2015/05/27

劣等感も優越感もダメって言われるのは何故?




















優劣というのは、
基本的に評価基準として存在していて、

「優」は良くて
「劣」はダメなものとされていますよね?

だけど、

「優越感」や
「劣等感」と呼ばれると、

急に両方ともダメなことになっちゃう。

「え〜!何で?!」って思いませんか?

 *

優越感も劣等感も、
「自分の内側」で起ることであって、

根拠は「案外、曖昧な筈」です。

優越感に浸る時を思い出してみてください。

それは
感情的なものではありませんでしたか?

それは評価とは違いませんか(笑)?

劣等感を持つ時も同じです。

それは、事実として
明らかな根拠のあるものでしょうか?

 *

無駄に
優越感や劣等感を持ってしまうと、

自分を大きく見積もり過ぎてしまったり、
自分を小さく見積もり過ぎてしまったりして、

自分の社会的なポジションを見誤ってしまいます。

 *

更に言うと、
これは自分への自戒の念を込めて言うのですが、

自分を低く見積もり過ぎても、
相手に誤解をさせてしまう

という
デメリットが出てしまうのですよね。

それは、
自分や周囲にとって

本当に都合のいいことでしょうか?

多くの人は
成長とともに気がつく筈です。

それはイマイチなことだなあ…と。

だから「ダメ」と言われるのではないかな?
と思うのです。

 *

例えば。

わたしの弟分を公言してくれていた、
現・千葉商科大学国際教養学部専任講師

常見陽平くんの場合。

彼はわたしの実の妹と同い年の
歳下ですが、

社会的なポジションは、
大分前より「わたしより上」です。

心の話を伺うという意味では
わたしは彼より出来ることがありますが、

人脈とか、
一般的な社会的肩書きという意味では、

彼の方が圧倒的に上ですよね(笑)?

これは歴然とした事実だと思います。

 *

だからと言ってわたしが、

彼より優越感を持ったり
劣等感を持ったりするか?というと(笑)。

例えば…

<優越感的事例>
「なに常見くんたらそんなことも昇華出来ないの?
まだまだね、ふふん」と思ったりするか?

というと、しません(笑)。

<劣等感的事例>
「わたし先輩なのに常見くんよりこんなにダメだ!」
と思ったりするか?

というと、しません(笑)。

 *

こうやって

「今のわたしはこの人より、
ここは出来ている、ここは出来てないな」

という判断をするのに、

優越感と劣等感は実は必要がなくて、
「事実を淡々と見つめる力」があれば良いだけです。

それは外側の声を聴いたり
社会的扱いを観て行けばいいだけのように思います。

 *

では自分より何らかの理由で
上に立たれるなと感じる方に

もし、失礼だなと感じることをされたら…?

いつまでも改める気がなさそうなら
わたしは人として怒ります。

それは相手が誰であっても
わたしはそうしています。

心理的距離感が遠い方の場合は、
黙っているかも知れませんが(笑)、

お友だちや親しい間柄だったら怒ります。

ずっと考えに考えて
やっぱりおかしいと思って

3年後に(笑)←本気で考え続けていた証拠。

ここまで考えたけど、
やっぱりあれはあの状況の中で
あなたの肩書きで言って良いこととは違うと思う。
おかしいと思います。傷つきました!

みたいなことを
自分の納得のためにやることもあります(笑)。

またいくら歳下だからと言っても、

誰か本当に必要な方を
ご紹介いただいたらそこは、

丁寧語で「ありがとうございます」と受け答えします。

それは肩書き云々を越えて、
「個人としての立ち位置」を見誤りたくないからだし、

「そこはあなたの方が上です」
「ありがたいです」「感謝しています」

ということを伝えたいとも思っているからです。

これらも

「優越感も劣等感も、ない状態だ」と
観てもらって良いと思います。

 *

また、逆のパターンもあります。

大変立派な肩書きを持たれる
歳上男性の場合もありますよね!

わたしはスタンスは同じです。

失礼なことをされたと思ったら、
大切に想う方ならしっかりお伝えします。

歳上の女性でも、歳下の女性でも、同じです。
もちろん同い年でも同じです。

これは高校時代には
自分の中で非常に明解だったことで、

自分より出来ている人を認められなかったら、
自分はそこ止まりである。

という感覚から来ています。

 *

自分より出来ている人が
身近に居たら、超ラッキーです。

どうやってそうなったのか、
何を努力したら良いのか、

すぐに質問出来ますからね(笑)!

もしも、

自分より出来ている人を下に観てしまったら、

結果的には、
出したものが戻りますから、

自分がどこかで見下されることにもなります。

実際その瞬間から
相手の顔を潰すことになりますし、

相手の能力を潰してしまう可能性があります。

それは誰にとっても良いこととは思えないのです。

 *

「あなたとわたしは、違うだけ」
ではないでしょうか?

どっちが好きかは相手次第です(笑)。
どっちが優秀に観えるかも、相手次第です。

(同時に自分次第です)

そしてその基準は、

属しているあらゆる意味での
「レイヤーによって違うもの」ですよね?

自分が属したいレイヤーの中で
自分が機能していれば良いだけです。

今、属したいレイヤーに行けていないのであれば、

持つのは劣等感ではなくて、
努力のためのモチベーションの筈です。

 *

わたしはクリスタルのことはおしゃべりできますが、

例えばそれは、
家庭の中では無意味に近いです。

家事を出来た方がいいです(笑)。

ただ、ここで
劣等感を持っても仕方ないな…

というのがわたしの私見(笑)。

やってこなかったことが急に全部出来たら、
他人なんて要らないし、

地道にやってこられた方々だって
気分が悪いと思いますよ(笑)。

みんな、困っちゃいますものね!

やってこられた方々は、
応用が早いことはありますから、

そこで「ええ!もう出来るようになったの?!」と
思う方はいらっしゃるかも知れませんが(笑)。

そこは、
積み上げ方の違いだと思います。

 *

苦手なところを教えてくれる方が居て、
得意なところを教えてと言っていただいて、

そうやって循環していたら?

劣等感も優越感もなくて済みませんか?

そういうの…
大分気持ちが良いなと思ったりしています。

 *

ちなみにわたしの本音は
社会的にどうこうよりも身近なところで、

自分が「本当にこの人すごいな!」と思っている人達から
認めてもらえていれば、

勇気百倍です(笑)。

正直あとは、どっちでもいいです(笑)!
そんなもんじゃないでしょうか?


ストーン・コンシェルジュ / 作家 みたけさやか

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