2012/12/09

愛も信頼も育むものとして

















愛も信頼も、
それは確かに「既にある」ものなのだけど、

現実的な領域においては、

愛も信頼も、

それは、
育てるものなんじゃないかなあ…と思っています。

それは、
関係性を育てる、

ということなんじゃないかなあ?

とも思っています。

 *

突然人を
好きになったり嫌いになったりするとしたら、

それは相手を
あまり知らないことが原因なのではないかなと感じます。

そして、知らないのは、
当り前のことだよな、ということを思います。

だから、
好きになっても嫌いになってもいいのだけれど、

そうやって急上昇と急降下を繰り返して
ヘトヘトになるのだとしたら、

ちょっとずつ好きになったり嫌いになったりしてみるのも
いいかもな~なんて思うのです。

これはもう、わたしの
失敗多数の経験から来るひとつのやり方でしかありませんが(笑)。

そうやってると、
案外みんなのことが好きなままだったりするのです(笑)。

 *

今の自分と
気持ちよく合うか合わないかはありますが、

人って、本当に
みんな、いいところがあるものですよね♪

逆もまたしかりで、

やっぱりどんなに好きな人にでも、
どんなに身近な人であっても、

ぎょっとすることや、
え~!まじで!?と思うこともあるわけです(笑)。

自分を育ててくれた両親が相手であっても、
それは時にありますから(笑)、

他人だったらもっとある筈です(笑)。

それはきっと、
当り前のことなのだと思います♪

 *

人同士は、
解っていたり解っていなかったりしますから、

誤解だって、いっぱい起こります。

それも当り前のことかなと思います。

そういうものだよね、という前提で、
思い切って、大好きになるのもいいですし、

それが恐かったら、
ゆっくり関係性を育めばいいのではないかなあ~と思います。

 *

わたし自身は、

喧嘩は
仲良くなるために出来た方がいいかなとか、

言葉は
仲良くなるために使えた方がいいかなとか、

そんな風に思っています。

でもそれだって。

絶対的な価値観である訳もなく、

わたしはそうだけど、
例えば、

もし青木の価値観が別に違っちゃってたとしても、
それで全然いいのです(笑)。

それでも別に仲良しのままだと思います(笑)。

 *

違う考え方があるし、違う生き方があるし、

どれも正解と言えば正解だし、
不正解と言えば不正解だよね、と思います。

「善」「悪」みたいに、二極化されたものは、
TPO で変化するものなので、

それに絶対的な価値観を置くのは、
楽だけどちょっと危ういかもなあと感じています。

 *

愛と信頼もまた確かに、
「ただ、存在している」ものかなとは感じますが、

そうは言っても、身体があるので、

それは
「関係性として現実には出現します」から、

ゆっくり育んだ方が安心なんじゃないかなって思います。

 *

仕事でも、
トラブルが起こった後が勝負みたいなところがありますよね?

トラブルは究極のチャンスというか、

その後の対応をどうするかで
信頼が決まってくるところがあるなあと感じています♪

それと同じですよね。

そうやってちょっとずつ相手を知って、
向き合って、

関係を育んで、大切にしていけばいいような気がします♪

対話が大事だよねと思います。

対話が減っている現代において、

トラブルシューティングは、
案外その対話の現場となりうるのかも知れません。

 *

インターネットが普及して、
先進国では誰もが身体のない世界観を実感出来るようになりましたが、

そのためにコミュニケーションレベルが、
希薄化、多層レイヤー化していると感じます。

情報量が増え、
個々の情報に割ける時間が減っているとも言い換えられます。

でも、

生きているわたしたちは、
相変わらずの部分が多いのではないかなあ?と思います。

 *

その相変わらずの部分を、
大切にしてあげること。

「体験して初めて本当の意味で理解が出来る」という人間の構造を理解して、
「身体の領域」を大事にすること。

それは、
なんかちょっと、

ゆっくりなんですよね♪

 *

愛と信頼は、
ゆっくり育てた方が健やかかも知れません。

多分、それは
とても楽しいことだと思います(笑)。

というか、楽しいですよ(笑)!


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