2015/05/25
「出来る」と「やってきた」は違うよね?
「出来る」と思うことはあっても、
「やってきたかどうか?」が
シビアに問われるのが実社会かなあ?
と思います。
*
出来ているのに、
認められないのと、
やって見せてこなかったので、
認められないのとでも
歴然とした差があります。
*
それは資格を持っているとか持っていないとか、
そういうレベルの話ではなくて。
経験して来たかどうか、
経験をシェアして来たかどうか、
というシンプルな話かなと思います。
*
他人に対して
何かを過剰に
うらやましく、ねたましく思うとしたら、
その前に自分で
やることがある筈ではないだろうか?
ということを思います
それは、
自分には同じことをやる勇気が
本当にあるのだろうか?
ということの自問自答だと思います。
自分は同じようなことを
社会的に発言して来ただろうか?
という事実確認だろうと思います。
*
もし、
ここの判断が
難しくなってしまうとしたら、
それは自分と誰かを
自己同一視し過ぎてしまっている証拠
かも知れません。
*
親子で起りがちな、
恋愛関係で起りがちな、
時には親しい友達関係で起りがちな、
ことなのだろう、と思います。
どんなに親しくても、
身近に居ても、
24時間同じことを積み上げている人が
居るでしょうか?
例えば、双子だって違うと思いませんか?
*
出来ると思うなら
やってみたらいいのです。
やって見せられたら、
そこからがスタートです。
「やってみせて来た」人達に
並べる可能性が、
そこで初めて出てくるのですから。
ストーン・コンシェルジュ / 作家 みたけさやか
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