2013/06/13
優しい雨の日に
偶然XBF を見かけて
「怖い…!」という感覚に初めてなりました。
ちょっと前に書かせていただいたことです。
*
その後、
彼との時間を改めて思い出して、
あれはわたしにとっては愛だったなあと思い(笑)、
でももう大切にしてくれない人の側に
身を置き続けるのは嫌だなあ。
なんて思っていました。
あれは酷いことをされていたのだ、と
記憶の再定義が行われた後しばらく、
心は浮ついて、よく転び、
実に落ち着かない日々でした。
今まで気にも止めなかったモリオンに手が伸びたのも、
そんな時間の合間にでした。
やっと、終われるのかな、彼とのこと。
なんて思って大分ホッとしています。
*
東京はここ数日久しぶりの雨。
ようやく心も一息ついている感じです。
ダムが枯れるニュースなども観ていたので、
降り注ぐ雨は自然からの恵みだなあと感じます。
雨音は優しく語りかける
慈愛に満ちた声のようでもあり、
やっと梅雨らしい
静かな世界が訪れています。
*
ちょっと今回の心の出来事は
インパクトがあり過ぎて、
これを1人で何とかするのは
難しいだろうなあ…と感じました。
あんまり辛いことに長い時間をかける気はしません(笑)。
こういうのは最短コースでいいと思います(笑)。
ここはプロの手を借りるのが1番なので、
信頼しているカウンセラーさんのところで
おしゃべりをしてきました。
月曜日のことです。
*
そこで気がついたのは、
わたしは「他人を可哀想だと思うこと」を
避けて生きて来たということでした。
誰かを「可哀想だ」とラベリングするのは
本当に失礼なことだ。
というのがわたしの強い想いだったのです。
そこには、
可哀想だと思われたくない、という
強い想いが存在していました。
*
「あ、わたしはこんな心のフィルターをつけていたのか!」
と気づくと同時に。
XBF が可哀想で泣けて来ました。
人として、そんなことをされて、
あなたは怒りが湧かないのですか?
と問われて、
怒りは湧きませんでした。
ただただ、彼は可哀想だったと思いました。
*
6年半おつき合いした人でした。
色々なご家庭の事情も知っていました。
彼は小高い山の天辺に素敵な2世帯住宅を建てて、
ご両親と暮らしていましたが、
心の豊かさとは程遠い、
大変なお家の子でした。
*
助け出したかった。
でも出来なかった。
本人が本気で抜け出そうとしない限りは、決して助けられない。
彼との時間を通して、
そういうことを否応なく知りました。
助けたかった。
幼いわたしは、
彼を助け出したかったのです。
*
彼を助け出すためには、
自分が救われている必要があると考えて、
心の治療に取り組み始めたのも彼とつき合い始めてからでした。
まず、自分を救い出す必要がありました。
小さい頃、男性からのあれこれで
怖い思いを沢山してしまったために、
歪んでしまっている認識をフラットに戻そうとしました。
それは、彼と幸せになるためでした。
彼を助け出すためでもありました。
でも、それは、失敗をしてしまいました(笑)。
助けられませんでした。
人はそんな簡単に助けられないということを知りました。
助けたいというのは、
幼いわたしの傲りだったようにも思います。
*
そしてその後に続いて、
「わたしが可哀想だ」という気持ちになりました。
わたしが、可哀想だったじゃないか、と。
可哀想だったじゃないかと。
*
可哀想だった。
それは多分、わたしが無意識に。
自分自身に決して与えまいと、
必死に抵抗したラベルです。
でも、
可哀想だったなと思えるようになってから、
ちょっとホッとした感じもしています。
泉に美しい水が湧き出て来たみたいな、
そういう心持ちです。
*
優しい人生を歩みたいなと思うのです。
だから、
自分を縛りつけている「何か」が
もう不用ならは解きほぐして、
かぶったホコリを丁寧に拭き取って、
なあんだ、
こんな優しい想いを隠し持っていたなんて!
と、感動していたい(笑)。
*
こんな雨の日は、
自分を優しく抱きとめられる静かな時間が得られます。
ストーンコンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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