2013/05/16

大変だったことは後になって解る
















大変!という感覚を
その場で感じられるのは、

大して大変じゃない時に限るなあと思います(笑)。

本当に大変な時というのは、

その時はあまりにも必死なので
気がつくのが難しいものなのではないかな?

というのが経験的な感覚です。

 *

喉元過ぎて、
少し余裕が出て来て初めて、

うわー、大変だったんだ!びっくり!

みたいな感じでしょうか(笑)。

 *

病気をしてからの6年半も大変でしたが、
この10年は本当に大変でした。

 *

わたしが、20代・30代で
おつき合いした人は2人。

2年半7つ年上の人と、
6年半3つ年上の人とおつき合いしたのですが、

年上の人って大変過ぎる…と思います(笑)。

いちいち張り合われて
俺はもっとこうだった、と言われ(笑)、

お前はダメだという念押し。

わたしが元気になって活躍し始めると浮気をするとか、
会食で遅くなると変な空気を漂わせたり。

朝起きたら首を絞められたこともあって、
本当に今思うと驚きです。

お別れした後に
「さやに置いていかれちゃうと思った」と聴いた時は、

ボー然としました。

そう思うなら、
そうならないように努力したらいいのに…。

今なら普通にそう思います。

 *

わたしは自分を大事に出来ていませんでした。

頭の中は
自分のダメなところに一杯で、

そして、ちゃんと
自分自身の思いを反映するかのように、

「大事にしてくれない人」と
おつき合いしていたように感じます。

そして傷ついた心を相手の内側に見ては、
癒そう、癒そうとしていました。

癒しが必要だったのは、

他の誰でもなく、
わたし自身だったのではないかと思います。

 *

相手との関係性の中に、
感情的なパターンを見つけた瞬間があります。

相手が違うのに
同じ感情になる、

また同じことが起こっているように感じるのです。

おかしいなと思いました。

 *

それは外側の出来事ではなく、
明らかに自分の内面での出来事でした。

途中それに気がついて
カウンセリングに通い始めたのですが、

通えば通う程、

共鳴しなくなったことによって、
相手の心のひずみも見えて来ます。

そしてまた
相手を癒そう癒そうとしてしまう繰り返し。

わたしに必要だったのは
そういう相手から離れて、

自分を大事にすることだっただろうに、と思います。

 *

自分を大事にする。

この場合で言うならば、

自分のいいところを見つけることだったり、
見つけてくれる相手を探すことだったり。

相手ではなく、
自分が心地よい環境を深く考えることだったり、

それに共鳴してくれる人を
見つけることだったりするかも知れません。

 *

わたしは彼らを救い出したかったのです。

彼らにはそれがどう映っていたのか
わたしには判りませんが、

そのために心血を注いでいたと言っても
過言ではありませんでした。

でも、それは、

自分自身を救い出したかった。
ということだったのではないのかな?

と、今になって思うのです。

 *

首を絞められるというのは、
命を奪われようとしているということですよね。

わたしはその事実に気がつかなかったのです。

ああ、この人の愛はこんなにも歪んでいるのか、
といった感じでした。

それなら死んでもいいでしょうとも思いました。
一切の抵抗をしませんでした。

すぐに手はゆるみ、
なにもなかったかのように朝を迎えたのですが、

今思うと、
背筋の凍る恐ろしい出来事です。

 *

先日、
その人を見かけました。

わたしは、冷静さを失いました。
その場に居ることが出来ませんでした。

とても怖かったのです。

怖がっている自分を否定したくて、
一生懸命抵抗したのですが、

とてもとても怖くて、
泣きそうにも吐きそうにもなりました。

 *

わたしはようやく、
あの当時起こっていたことが

自分にとっていかに不当だったのかを
真正面から見つめられるだけ

冷静にも元気にも健全にもなった!

ということなのだなと思いました。

万歳!と思いました。

 *

そして同時に、
深く深く傷ついた自分の心にも出会いました。

やっと向き合えたのです。

やっと怖かったね、もう大丈夫だよと
その気持ちを抱きしめてあげられるようになったのです。

自分はダメだと自分を追い込んでいた時は、
自分を大切にするということがどういうことなのか、

全く解らなかった。

どれ程の自己否定をしたことか!
と思います。

 *

物事は必ず2面性を持っていますから、

否定する人がいたならば、
必ず肯定する人もいてくれた筈なのです。

それなのに、
外側に溢れてくるわたしへの否定ばかりを心に集め、

否定的な思考や感情に見合うものだけを
次々と周囲に並べ、

心に刻み直し、
やっぱりわたしはダメなのだという想いを強固にし、

そこにどっぷりと共鳴していたのです。

 *

なんでそんなことをしていたのでしょう?
何のために?

 *

「想いはいつでも叶っている」


そのことを思います。

心の奥底で強く思っていることが、
現実を作っていきます。

これは、わたしの実感値です。

 *

あれから10年経って、今。

わたしは
どれ程幸せになったでしょう。

負けず嫌いで、
余計なお世話をしてしまうわたしに、

そういうところ素敵だね!と言ってくれる
友達や協力者に囲まれ、

これすごくいいです!と言ってくださる
ライアントさんに恵まれ、

がんばれ、と応援してくれる人や、
でも気をつけてね、と心を配ってくれる人や、

やりたいことを
やって欲しいとおっしゃってくださる
お客さまや、

もうダメだと言った時に叱ってくれたり、
何も言わず手伝ってくれる仲間にも恵まれて。

なんだか夢のようです。

 *

病気をする前のわたしは、
出来ていないことばかりを観ていました。

だからいつだってダメでした。

病気をしてからのわたしは、
今出来ることを精一杯やって、

出来たことを喜ぶようになりました。

今日は3度ちゃんと薬が飲めた、ということから
出来たじゃないか!出来ることがあるじゃないか!

と自分を励まして来ました。

だから、出来ることは減ったけれど、
ダメじゃなくなったのです。

変わったのは、
…わたし自身なのです。

 *

クリスタルの世界に入ったきっかけは、

わたしの首を絞めたXBF がプレゼントしてくれた
ローズクォーツのブレスレットでした。

鎌倉で見つけて、
珍しくわたしが欲しいなと思ったのが、

ピンク色をした数珠ブレスレットでした。

交通事故をやった際に、
そのブレスレットの色が

ピンクからグレイに変化したことが
わたしの興味を惹きました。

それが、この道へのキッカケでした。

 *

あの時わたしが欲しかった、
ローズクォーツを買ってくれてありがとう。

でももう、
あなたのことは怖くてダメです。

遠く遠く遠くに離れていたい。

彼には
遠く遠く遠くで幸せになって欲しいです。

それがわたしの願いです。

 *

こうやって、
大変だったことは後になって解るものなのですね。

でも解るのは、
もうそれが終わっているからです。

今はもう、違うから、振り返れるのです。

心は本当に良く出来ています。

今はもう、大丈夫だから、
向き合うことが出来るのです。

自分自身の想いを、
抱きしめてあげられるのです。

 *

ローズクォーツには、
自己受容のテーマが隠れています。

自分を大切にすることって、
本当に大事です。

大変な理由は外側にありそうで、

本当の理由は
内側にある筈です。

だから、
自分が自分を大切にすることを

大事にして欲しい。

人任せにせずに。

 *

誰しもが、
幸せになっていいのだと思います。

ローズクォーツの
素直なピンク色が、

そのことを物語っているように感じています。

みんな、ちゃんと自分に責任を持って、
そして、本気で幸せになってね、と思います。

幸せのカタチは、
人によって千差万別だから。

だから、自分自身と向き合って、ちゃんと、
幸せになってね、と思います。

 *

明日も素敵な一日をお過ごしくださいね。

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