2007年の春まで、
フェレットを飼っていました。
子育てのような気持ちでした。
*
2007年の春に、
長男だった将太が亡くなりました。
2006年に、
次男のずん太が亡くなった時は、
すぐに大きな声で泣き喚いて
感情を放出できたのですが、
将太の時は、
余りにもショックだったので、
殆ど泣くことが出来ませんでした。
危うかったです。
*
将太もずん太も、病気持ちでした。
将ちゃんは、
前の飼い主さんが
小さな将太の足をケージに挟んでしまったらしく、
出会った時は、びっこをひいていました。
その、
前の飼い主さんが、
他の子と替えてくれと言ってきたので、
ペットショップが引き取って、
前の飼い主さんには
新しい子をお渡ししたのだと聞きました。
*
わたしは動物を飼うのが初めてだったのですが、
将太には余りにも心を惹かれて、
この子を連れて帰りたいですとお話し、
ただでいいです。
その代わり可愛がってあげてくださいと言われて、
ただでもらって帰ってきました。
*
まだちいちゃかった将ちゃんは、
ガブガブ噛む子で、
こっちは流血しながら
やっては困ることを教えたりと、
ある意味手がかかりました(笑)。
フェレットは元々肉食の子達なので、
歯も鋭いし、
最初の頃は、
噛まれるのが本当に怖くて、
足首にタオルをぐるぐる巻いて
ガードしてから遊んでいましたから、
なんか、
今思うと必死過ぎて滑稽です(笑)。
*
最後まで、
わたし以外の人に抱っこされると
噛む子だったので、
最初の飼い主さんのところで受けた
ショックが大きかったのかなあ…と思っていました。
*
ずんちゃんは、
将太の遊び相手をと思って飼い始めました。
この子は、
ずっと売れ残っていて、
プレーリードッグさんが
木屑をばばば~っと掻き揚げる
粉粉の中で暮らしていたところを
ショップの方が引き取ってきたという経歴を持っていました。
おっとりしてみえたし、
しばらく同じお試しケージの中で遊ばせても
仲良く見えたため、
連れて帰ることにしました。
*
ずっと咳が止まらなくて、
お医者さまに連れて行ったところ、
心疾患があることが判明し、
毎日薬を飲ませていました。
*
ずんちゃんは、
お薬を飲み始めたら俄然元気になり、
結構乱暴ものである事が判明しました(笑)。
同じサウスランドニュージーの子だったのですが、
2匹の性格の差が本当に面白かったです。
湖に連れて行くと、
将ちゃんは怖がって
腕の中で震えるのですが、
ずんちゃんは、
水に突進していくので慌てて止めに入る感じでした(笑)。
面白かった。
本当に可愛かったです。
*
ずんちゃんは、末期、
酸素テントで寝起きをしていました。
わたしは仕事も手につかず、
毎日看病をしていました。
それまでは、
ペットのために会社を辞めてしまう話などを聴くと、
何でなんだろう?と思っていましたが、
実際我がことになってみて初めて、
ああ、手がつかないものなんだな…と実感しました。
*
看病と言っても、
いつもと変わらず毎朝毎晩のケージの掃除に、
ご飯をあげるだけなのですが、
他のことが一切出来なかったという記憶です。
毎日将ちゃんと遊ぶこと、
2匹のケージのお掃除と看病。
それだけで余裕がなかったのですから、
不思議だなと思います。
*
その日の朝、
わたしは何かが限界で、
ずんちゃんのケージを
お掃除できませんでした。
*
その日の晩、
ずんちゃんは酸素テントになっていたケージから
何ヶ月ぶりかに外に出てきて、
爆発的な勢いで、
大好きだったベッドの下にもぐったり、
ソファの下に隠れたりして、
そして、
当然のように、
息を引き取りました。
*
わたしはその日、
本当に限界だったし、
何度その日を迎えても、
多分掃除は出来ないと思います。
だから、後悔はありません。
ずんちゃんは、
あんまりにも優しかった。
わたしはずんちゃんが出てくるのを
止められませんでした。
くたっとなった
ずんちゃんを抱きながら、
ずんちゃん!ずんちゃん!と叫ぶようにして
沢山泣きました。
*
その後わたしは、
葉山に引っ越しをしました。
大きなお家の中で、
将ちゃんをなるべくケージに閉じ込めないで
遊ばせるようにしました。
小さなケージに、
殆どの時間閉じ込めてしまう生活に、
わたしはすごく疑問を抱いていて、
それでも、
彼らを放っておくと
お部屋がぐちゃぐちゃになるということが怖くて、
長いことケージに閉じ込めていたのです。
*
結論から言うと、
将ちゃんは、
がんにかかっていました。
わたしは、
ぎりぎりまで気がつきませんでした。
そして、
痛みに耐えている
将ちゃんの逆立った毛を見て、
発情期でも来たのかな?というような
見当はずれな事を思っていたくらいです。
更には、
わたし自身に全く余裕がなくて、
将ちゃんの毛玉ケアを怠り、
2度も腸閉塞の開腹手術を受けさせてしまいました。
あの頃何故か、
2匹の大好物だった
マンゴーを
将ちゃんに
食べさせてあげられなかったのです。
マンゴーは、
腸のお掃除に大事だったというのに!
*
将ちゃんは
モルヒネ注射を受けても消えない
激痛の中、
わたしに抱かれて星になりました。
病院の方にお礼を言って、
その足で
まだ温かい亡骸を持って友達に会いに行き、
その人の前でだけ
2時間位泣きました。
*
でも、その後、泣けませんでした。
ケージを翌日には処分し、
未開封のフードを病院に引き取ってもらい、
亡骸はずんちゃんと同じ山に埋めに行き、
でもわたしは、
将ちゃんを送り出せませんでした。
いなくなってしまったことを
受け入れるのが、
ずんちゃんの時の、
何十倍も難しかったです。
*
左が、ずんちゃんで。
右が、将ちゃん。
2匹が、昨日初めて、
夢に
出てきました。
*
ずんちゃんは、
眠っていたと思ったら、
その後
消えてしまいましたが、
将ちゃんは、
1回逃げて
興奮して全身の毛を爆発させながら
最高にうれしそうに
ぴょんぴょんと走り回った後、
「将ちゃんこっち来て!」
と呼んだら
真っ直ぐ走ってきました。
あんまりにも
真っ直ぐ走ってきたので、
わたしは噛まれちゃうのが怖いと
ちょっと後ずさりして、
それから意を決してしゃがみ、
「将ちゃん」と呼びかけると、
将ちゃんは、
両前足をわたしの膝にのせて来ました。
両目には、
愛情と信頼が宿っているかのようでした。
何かが通い合いました。
*
次のシーンでは、
将ちゃんが立ってお祈りをしていて、
そこは病院でした。
将ちゃんは、
この後手術を受けるようでした。
*
銀色のパッドの中で
両手を組んでお祈りをしている
将ちゃんに、
大丈夫だよ、と声をかけたら、
将ちゃんはにっこり微笑んでいました。
*
目が覚めました。
*
今年になって、
将太にそっくりな
フェレットの肖像画を手に入れました。
将太は戻ってきてくれました。
ずんちゃんも戻ってきて欲しくて、
お人形制作を
お願いしたのですが、
そのお人形は、
ずんちゃんではありませんでした。
一体お願いしたはずのお人形は、
1匹と
ちっちゃい子2匹の
3匹セットになって我が家へやってきました。
*
3匹のお人形の中に
ずんちゃんがいなかったことについて、
わたしは普段
あまりそういう考え方をしないのですが、
ずんちゃんは、
きっと命の輪廻を終えたんだなあ…と、
思いました。
ずんちゃんとは
終わったんだなと。
寂しかったけれど、
納得がいきました。
ずんちゃんは、
人のために命を使える子だったから。
*
しかし
将ちゃんに対しては、
本当に本当に
申し訳ないことをしてしまっていたので、
今でもごめんね、ごめんね、と思うのです。
どうしてお母さんは、
あなたが痛みに耐えていることに
気がついてあげられなかったんだろう。
どうしてあんな小さな身体に2度も
防げる手術を受けさせてしまったのだろう。
ケージのお掃除をさぼったり、
遠方に引っ越して
独りぼっちにさせる時間を長くしたり、
してしまったのだろう。
*
将ちゃんが死を向かえる前日、
お風呂に入っていたら
わたしのお腹にも鋭い痛みが走りました。
将ちゃんの激痛が
飛び火してきたような痛みでした。
あれから、時々、
身体が思い出すかのように
痛みを発します。
*
今朝、
目が覚めた時、
わたしのお腹には
引き吊れるような痛みがありました。
将太のことがあってから、
何度病院に行っても原因の見つからなかった
痛みが、
輪郭を持って現れてきた感じです。
病院に行かないとね。
とりあえず温めて、
姫川薬石をポケットに入れて凌ごうかな(笑)
と思います。
*
2匹とも、
子供だったんです。
わたしにとっては。
2匹とも、
病気になっても最後まで、
毛がふさふさの、ふわふわでした。
わたしが、
ふわふわの毛が大好きなのを
知っていてくれたのかも知れません。
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