2013/07/15
プーシキン美術館展とおしゃべり
あんまり落ち込んでいたわたしを
青木が誘ってくれて、
横浜へ。
プーシキン美術館展を観に行って来ました。
結構混んでいました。
*
目玉とされていた、
ルノワールのジャンヌ・サマリーの肖像画は、
ただただ可愛くて、
それはそれで
すごいことだなあと思いました。
ずーっと観ていても、
ただただ本当に可愛い。
可愛いとか、綺麗とか、
そういうシンプルな感情を引き起こせると言うのは、
実はすごいことなのではないか?
ということをわたしは常々考えているのですが、
目の前にして、
これはやっぱりすごいことだなと思いました。
しかもこうして
時代や人種を越えて
可愛いなあと感じるのだとしたら
これは本当にすごいことです(笑)。
*
思ったよりも数は少なくて、
あっという間に見終わってしまったのだけど、
今こうして振り返ってみると、
1番印象に残っているのが
ゴーギャンであることに少し驚きます。
ゴーギャン展が来ていた数年前にも観に行って
その一生を彼の絵画を通して俯瞰した時、
人の一生について
少し考えたような記憶があります。
*
芸術家の死を垣間みていつも思うのは、
「あなたは乗り越えられなかったのか…」
という切ない気持ちです。
創作と言うのは
否応なく自分との対話であり続けるものなので、
内側に強い否定を抱えていると、
それはそれは苦しいものなのではないかと思います。
ただ。
その否定こそが
創作の原動力であるかのようにも感じられる筈なので、
否定を手放すことも怖いだろうと感じます。
変わることの怖さが
極端に表われるのが創作なのかもしれません。
*
ゴーギャンの晩年の作品群を観た時、
彼の内なる対話を垣間みて、
その素晴らしい絵画の前に
ボーゼンと立ったのを思い出します。
*
あとは、ドガのパステル画。
歴史的背景を考えると、
それは美しさだけを扱った絵ではないのですが、
彼の神経の細さをどこか感じさせる仕上がりに、
見入るものがありました。
*
ゴッホはもちろん良かったです。
彼の絵は、彼にしか描けない。
スーラやモネは、
それっぽいものを
他の画家の作品から感じることもありますが、
ゴッホはゴッホからしか見えてこない。
それはもう、
本当にすごいことだと思います。
*
青木とどの画家が好きか?という話になって、
ミュージアムショップで絵はがきを物色したのですが、
わたしは今、クレーや、ミロ、
カンディンスキーが結構好きみたいです。
20代のころは、
POP ART が大好きで、
アンディ・ウォーホルがとにかく好きでした。
MOMA も行きましたし、
彼の恐ろしく眠い(笑)
フィルム作品も何度か観に行きました。
あんまりにも好きだったので、
Mo+ にウォーホルが来た時は
展示に呼んでいただいて、
当時都議会議員の方のご配慮で
バックヤードに入れていただいたりもした位でした。
*
クリスタルに出会い
関わりを突き詰めて行くうちに、
アートで表現する以外にも、
色彩とテクスチャーで
心の声に手が伸ばせることに気がついたのは、
アートの基礎教育があったからかも知れません。
これがあれば、
絵を描けなくても、
音が奏でられなくても、
誰にでも内面の表現が出来る。
という
驚きと感動がありました。
そしてそれらは
「クリスタルを感じるワークショップ」の中で
既に機能しています。
そして素晴らしいのは、
クリスタルはクリスタルであるが故に、
種類が色々あっても
綺麗だね〜!という対象になるだけで、
絵画表現のように
個人的な好き嫌いを判断されにくいということなのです。
*
「わたしは死ぬまでに自分の能力を全て使い切って死にたい」
といった話を伺ったことがあります。
その中で、
「あなたはあなたの能力を使い切っているか?」
といった問いを聴いた時に、
ああ、全く使い切れていない。
と感じたのを思い出します。
お医者さんの言った
最悪の未来に飲み込まれたくありません。
わたしはもうちょっと
この続きをやってみたいです。
*
出来事を乗り越えて、
自信を持って、
笑顔になる人達を
何人も観させていただいて来ました。
もうちょっとその続きをやりたいです。
*
お医者さんがわたしに言ったことを
そのまま話したら、
青木がわたしの代わりに憤ってくれました(笑)。
わたしにはもう、
それを跳ね返す力がなかったので、
とってもありがたかったです。
明日から休暇で山梨なので、
その間自然の中で
ゆっくりした呼吸を取り戻したいなと思います。
ストーンコンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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