2016/03/16
ショパンコンクールからアートな話
お友だちとオフィスで
アフタヌーンティを楽しみました♪
パンに、ケーキ。
チョコレートにキャンディ。
紅茶にコーヒーと盛り沢山!
おしゃべりも
素敵な人との出会いから、
アートへの感動、
関わった芸術家さん達への想いから、
沢山の刺激をもらう時間でした。
楽しかったです!
*
楽しかった色々の話ですが。
とある外国人カメラマンさんが
日本で撮った写真を拝見したら、
つよい感動が写っていました!
その感動を撮るために、
その方は沢山のシャッターを押すのではなく、
まず歩いて自分の中に感動を探し出し、
それから撮るのだと聴いて感銘を受けました。
*
「写真は瞬間の芸術」と
よく言われるのですが、
そうやってじっくりシャッターを押すのも
素敵だなと思いました。
やっぱり、
あそこで見たあれとこれが自分にとって
日本の素敵な風景である。
そうやって押されたシャッターだから、
感動がここまで映るのだなあ…と
思いました。
*
そして、
年末にちらっと観ていた、
ショパンコンクールの話なども聴かせてもらいました。
若いソリスト達の葛藤。
国際レベルで活躍出来る表現者と、
周囲の人達の言動のギャップ。
どこにでも
必ずあるものではあるのだけれど、
そこにある葛藤を若くして経験することのきつさと、
それを越えるであろうつよさ。
色んなものがそこにはあって…
わたしのような凡人からしたら
「…それはしんどいね」という感覚を持つ一方。
それさえも、
ピアノの音に反映されてゆくという…。
「そこは、綺麗な音で弾くんじゃない、
もっと濁った音が心を打つ」みたいなことを
お友だちは
すごく解りやすく伝えてくれたのですが、
そうなんだよね、
綺麗なものだけが良い訳じゃない。
陰陽があってこそ、
人は感動出来るんだよねと思いました。
*
村上隆さんも、先だっての展示にて
「自分のきたないところを観ないで
世界に通用すると思うな」的なことを
お話しなさっていましたが、
それ、本当だなあと思うのです。
表現で伝えるって、
生半可なことじゃない。と思います。
明らかな表現者は、臆せず、
自分の内側にある喜怒哀楽に対して
自由にアクセス出来れば出来る程いいのだ
ということも同時に思ったのでした。
*
先だってのショパンコンクールの映像を、
YouTubeで観ながら。
若くして世界観のある弾き手というのは、
そんなに沢山いるものではないのだな…ということも思いました。
(それは同時に。
世界感は「少しずつ出来てもくるのだ」という
希望でもあるのだけど!)
そして、
個性のない弾き手は居ないのだなということも。
*
わたしは、3位になった
ケイトさんのピアノが好きでした。
降り注ぐものを受け止めて、
心で感じ、指で紡ぐような演奏。
ストーンで言ったら、
天然のうっすらした
カナリアイエローのシトリンみたいな。
そういう音楽でした。
確実にそこに居て、
その人が弾いているという。
世界感って…多分、
そういうことなんじゃないかって思いました。
*
お友だちが
学生時代に弾いていたピアノも
ほんの一瞬聴かせてもらって、
最初の一音に
感じるものがあり。
それは、当時のわたしよりも
何十倍も表現しようとしている人の音でした。
葛藤してきた人の音。
愛すべき友人が持てる自分の
幸せを思いました。
またピアノを少しだけ弾いてみたくなりました。
*
今日も素敵な一日をお過ごしください。
ストーン・テラー / アクセサリー作家
Sayaka
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