2016/03/29
過去はどうでもよくなってきた理由
心に無理をしないで、
本音で、
正直に生きる。
*
理想とされることのひとつだと思いますが、
果たして本当にそうかな?と思うのです。
狂気の沙汰だ、
という見方も出来ないだろうか?と。
*
わたしが「自分の中にある事実」に
突然出会ったのは、
2005年でした。
身体の感覚が普段殆どない位、
意識優位で緊張の強かったわたしですが、
その事実に気がついた時は、
余りの悲痛に胸が張り裂けるかと思いました。
添えてもらった手がなかったら、
きっとそのまま命がこぼれ落ちたと思います。
*
そこから10年。
自分の内側の内側の内側を、
とにかく観ていく作業に入りました。
多分、端から見たら狂気の沙汰だったろうと思います。
他者は本人が言っていることを
言葉そのままに聴くことが少ないようですし、
自分との違い=他者の異質性を
許容する力が昔よりも弱いような気がするからです。
*
わたしは、その間。
いわゆる現実社会と呼ばれる不思議な世界も、
精神世界も、宗教世界も、内面世界も、
色々な世界を垣間みながら、
「本当のこと」を探していました。
*
最後の最後に見つけたのは、
ほんの小さな頃に、
女性として深く傷ついた自分でした。
*
言葉や空気の醸し出す、
女性への侮蔑のようなもの、
屈折した関心みたいなものに、
否定された女性的な可愛らしさや言葉遣い、
愛したものを得られなかったことに
耐えきれなかった自分を観たのでした。
事実だけを並べると。
それだけでした。
*
でも、そこで圧し殺した恐怖の感情は凄まじくて。
それと向き合うのは大分辛かったです。
*
それによって、
社会性の一部として大切に想ってきたことを
100%否定することも起りました。
でもそれは、
きちんと反抗期を行っていたら。
もしくは、
その時期に向き合って
話し合うことが出来ていたのなら。
きっととっくに乗り越え、
通り過ぎたことだったようにも思えるのです。
わたしの記憶にあるのは、
誠意を持って書いた手紙を目の前で破り捨てた
親の姿だけなのでした。
*
親と言っても、
今のわたしと同世代位の時期だったと思います。
わたしは基本内向的で内省も多く、
心理学も相当な関心を持って
取り組んでいた子どもでしたし、
両親の仲裁に入って
怖さよりも何よりも、
一方的な在り方への不当さに対して
戦っていた時期でもあるので、
親として、
受け止められなかったのではないか?
とも、思います。
それを今、責める理由は見当たりません。
*
ただ。
今。
そういう自分の中にある元凶を遠巻きにし、
そっと暮らしていると。
本当にそういう恐怖が
少しずつ落ちていくのが判るのです。
緊張が落ちていくのが判ります。
そんなに怖かったのかとも思います。
まるで目からウロコが落ちるように、
視界が少しつづ明るくなって、
心のピントが
「今」に合うようになって来ているのです。
*
レインボーオブシディアンは、
黒い世界の中に在る
虹色を見せてくれるストーンですが。
まさにそういう感じで、
暗闇に隠されていた抑圧の裏側にある、
開放されることを待っていた喜怒哀楽が、
表に出て来ているのです。
それは、
あの闇の中に在る虹のように、
やんわりとして、やさしい。
*
それが、「今」だから。
「過去」よりもずっと面白いのです。
*
もう全部一切合切捨てて、
何にもなくしてしまったらいいのではないかと、
覚悟もしたのですが、
大切なものは向こうからやって来て、
今も生活の中に息づいている。
不思議なものだと思います。
「思うようにはならない」というのは、
不意にやってくる
助けや希望のことを言うんじゃないか?
と。
大事なものが刷新されていくのを感じています。
*
どの世界もが、言っていたことのひとつです。
「今」が、大事だと。
わたしも今、心の底からそう思います。
*
今日も素敵な一日をお過ごしください。
ストーン・テラー / アクセサリー作家
Sayaka
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