2015/07/28

心の声も、身体の声も「聴いてあげる」が正解。




















身体のことが解ってくるにつれて、

「だとしたら問題!」
  ↓
「問題なら解消したい!」

という、
シンプルな気持ちの変化はありました。

 *

意識の軸はつよい方ですが、
身体の軸は弱かった。

フラメンコを始めたら、

身体に対して
今までなかった感覚が出て来たこともあり、

とっても面白かったのです。

 *

昨年の退院後は、

リハビリで
近所を歩いたり走ったりしながら

身体の感覚が生々しくあることに感動しました。

繊細にビビットに、

それらが
情報として入ってくることにパンクしながら、

フラメンコを
再開するタイミングを待っていました。

 *

身体を使わないとまずいなあ…というのは、

心や頭を過剰に使うお仕事を続けて来て
常に思っていたことでした。

「身体を使うと
痛くて苦しくて更に故障する!」

という経験が多過ぎて…
どう考えても及び腰の自分。

故に意識が飽きちゃうと続けられない
ヘタレっぷりなので、

ダンスにした訳です(笑)!

 *

ダンスは最終形が「表現」なので、

それ楽しそう!
  ↓
その気持ちで基礎トレーニングをやる意味が解る
  ↓
ゆえに楽しく積み上げられる
  ↓
体力がつく
  ↓
ダンスはバランスがすごく必要なので
身体軸も整う

という考え方(笑)。

ここまで考えたら
これはもはや趣味なので「やりたい!」が大事。

目的は
体力をつけること体軸を整えることなのだけど、

どうせなら楽しいようにダンスで!
人間の感情を踊るダンスはフラメンコ!
あの衣装着てみたい!

と思ったらこうなったのでした。

 *

気持ちのアップダウンは
相変わらずだけど、

(アップダウン自体にはわたしは肯定的です。
それは自分を輪郭づける愛しいものなので・笑)

最近わたしの
1番の変化は、

「立ち上がりが早くなった!」
ということです(笑)。

 *

身体でだけ解消出来る、

「身体意識」の領域を
知ったことが大きいと思います。

ラハシャの言っていた
「Body Mind」というのはこれか!と思います。

それは生々しく
「身体が語っているもの」なのですね。

例えば、

ぶたれて痛かった、
その目つきが怖かった、

みたいなことで。

急に手が上げられるだけで、ヒヤッとしたり。
目つきだけ観て、怖さがよみがえったリ。

相手が違えば
その行動の意味は違う筈なのに、

反射的に読み違えてしまうような類いのもの。

身体が
無意識に反応していることには

ちゃんとその原因があるんだなあ、

それが「身体の話していること」だなあ…と。

そういうことに気がつきました。

 *

そしてうれしいと、
身体がじわじわ温かくなったり、

お腹がきゅーんと温まったり、
心にしびれるような感覚が走ったり。

ああ、身体って
こんなにおしゃべりしてたんだ!

生まれて初めて経験するよー!と思って
日々感動とともに観察しています。

 *

身体の声も、聴けていますか?


ストーン・コンシェルジュ / 作家 みたけさやか

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