2013/09/07
風立ちぬ、を見て来ました
フィレンツェ行きの旅程表をもらいに行った帰りに、
急に思い立って
「風立ちぬ」を観て来ました。
昨日の引退記者会見を拝見しての
今日だったからだと思います。
*
宮崎駿さんの「ナウシカ」の原作マンガは、
中学生の頃クラスで回っていました。
それ以降、
宮崎さん達の作られる世界は、
成長過程の中で外せない
ひとつの要素だったな…と思います。
*
わたしの通っていた中学校では
卒業映画?なる企画があり、
卒業前に学校が
卒業する生徒に映画鑑賞を用意してくれていたのですが、
それが(確か公開間近の)
『天空の城ラピュタ』でした。
観る前は不遜にも
「中3にもなってアニメかよ〜!」
なんて言っていたのですが、
観終わったら
いたく感動をして
「パズーかっこ良かった!」(感想が浅い・笑)
なんて盛り上がってもいました。
*
今回の『風立ちぬ』は、
宮崎さんの作品には珍しく
賛否両論が表向きにすごくある映画ですよね。
わたしは今回拝見をして、
これは感想を迂闊に言えない映画だなあ…
と感じています。
*
面白いとか面白くないとか、
そういうことではなく、
宮崎駿さんという作り手そのものを感じる
内容だったからです。
それはテーマを語るための物語ではなく、
その人の生き様だったのではないかな、と
感じるからだと思います。
*
わたし自身の「もの作り」は
物心ついた頃には始まっていて、
最初に絵の具の筆を握ったのは2歳だか3歳だか、
そういう時期でした。
その後、
作ることは41歳の今に至るまで、
ずっとわたしの心の中に
大きなウェイトを占めています。
*
「作る」というのは、
出来ることも出来ないことも、
迷いも、考えの浅さも、小難しさも、
弱さも、ずるさも、逃げも、
全て、
全てを表してしまいます。
*
「見る目」を育てるのは
自分を伸ばすためには
とても大事なことなのだけれど、
自己否定が強過ぎると、
それによって
首を絞められてしまうこともあると思います。
これはわたしにとって
長年の恐怖でした。
気楽になんて全く作れませんでした。
*
そうして
「命からがら」出来上がったものは、
得てして大したことはないのです。
それが表に晒された時、
もちろん言ってもらうために
差し出しはするのですが、
人は
対人関係の過剰にも思える程の配慮を
何故か脱ぎ捨てて、
出来たものについては
容赦なく「良い悪い」言うのですよね(笑)。
自分の想いとは
かけ離れた感じ方や解釈も当然入って来ます。
それは、
自分が表現しきれなかったことへの
当然の結果ではあるのですが、
若い頃は
これにまた耐えるのが難しくて、
わたしはずっとずっと
評価と
そこで向き合わされる
現実の自分像から逃げていたのです。
*
興行というのは、
こういう自由な創作とは比べ物にならない程
もっとシビアな世界です。
わたしはエンタテインメントの会社で
アートディレクターをさせていただいていた時期もあるので、
その裏側を垣間みて来ました。
このシビアな世界で、
世界に通用するものを、
沢山の人と一緒に創れる。
これはもう本当に恐るべき才能だと思います。
*
わたしは小さい頃から空想癖があって
イメージを膨らませるのは得意なのですが、
怖くて実行が出来ない、
典型的な人でした。
頭の中でグルグルしたまま、
それ故に手が動かせませんでした。
だけど、
出来る人はそもそも恵まれていて葛藤がない
なんて言うのは、
浅はか過ぎる想像だと思っていました。
それは創る人達を
身近に観て育った経緯もあったのだと思います。
彼らはちゃんと同じようにそれにぶつかり、
越えて来ているだけなのです。
わたしがそれに
本当に気づかされたのは
大学時代でしたが、
それでも、自分の、
足らないと感じる力量を
認められるようになるまでに、
わたしは作ることが怖くて、
葛藤し続けました。
*
「もっと楽しく創ればいいのに!」
と言われることは多かったですが、
わたしにとって創ることは、
もっと命に近いものなので、
さらっとやれるようになるには、
精神的な成熟が必要でした。
*
今でこそ、
出来なくて当り前だからまずやってみて、
ダメだなと思うところを
どんどんブラッシュアップすればいいよね♪
ダメだと感じられるうちは、
もっともっと良くなる可能性があるということだから、
それが見えていることは非常にいいことだわ♪
と思えるようになっていますが、
それは…つい最近のことなのです。
*
創ることは、
わたしレベルであっても
生半可なことではなかった、のです。
*
『風立ちぬ』を観終えて、
同じ作り手の1人として
すごいものを見せていただいた気持ちになりました。
観る、ではなく。
見る。
それは背中のようなものです。
あれは、
わたしの知り得ない領域の物語です。
*
作るとは、創るとは、なんてことだろうか!と思って、
思い出すと泣きそうになります。
創ることを生きることにするということは、
なんて壮絶なんだろうとも思います。
そして、
最後のシーンの許容と「ありがとう」は、
あれは、一体何だろうか…?と。
あれは、
願いなのかなあ、祈りなのかなあ、
まだ知り得ないものだ…、ということを感じます。
*
でもあの最後によってもたらされる、
希望のようなものは…。
宮崎駿さんが「終わる」理由だったように
思いました。
ああ、もうこれ以上は、という。
40そこそこのわたしには言葉にするのが難しい、
そういう何か、を感じたのでした。
*
宮崎さんの映画には、
飛ぶこと、
空飛ぶ乗り物がずっと出て来ています。
わたしは最後の最後に、
「宮崎さんにとってあの空飛ぶ乗り物達は、
何を表しているのだろうなあ…」と。
そのことを思いました。
*
「美しい」という言葉が沢山出て来ます。
これまで未来を切り開くために戻って来た
飛ぶ乗り物は、
この映画では
一機も戻って来ませんでした。
でも、そこに描かれた、空飛ぶ乗り物は、
これまでのどれよりも削ぎ落とされて
美しいカタチを持っていたように感じます。
ただ、飛行機を舞い上がらせる風は、
最後まで吹いていました。
*
解りやすい物語の楽しさはないかも知れません。
でもわたしには、
これまで観たどの作品よりも、
気になる作品でした。
きっとこの先も歳をとってゆく中で、
教えを請うように
振り返るように観るのだろうなと思います。
ストーンコンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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