったことに気がつきました。

生きていてくれるだけで
支えになっている人がいたのを知ったのも、

その時でした。

亡くなったことを聴いた片耳が
しばらく聴こえなくなる位には、

ショックでした。

そして、
そのまま押し込めていた記憶だったのです。

本当に大切な人を失うという
恐怖感の原点は彼だったと思います。

 *

大切な人に生きていて欲しいと思うのは、
シンプルな気持ちです。

いつかわたし達は死んでしまう訳なのだけど、

それまで幸せでいて欲しいと思うのは、
大切だからです。

 *

過去に起った
数々の怖いことにも向き合いました。

自分が悪いと思って来たことや、
でもどう考えても納得が行かないこと。

なくなっている記憶がある
ということだけは判って、

自分のために
正直に誠実に生きていたというのに、

もはやその自分を100%信じ切るのも
難しいということ。

そのショック。

明け方、号泣しました。

 *

何度か歯の根が噛み合なくなったり
震えが酷く出た後、

距離感を感じるメールにホッとして、
泣き止んで眠って、

そして目が覚めたら。

わたしの中で、

何かがしっかり
立ち上がって来た感じがあります。

 *

過去は変えられないし、
事実は事実のままだよということ。

でもそれは記憶であって、
今あることとは違う。

共通した記憶は、
確かに今を阻害することもあるけれど、

同時に引き上げることもある。
素敵な記憶は、人を引き上げます。

あらゆる意味で、

今の自分が
過去のことによって左右されることは

当然あると思うけれど。

でも。
それは仕方ないと思う。

それでいいと思う。

 *

現状をしっかり見つめた時に、

ああ、これは
とても不利な条件が揃っているなと、

思ってからがスタートなのではないかと。

「それで、どうしたいの?」
「それでも、どうしたいの?」

ちゃんと「グラウンディングする」というのは、
本当にこういうことなのですよ。

「地に足をつける」というのは、

ちゃんと今ある自分を
見つめて、認めるということ。

何も難しいことを言っている訳でもなく、
すごく基本的なことを

そういう「言い方」で表現しているだけです。

 *

わたしが全員を
同じように大事にするのが無理なように、

みんながみんな

わたしを大事に想ってくれるなんて
あり得ないし、

でもだから人生にはバランスが保てる。

いじわるな人を大事にしても、
自分が辛くなるだけなんだから、

それこそ距離を遠くに置いて、
大好きな人達の側に居たい。

大好きな人と毎日会い続けても、
時間は多分足りない位だよね、とも思います。

 *

どんなしんどい過去があったとしても、

その自分を
大事にするかしないかは、

自分が決めていいことだなと思います。

誰かが、
決めてくれることとは違う。

「わたしが、どうしたいか」なのだと思います。

 *

わたしは自分に対して
いじわるを続けるのはもうイヤです。

眉間に皺が寄ってしまいます(笑)。

誰よりも、
自分を助け出したかった。

沢山のレッテルを
ひとつひとつ丁寧にはがして、

何故そうなっているのかを観てきました。

それは同時に、
大切な誰かを助けたかったからでもあります。

わたしは助けたかったのです。

多分…ちゃんと…相手を観て。
そして本気で助けたかった。

でもどんなに他者として存在しても、
そう出来るようになっていっても、

それは難しかった。

それでも、その時は助けたかったのです。
大切に想っていたから。

本当に辛かった時に、

その理由が実際は何であれ、

手を差し伸べてくれたことへの
感謝があったからです。

 *

笑っていたいし、
誤摩化さないでいたい。

見つめ切って、
そこで全てを行っていたい。

澄んだ水みたいな状態で、
物事を感じていたい。

わたしが、そうしたいのです。

だから、わたしは
向き合って来たのだもの、

と思います。

 *

誰かが
解ってくれなくても良い。

聴き合えたら良いから。

だから今、

ものすごく勉強して、努力して、

聴けるようになっている自分は
素敵だと思えます。

 *

お友達に、

自分でさえ向き合いきれないような、
受け容れ難いような、

こんな自分の経歴は、

つまりわたしは、
受け容れられないだろうと思っていました。

だけど。

本当にギリギリまで追いつめられて、
吐き出していった時に、

聴いてくれる人は1人や2人じゃなくて、
結構いっぱい居たのです。

 *

もうそろそろ
さやかちゃんが幸せになる番よ。

と。

祈っておくから。

と。

世間的にひいちゃうような
ご大層なレッテルを抱えているわたしに、

お友達が言ってくれるのです。

時々思いっきり気がおかしくなって
人に迷惑をかけていても、

距離を保ってくれる人がいっぱい居て、

そんな最中にも
会いたいと言ってくれる人が居て、

応援してると言ってくれる人が居て。

 *

もちろん、

非常識だとか、
それはあなたがおかしいとか、

それでは社会的信頼はないとか、

そういうのも
同じ位言われる訳なのだけど。

 *

でも。

そこに居てくれる人達は居る。

遠くなったり近くなったりするんじゃなくて、
いつも通り居てくれる人達が居る。

頭から否定したりするんじゃなくて、
何があったの?と先に聴いてくれる人達が居る。

コンディションの
おかしくなっている時も、

何もなかったみたいに
やり取りしてくれる人達が居る。

大切な人達を
ご紹介してくださる人達も居る。

こんなにめちゃくちゃなのに、
むしろそれはすごいことかも知れない

とさえ思います。

 *

だからわたしは多分。
また明日から大丈夫になると思います。


ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか