優劣というのは、
基本的に評価基準として存在していて、
「優」は良くて
「劣」はダメなものとされていますよね?
だけど、
「優越感」や
「劣等感」と呼ばれると、
急に両方ともダメなことになっちゃう。
「え〜!何で?!」って思いませんか?
*
優越感も劣等感も、
「自分の内側」で起ることであって、
根拠は「案外、曖昧な筈」です。
優越感に浸る時を思い出してみてください。
それは
感情的なものではありませんでしたか?
それは評価とは違いませんか(笑)?
劣等感を持つ時も同じです。
それは、事実として
明らかな根拠のあるものでしょうか?
*
無駄に
優越感や劣等感を持ってしまうと、
自分を大きく見積もり過ぎてしまったり、
自分を小さく見積もり過ぎてしまったりして、
自分の社会的なポジションを見誤ってしまいます。
更に言うと、
これは自分への自戒の念を込めて言うのですが、
自分を低く見積もり過ぎても、
相手に誤解をさせてしまう
という
デメリットが出てしまうのですよね。
それは、
自分や周囲にとって
本当に都合のいいことでしょうか?
多くの人は
成長とともに気がつく筈です。
それはイマイチなことだなあ…と。
だから「ダメ」と言われるのではないかな?
と思うのです。
*
例えば。
わたしの弟分を公言してくれていた、
現・千葉商科大学国際教養学部専任講師の
常見陽平くんの場合。
彼はわたしの実の妹と同い年の
歳下ですが、
社会的なポジションは、
大分前より「わたしより上」です。
心の話を伺うという意味では
わたしは彼より出来ることがありますが、
人脈とか、
一般的な社会的肩書きという意味では、
彼の方が圧倒的に上ですよね(笑)?
これは歴然とした事実だと思います。
*
だからと言ってわたしが、
彼より優越感を持ったり
劣等感を持ったりするか?というと(笑)。
例えば…
<優越感的事例>
「なに常見くんたらそんなことも昇華出来ないの?
まだまだね、ふふん」と思ったりするか?
というと、しません(笑)。
<劣等感的事例>
「わたし先輩なのに常見くんよりこんなにダメだ!」
と思ったりするか?
というと、しません(笑)。
*
こうやって
「今のわたしはこの人より、
ここは出来ている、ここは出来てないな」
という判断をするのに、
優越感と劣等感は実は必要がなくて、
「事実を淡々と見つめる力」があれば良いだけです。
それは外側の声を聴いたり
社会的扱いを観て行けばいいだけのように思います。
*
では自分より何らかの理由で
上に立たれるなと感じる方に
もし、失礼だなと感じることをされたら…?
いつまでも改める気がなさそうなら
わたしは人として怒ります。
それは相手が誰であっても
わたしはそうしています。
心理的距離感が遠い方の場合は、
黙っているかも知れませんが(笑)、
お友だちや親しい間柄だったら怒ります。
ずっと考えに考えて
やっぱりおかしいと思って
3年後に(笑)←本気で考え続けていた証拠。
ここまで考えたけど、
やっぱりあれはあの状況の中で
あなたの肩書きで言って良いこととは違うと思う。
おかしいと思います。傷つきました!
みたいなことを
自分の納得のためにやることもあります(笑)。
またいくら歳下だからと言っても、
誰か本当に必要な方を
ご紹介いただいたらそこは、
丁寧語で「ありがとうございます」と受け答えします。
それは肩書き云々を越えて、
「個人としての立ち位置」を見誤りたくないからだし、
「そこはあなたの方が上です」
「ありがたいです」「感謝しています」
ということを伝えたいとも思っているからです。
これらも
「優越感も劣等感も、ない状態だ」と
観てもらって良いと思います。
*
また、逆のパターンもあります。
大変立派な肩書きを持たれる
歳上男性の場合もありますよね!
わたしはスタンスは同じです。
失礼なことをされたと思ったら、
大切に想う方ならしっかりお伝えします。
歳上の女性でも、歳下の女性でも、同じです。
もちろん同い年でも同じです。
これは高校時代には
自分の中で非常に明解だったことで、
自分より出来ている人を認められなかったら、
自分はそこ止まりである。
という感覚から来ています。
*
自分より出来ている人が
身近に居たら、超ラッキーです。
どうやってそうなったのか、
何を努力したら良いのか、
すぐに質問出来ますからね(笑)!
もしも、
自分より出来ている人を下に観てしまったら、
結果的には、
出したものが戻りますから、
自分がどこかで見下されることにもなります。
実際その瞬間から
相手の顔を潰すことになりますし、
相手の能力を潰してしまう可能性があります。
それは誰にとっても良いこととは思えないのです。
*
「あなたとわたしは、違うだけ」
ではないでしょうか?
どっちが好きかは相手次第です(笑)。
どっちが優秀に観えるかも、相手次第です。
(同時に自分次第です)
そしてその基準は、
属しているあらゆる意味での
「レイヤーによって違うもの」ですよね?
自分が属したいレイヤーの中で
自分が機能していれば良いだけです。
今、属したいレイヤーに行けていないのであれば、
持つのは劣等感ではなくて、
努力のためのモチベーションの筈です。
*
わたしはクリスタルのことはおしゃべりできますが、
例えばそれは、
家庭の中では無意味に近いです。
家事を出来た方がいいです(笑)。
ただ、ここで
劣等感を持っても仕方ないな…
というのがわたしの私見(笑)。
やってこなかったことが急に全部出来たら、
他人なんて要らないし、
地道にやってこられた方々だって
気分が悪いと思いますよ(笑)。
みんな、困っちゃいますものね!
やってこられた方々は、
応用が早いことはありますから、
そこで「ええ!もう出来るようになったの?!」と
思う方はいらっしゃるかも知れませんが(笑)。
そこは、
積み上げ方の違いだと思います。
*
苦手なところを教えてくれる方が居て、
得意なところを教えてと言っていただいて、
そうやって循環していたら?
劣等感も優越感もなくて済みませんか?
そういうの…
大分気持ちが良いなと思ったりしています。
*
ちなみにわたしの本音は
社会的にどうこうよりも身近なところで、
自分が「本当にこの人すごいな!」と思っている人達から
認めてもらえていれば、
勇気百倍です(笑)。
正直あとは、どっちでもいいです(笑)!
そんなもんじゃないでしょうか?
ストーン・コンシェルジュ / 作家 みたけさやか
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