2016/02/26
身体に居ることと居ないこと
意識優位の方のお話を伺うと、
モルガナイトやフローライトのような感じの
人が多いなあと思います。
(敢えてピンク系のクリスタルで
おしゃべりする理由はこちらに)
それは繊細で
ともすると細い鍼灸の針みたいな
そういう鋭敏さを持った印象でもあります。
*
身体と意識の距離感を伺ってみると、
「意識が身体を操り人形のように操っている感覚」
とお話が出ることもありますし
実際わたしもそういう感覚が
何十年も強かったです。
こういうのを身体に居ないことが多い=意識優位
と呼んでいたりします。
*
例えば、泣いているとして、
「あれ、わたしなんで泣いてるんだろう?」みたいに
ふっと意識が疑問を持って、
「これって嘘泣きなのかなあ…???」のように
混乱が始まるとしたらこれは意識優位。
「嘘泣きは、意図して泣くこと」なので
これは「嘘泣きではない」のだけど、
「身体に属する感情」から、
意識が遠くに居るので、
身体優位の人みたいに何の疑いもなく
喜怒哀楽することは難しい訳なのです。
*
そして、世の中の多くは、
身体優位です。
まだまだ物質世界が現代のトレンドですし、
意識優位も行き過ぎると病気との差異が
判りにくくなるため、
この境界を見抜けるお医者さんも少ない。
自分で状況説明出来る人も少ない。
故に、身体的であろうとする傾向が
人にはありますし、
解りやすいからでもあると思います。
*
とはいえ、
身体に居ないメリットもあるんですよ!
感情が身体属性なのはお話しした通りですが、
身体を傷つけられたり、
深く気持ちが傷ついたりすると、
気持ちをそのまま感じ過ぎた時に、
現実感が狂うことってあります。
例えば、
DVを受けてしまったり、
親しい方が亡くなられたりした時。
「これって現実なのかな?」
「夢なんじゃないかな?」という
気持ちがやってくるような辛さや
辛さに気がつけない位の強い感情がある時は、
人は自動的に意識優位になって、
身体を活かそうとします。
ちょっと語弊は生じますが、
もっと簡単に言うと「冷静になる」ために、
意識優位になる必要があるということです。
*
そして、冷静な判断や事実関係の把握など、
思考的、理知的な世界感。
いわゆる「男性性」的な、
=「左脳的」な機能は非常に意識優位です。
行き過ぎると「コンピューター」とあだ名されるような
冷静さになってしまうのだけど(笑)、
恐らく何人も、
心当たりのある方は、いらっしゃる筈です♪
*
身体の感覚を消してしまうと、
外側の事実だけが簡単に認識出来ます。
「気持ち良さ」と「不快さ」、
それによって生じる、
感情が全て止まるからなんですよね。
身体的に言うなら
「強い意識の集中状態」だし「緊張状態」が意識優位。
常任離れした仕事量をこなせたりするタイプは、
ただ体力がある訳じゃなくて、
意識優位。
そうじゃないと
コントロールはかけられないですよね?
*
でもこれ、
心身のバランスを
崩しやすい状態でもあるんですよね。
簡単に言うと生活感が狂って来てしまう。
*
という訳で、今日は質問!
さて、そういう時に。
どうやって自分を取り戻しますか?
*
答え合わせは明日に♪
素敵な一日をお過ごしください。
ストーン・テラー / アクセサリー・アーティスト
SAYAKA
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