2016/09/01

心と言葉の不思議(意識編)




















他人のダメ出しをよくする人がいて、

その人が
「〜はダメでしょう」「〜じゃダメでしょう」と
言っているのをよく聴くのだけど、

自分に近い人が、
「〜はダメでしょう」と

言われると…無理だ、という話。

 *

出会った人はみんな大切に、と言う人がいて、

それにしてはおかしいなと感じることを
率直に問いかけた時、

でもそれ嘘だろうなあ…と第三者が感じることを
平気で言ってくるという話。

 *

そういう不思議に
出会ったことはありませんか?

 *

引き寄せの法則を曲解すると、

引き寄せている自分がダメな人
ということになるのだけど、

…ちょっと待ってください。

それに「違和感を覚える」のであれば、
明らかにそれは、その人の問題なのです。

 *

矛盾が起こる時は、
背後に見え隠れする「理由」のあることが多いです。

 *

例えば、

無自覚に批判的な「理由」と、

それが自分に戻って来た時に
すんなり受けとれない「理由」は、

その人の「A面とB面」であることが考えられます。

 *

批判することで得られるのは、自己優位性。
批判されることで得るのは、自己劣等性。

そこには、

「その人自身の位置づけた在り方」が
透けて観える筈です。

どうしてそうなっているのかの
「原因」もある筈です。

 *

多くは何らかの自己防衛本能から
無自覚に行われるので、

本人は気がつけないままということが多い。

だとしたら…
すごくもったいないことです。

 *

言葉の「意味付けの問題」もそこには加わって来ます。

「大切に」とはどういうことか?

当り前過ぎて見落としがちですが、
「定義が人によって違う」ということです。

これによって、

受け手からは矛盾して観えても、
その人の中では整合性が取れていることもある

という訳です。

 *

言葉の背後にある振れ幅が大きければ、

「理解出来ない人」
「価値観の合わない人」になるでしょうし、

近ければ

「判りやすい人」
「価値観の合う人」になるでしょう。

 *

他人を救う嘘は、
時に善としてあるなあ…と感じるけれど。

多くは自他共に
居心地の悪いものではないか?と

思うのです。

どうなのでしょうね?

 *

自分が深まるにつれて、

人は「まんまの自分」を自己肯定する
重要性に気がついて行くものですが、

過去に受けた否定からくる反動のフィルターは、
誰しもが案外根強く持っているもの。

批判も嘘も、
こういうところが案外根っこにあるなあ…

というのが、自分自身の経験も含め
観て来た実感です。

気がついて超えて行くまでは、
ちょっぴり厄介ですよね。

 *

いずれにしても、
不思議な人達とのご縁をどう扱うかは

自分次第。

そんなことを思いつつ迎えた9月初日です。


素敵な一日をお過ごしください。


ストーン・テラー / アクセサリー作家
みたけさやか

0 件のコメント: