お盆休み最後に、
「福島県双葉郡」川内村へ行って来ました。
初めての福島だったのですが、
同じ山道でも、
緑の種類が違い、
山の感じも
山梨とは全然雰囲気が違って、
生まれて初めて見る景色を車中堪能して来ました。
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常磐道で海沿いを北上する際。
途中から道に「放射線量」を示すパネルが表れたり、
道の往復で得る被爆量は、
レントゲンの「1/150」であることが
パーキングエリアに記されていたと同乗者から伺ったり。
いつもと同じ風景のようで
圧倒的に違う「何か」には本当に心が痛みました。
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誰も居ない立派な民家も、
使われなくなった田畑も、
ものすごく悲しいと思いました。
東京の消費電力を抑える必要があるなら、
いくらでも協力をするし、
わたしは常時流れる音楽や映像が止まって
静かな渋谷も好きだったので
原発の再稼働は反対したいと
ハッキリ思いました。
感情的に受け容れ難いものを、
理性的に受け容れるのは不健康だと思うのです。
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でも、川内村は元気でした。
場が「澄んでいる」感じさえしました。
人も、活き活きとして観えました。
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ちょうど村祭りの日にぶつかったのですが、
それはちょっとした「フェス」で、
沢山の人が集まり、
音楽を聴きながらお酒を飲んだり、食べたり、
買い物をしたりしていました。
それは圧倒的に健全で、
情報とのギャップに滅入りそうでした。
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原発再稼働については
色々な意見が存在していると思います。
だからこそ、
美しい自然を
住めないものにしてしまったこと、
住むに危ないものにしてしまったことは、
全国の人が観て確かめて、
感じてから
考える必要があるように思いました。
これからをどうするか、
それを考えるためにです。
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わたしはフェスでは、
お世話になった方から
「そばビール(黒)」を買ったのと、
子ども達に混ざって
ガーナ支援になるというガラスビーズで、
ブレスレットを作って来ました。
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東京から、
川内村へ移住なさった方が、
最後協力者として間に入ってくださり
村の資料などを
子ども達のために送ってくださったのですが、
フェスでお会いして
直接お礼が出来たのもうれしい出来事でした。
手に持ってくださっているのが、東京の子どもから届いたハガキ |
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「東日本お手紙プロジェクト」でお世話になった、
川内村郵便局の局長さんともお会いし、
ご挨拶もさせていただけました。
今回、川内村全世帯さま宛に
お送りさせていただいたハガキについては、
お問い合わせはあったというものの、
喜んでいただけたとのことで、
集配ご担当者の方からのフィードバックも伺うことが出来て、
ホッと心をなでおろしました。
第1回にしては上出来だったように思えました。
改めて協力してくださった沢山の方々には、
心より感謝申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
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特にお名前入りのハガキをもらった方は
喜んでくださったらしく、
このご時世プライバシーの課題はあるものの、
やはり記名のあるかないか、
それだけのことが
いかに
人としての喜びを大きくするかを感じさせられました。
お返事を書くためにハガキを購入なさったり、
来たいと書いてくれた小学生を
川内村に呼べないのか?と、
バスを出せないのか?という
お話まであったとのことでした。
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晩は、担当してくださった
日本郵便株式会社の方とおつかれさまの乾杯をしました。
郡山に宿をとったのですが、
駅裏の広場にも放射線量を測る装置が配置されていました。
朝起きて行ってみると、
0.226マイクロシーベルト。
同じ日の羽田空港の線量は、
0.037マイクロシーベルトですから、
ここでも爪痕を感じずにはいられないのでした。
*
「来年もお手紙プロジェクトをやりたいね」と、
企画パートナーであった日本郵便株式会社の方とも
話し合って来ました。
企画の主旨は、
現場の情報のアップデートをし続けることと、
子ども達に協力していただいて、
一緒に考えてもらうこと。
その2つです。
子ども達が
これからの未来を考える中に、
「Fukushima」の出来事を
加味してもらえるようになること、だと思っています。
日本は小さな国土だし、
原発については
個々人が意見を持てた方がいいのではないか?
と感じる旅でした。
*
大きな出来事過ぎるからこそ、
身近なところで
問題意識を持ち続けられたらいいなと思います。
知ること、なのだと思います。
企画を続けていけるよう、
努力したいと思いました。
ストーン・テラー / アクセサリー作家
みたけさやか
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