2013/06/04
ちっぽけなプライドを大切にするかどうか
他人にどうこう言う前に、
自分がちゃんと出来ているのか?!
ということを
厳密に問い過ぎて、
人には何も言えなくなる。
というのが、
わたしの長年のパターンでした。
*
でも、出来ないなりに
出来ることは伝えた方がいいのである、
と思うようになって
(そう求めていただけるようになって)、
言うようにはなったものの…、
正直身につまされることが多いです。
*
どうしてちゃんと出来ていないのに、
言うかなあ?!
というツッコミを自分自身に入れざるを得ないです。
それであっても
誰かに「それは違うんじゃないの?」と
発言することの大変さったらありません。
*
以前の方が良かったことと、
今の方が良かったこと、両方があります。
確かに、
他人を楽に見られるようにはなりました。
自分が「出来てから言う」ということを
徹底していた時期には、
「出来もしないのに何で言うんだろう?」
という疑問がありました。
それは、消えました(笑)。
自分が出来なくても、
言うのがきつくても、
相手のために言った方がいい時もある。
そういうことを学びました。
*
ただ、昔のわたしみたいな人からは、
「出来てないのに言うか?!」
みたいに、
言われてるだろうなあ、
思われているだろうなあ、
とは思います(苦笑)。
自分がストレスをかけて、
そうあろうと努力していることは、
他人を見る時の尺度になりやすいのです(笑)。
*
多分、これも
さじ加減の話なのですよね。
どっちがいいとか悪いとかじゃない。
自分にとってそれがいいかどうか。
ということだけが問題です。
周囲が求めてくることもありますが、
それを自分が受け入れるか反発するか、
そのさじ加減も、もちろん
「自分自身の選択」ですものね。
*
わたしが今本当にまずいなと思っているのは、
約束が守りきれないことが
増え過ぎていると感じていることです。
全部きっちり守れていた筈の自分が、
ぼろぼろ取りこぼしているし、
守れないことに対して、
どこか寛容になり過ぎている。
これは誰のためにもならない!と思います。
自分の健全なプライドもなえていくし、
相手の期待も潰します。
お互いの信頼関係も壊してしまいます。
わたしは何をやっているんだろう。
ここしばらく浮き足立っているのかな…と、
ちょっと我が身を思います。
*
色んなお仕事の進め方があります。
仕事を膨らませていく時は、
人にいっぱい会っている必要があるとわたしは感じています。
でも、人に会うというのは、
それがすっごく楽しくても、
ストレスであることには変わりません。
「ストレス=悪いこと」ではなくて、
「ストレス=刺激が強い」ということです。
ここは、ジャスパーみたいな
重たい領域で動いている感覚。
*
そして考えることは、
また全然違う感覚を使います。
企画を考えたり
アテンドする人をラインナップするみたいな
そういうのは、
カルサイトみたいな軽くて広い意識を使います。
ここは、速度がうんと早くて、
頭がフル回転して眠れないような感覚です。
作ることやインスピレーションに繋がるためには、
もっと身体に静かな時間が大量に必要で、
わたしにとっては、
ローズクォーツやアゲートの世界。
このスイッチングを、
本当にどうしたらいいんだろうかと思います。
もー!
子どもじゃないんだから!
って感じです。
恥ずかしいです。
*
安定して、作れる、そんな状況を、
どうやったら自分に与えることが出来るのだろう?
*
お客さまに安心していただけることに、
楽しんでいただけるように、
どうやったらいいんだろう。
考える時間があるなら、
目の前のことをやりなさいという話も、
実に正しいと思いつつ、
でも起きている不具合を放置しては、
悪くなる一方だとも思います。
*
身体のことは不安です。
不安だからって容赦し過ぎても、
進歩はありません。
どうしてちゃんと出来ないんだろう!
と、やっぱり心のどこかで思っています。
*
人がやらないからといって、
じゃあわたしもやらない!
なんていう風にはなりたくないなと思ってきました。
外側がどうであっても、
わたしは自分が大事だと思うことを貫きたいです。
そうやって生きて来た筈なのに、
病気をしてから曖昧になってしまっていることもあります。
*
先程も書きましたが、
それで良かったことも、解ったこともあります。
でも、再選択の時期なのかも知れません。
身体が安定して来たのだから、
大切にして来たことを取り戻そうよ!
今なら、また、出来るようになるかもしれないから!
と、自分を励ましています。
*
約束を守ること、
礼儀を尽くすこと、
謙虚であること、
人を悪く言わないこと、
自分に厳しくあること、
自分が出来ているかどうかが大事なのであって、
他人が出来ているかどうかは問題じゃなかった筈。
昔のわたしにはそうだった筈。
わたしにはそれは、
とても美しいことに感じます。
だったら、やればいい。
それだけのことなのだと思います。
*
助けてもらうことを覚えた6年半でした。
そこで基準を過去に戻しても、
もう起こる未来は違うと思います。
何故なら「前提が違うから」です。
わたしはこうありたい、という
ちっぽけなプライドは、
大切にした方がいい。
自分のために。
と思います。
ストーンコンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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