2012/08/17
星新一さんの小説
星新一さんの本は、
中学生の頃に挫折しました。
当時のわたしには面白くなかったのです。
「ショート・ショート」という分野を切り開かれた
星さんの小説は短いのですが、
長編を読み慣れている筈なのに
何故か彼の小説は最後まで読みきれず、
苦痛で仕方ありませんでした。
共感が全く出来なかったからです。
*
ユングを日本に知らしめた
故・河合隼雄さんが、
同じ読み方をされていたと知って
なんだかうれしかったのですが(笑)、
わたしも感情移入して本や映画を観るタイプでした。
そのため、
それらの「ストーリーを説明して」と言われても
全く上手くいかず、
いつも、しどろもどろでした。
*
ところが。
12日。
立ち寄った地元の本屋さんで
夏休みのブックフェアをやっており、
星新一さんの本をふと手に取ると、
これが実に面白く感じたのです。
1冊買って持ち帰り、
その日の晩に読み終えました。
*
そして気がつきました。
星新一さんの小説の面白さは、
「状況の面白さ」に終始しているのです。
登場人物の感情的・心理的な移ろいは
ほぼ全くと言っていいほど省かれており、
そこにあるのは枠組みの面白さなのです。
*
だから当時のわたしには
読み切れなかったのだと思いました。
と、同時に。
それを「面白い」と思えるようになったわたしの内面は、
どれだけ変化したことだろうか!
と思ったのです。
*
10代は、
人は人である、あなたはあなたである。
違うのだ。
だから話し合うのである。
という教育を受けました。
これはART を生業にする
両親を持ったことが大きかったかも知れません。
これが当たり前のことではないというのを知ったのは、
30代になってからでした。
20代は、
上司に否定された自己基準に疑問が生じ、
全く核心が持てなくなってしまって
「そこまで言うなら、言われたことだけをやってみよう」
と、意図的に人格や価値基準を手放してしまった
不安定な時間でした。
30代は、
極限まで自己感覚を信頼し、
また、極限まで自己感覚を疑う時間でした。
その間に、失われた人格の再構築を行いました。
ひとつひとつの選択を慎重にして、
自己基準を改めた時間でもありました。
*
手探りしながら
不器用にひとつひとつ確認してきたから
出来たしっかりとした足場。
そこで得られた感覚の広がりは、
棚から牡丹餅です(笑)。
自分の、
ものの見方、捉え方に、
多様性を感じられた瞬間でした(笑)。
*
確実にわたしの世界は豊かになっている。
そんなことを思って、
ちょっとうれしくなりました♪
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿