2012/08/29
クリスタルの探求と自己選択
クリスタル探求の入り口は、
交通事故の後に変化したローズクォーツでした。
その後「パワーストーン」という考え方を知り、
クリスタルを手がかりに「オーラソーマ」を知り、
「精神世界」を知り、体験しました。
中医薬や民間療法を知り体験しました。
シンクロニシティや偶然という名の予定調和や、
天使もスピリットも、マスターも霊も超感覚も、
あらゆるものを通過してきました。
そして真理と虚像の境目が見えにくい世界も見てきました。
科学では証明出来ていない事の方が多いことや、
目に見えないものを否定することの難しさも知り、体験しました。
*
全てを無理に信じる必要はないし、
かといって
否定する必要もないだろうと思います。
もしそこに
感情的になるのだとしたら、
それは強い興味関心の裏返しであるのかも知れません。
良識ある人々が
人の好き嫌いをパッと見で決めないのと同じように、
物事はまず、
ニュートラルに見つめるのが1番いいことのように感じています。
*
わたしは、事故の後、まず初めに、
クリスタルが
自分や身近な人の状態や心を表現することに
すごく面白さを感じ、
気になるクリスタルを見つけては、
意味を調べて楽しみました。
何故、自分の心が、クリスタルに反映されるのか?
面白くて仕方ありませんでした。
*
届いたクリスタルを持った瞬間に、
強く心が動かされたり、
急に大掃除をしたくなったり(笑)、
そんな経験もしました。
クリスタルから涼やかな風を感じたこともありましたし、
持つ人によって
表情を変えていくクリスタルも沢山見てきました。
クリスタルは魔法の道具のようだと感じたこともあります。
*
クリスタルを深めることは、
主観を信頼し、
大切にすることと同義だったかも知れません。
*
そして退院後。
海で拾ったお守りのコーラルを
握り締める日々が徐々に収まると同時に、
わたしは
クリスタルとの距離を少し置いていました。
脳の病気によって
ものの見方や感じ方や捉え方に
「本当にこれは起こっていることなのか?」と
疑問を持たざるを得なかったので、
主観を強く働かせる世界に対する信頼感が
失せていたこともその理由です。
しかし、その年の終りだったでしょうか?
ずっしりと重さのある
大きなグリーンフローライトのオベリスクを
妹がプレゼントしてくれたのです。
*
ただそれだけのことだったのですが、
元来物事を
ファンタジー的に捉えるわたしには(笑)、
「クリスタルの事を続けなさい」という
メッセージのようにも受け取れてしまいました。
*
Holly heal のアクセサリーは、当初
わたしの社会復帰を後押ししてくれる
知人・友人が買ってくださっていました。
それまでの仕事の仕方、
仕事そのものが不可能だったため、
ここで得られた収入は
どれ程ありがたかったことでしょう。
これを言葉で表現するのは
とても難しいことです。
*
そして、
お客さまからのご要望を受けて、
このBlog を開始しました。
最初は、本当に恐る恐る言葉を紡ぎました。
発言するということは
どれ程勇気のいることだろうか!と思いました。
*
クリスタルを通して、
自分の心の状態と、
世の中を見つめてきました。
お客さまの心と、
向き合わせていただいてきました。
いずれにして
不思議な出来事は起こりますが、
それをどう捉えるかで世界観は変わります。
言葉をどう置くかによって、
同じものは全く違う世界観を持ちうるのです。
インスピレーションも、
サイキックも、
千里眼も、
呼び名の違う似たようなものを指している気がします。
ある人は、
彼女はアーティストだと言い、
ある人は、
超能力者だと言い、
ある人は、
進化した人類の姿だと言いましたが(笑)、
選んでよいのであれば、
わたしは自分をアーティストだと捉えたいです(笑)。
だから「アクセサリー作家」なのです。
わたし自身の感覚としては、
「インスピレーションを受け取る」
という感じが
最もしっくりくる表現なのです。
なるべく現実的な捉え方、
ファンタジーに偏り過ぎない捉え方がいいと思うのです。
*
いずれにしてもわたし達は、
わたし達の思うように世界を捉えており、
その捉え方は、
人によって本当に違う
ということを思います。
その微妙に似通って、
また違っている世界観を繋ぎ合わせて、
わたし達は、同じ大地に共存しているように思えます。
解っているようで解っていないかも知れない。
そんなことだらけの世界。
だけど通じ合えたりする世界。
その不思議は、
この10年を通して、
わたしが見てきたことです。
*
わたしが小さい頃から知りたかったのは
「本当のこと」でした。
「本当のこと」は
シンプルでそぎ落とされているように感じています。
だから色んな考え方や感じ方、捉え方を
共存させる事を可能としていると感じています。
この、大いに豊かな世界を、
わたしはクリスタルを通してなら
説明が出来るように感じています。
この余りにも豊かな
人ぞれぞれの資質を、
わたしはクリスタルをメタファーとして扱うのなら
解りやすくかつ安全に、
顕在化させることが出来るのではないかな?
と感じています♪
もしわたしの見ている
捉え方と使い方が出来ることによって、
クリスタルを楽しめる人が増えるとしたら、
それはちょっとうれしいなと思います♪
それは宗教ともあらゆる教えとも違う、
単なる石の物語です。
*
物語を読むように、
クリスタルの世界を
楽しんでもらえたらいいなと思うのです♪
自分は物語の読み手である、
その物語を読んでいるのは「自分である」という
客観的な視点さえ持ち得ていれば、その世界は安全です。
楽しめばいいだけです。
*
ファンタジーは、
起こると信じる人の上には、
常に起こってきました。
それはひとつの「捉え方」でもあります。
何故か、世界には不思議なことがいつも起こっています(笑)。
それを解明したい気持ちが
科学を生み出したのかも知れません。
他者と共有出来るプロセスがとても多いもの。
それが科学なのかも知れません。
そしてわたし達の多くは、答えをいつも知りたがります。
もっともらしい答えに
安心をするからかも知れません。
理由はないし、理由は判らない。
その感覚に、
人間は耐えられないのかも知れません。
そしてその感覚は、
わたし達の受けた教育から
発生していているものでもある筈なのです。
でも、本当は解らないことだらけで、不確定なことだらけ。
これは自分の視野が、つまり世界が、
広がれば広がるほど実感となるように思います。
*
クリスタルの世界は、
ある意味、投影された「内面の世界」です。
だからクリスタルを探求することは面白いのだと思います。
だから、
クリスタルを通して
人が成長できるのだと思います。
*
自由であるということは、
その責任を自分が負うことでもある。
ということを
最初に思ったのは大学時代ですが、
これにはストレスがつきものです(笑)。
インターネットが普及し、
あらゆる側面から物事を見つめることが出来るようになると、
世界は善悪や良し悪しといった
二極化によって
単純に分けられるものではないことが解ってしまいます。
判断基準は多様にあり、
一概にどれが間違いということも
言いにくいということが解ってきます。
*
しかし生活や仕事というものは
毎瞬毎瞬、決断の連続です。
外側に基準がないのだとしたら?
わたし達は
自分の内側に
その基準を見い出す他ないのかも知れません。
*
全てを自分のせいにするのも不健康だと思いますが(笑)、
やはり「人のせい」「環境のせい」「教育のせい」にしているうちは
自由は遠いものですし、
天職にめぐり合うことからも、
素敵なパートナーと出会うことからも
本当に笑顔で
活き活きと暮らすことからも
遠ざかっているかも知れないなあ…と思います。
*
導かれるということは、
もしかしたらレールに乗せられる事でもあるかも知れません。
もしそうだとしたら、
わたし達はその導きに乗るか乗らないかを
一度は自分で判断できる方がいいのではないかなあ?
と思えてならないのです。
*
だから
まずは小さなものから
もしお気に召すならば
まずは自分のためのクリスタルから、
選べるようになれたらいいのではないかな?と思います。
小さなものを選ぶことと、
大きなものを選ぶことは根本的に違うという考え方もありますが、
わたしは、
小さなものをきちんと選べることは、
大きなものを選べるようになるための練習になる
と考えるタイプなのです(笑)♪
*
ちょっと逆に聴こえるかも知れませんが、
自分である程度、選べるようになると、
選んでもらうことも、
より一層楽しいものです♪
自分でも選べるからこそ、
本当の意味で他人に委ねられるのではないかな?
と感じています♪
*
クリスタルと付き合うならば、
現実的であることだと思います。
何もクリスタルに限ったことではありませんが、
不思議なことは起こる時は起こりますし、
起こらない時は起こりません。
科学で証明出来ることだけが
現実ではないような気がしています。
そのスタンスはもしかしたら
「最も現実的なものの見方」なのではないかな?
とも思うのでした。
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