2016/09/02

心と言葉の不思議(身体編)




















昨日の話を「身体優位」で観るとどうなるか?
少し考えてみました。

観え方が
もっと感情に近づいて来ます。

 *

例えば、

言ったことが戻って来てるだけなのに、
何傷ついてるの?!

みたいなことだったり、

言ってることとやってること違うじゃん!

という指摘だったり。

 *

嘘だよそれ!

という怒りと反発だったり、

嘘つかれていると感じて哀しい、

だったりするかも知れません。

 *

そこには発熱みたいな身体の温度感も含まれます。
感情は身体属性が高いのです。

幼いと感じるでしょうか…?

でもこれは、
「自分を大切に」という言葉から観ると、

とっても大事な部分だったりします。

 *

感情を「どう表現するか」は、
言葉や態度を選べます。

でも感情自体は沸き起こるものですから、
それはそれとして味わう。

その感情を持っているのが、
あなたであり、あなたの身体意識だからです。

 *

近年は脳化が進んでいるので、
感情の扱い方に不慣れな人が増えているように思います。

それは身体の使い方を知らずに育つ
ということも含まれているのかなあ…と感じています。

カッと来たら
それが暴力沙汰になるみたいなことは、

そのひとつの事例だろうと思います。

 *

そして膨大な情報量を生きているために、

感情を感じ切る余裕を
持ち難くなってもいるのかなとも思います。

 *

自分として「生きている実感」は
身体属性のあること。

喜怒哀楽を「感じる」からこそ
際立つものだろうと思うのです。

身体は人によって本当に
目に見えて違います。

違うということは、
感じるものも厳密には違っているのです。

そこにはきらめくように
自分だけの、独自の感覚がある筈です。

 *

自分をどう大切にしたらいいのか判らない。

そういう言葉を
よく聴かせていただいた時期があります。

感じることを取り戻すのがいいように思います。

目の前に何かが起こった時、

「どうしたい?」
という問いかけに対して、

子どものようにシンプルに
一度応えてみることだと思います。

「泣きたい」
「笑いたい」
「怒りたい」
「飛び跳ねたい」

溢れてくる感情に耳を澄ましてあげる。

その後で、
大人の判断をしたらいいように思うのです。

その分には納得済みなので、

「ここで泣いたら〜だから」も
「泣けなかった」にはならない。

「泣かなかった」という選択になる筈なのです。

 *

不思議な人達と出会った時に、
離れるのも見守るのも、

自分次第。

そこには他者への愛情が
大きく関わっているものだよなあと、

お友だちとやり取りをして、感じもしました。

 *

身体と意識と、
両方を持ち扱えている「人」だから。

わたし達は
楽しいのかもしれないなあ…と思うのでした。


今日も素敵な一日をお過ごしください。


ストーン・テラー / アクセサリー作家
みたけさやか

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