2012/01/25
追憶モード
お腹が痛いと、
異常に将太を思い出します。
*
痛みは引いたり戻ったりで、
ない時はなんともなく、
痛いと痛い。
*
将太もこんな感じだったのかなあと思います。
痛くない時は、
遊んで、
痛い時は、
それに耐えて。
その瞬間だけに気持ちを置いておければ、
不安なんて何もなかったりします。
痛いか、痛くないか。
痛いと動くのがしんどいし、
痛くなければ、
何かしたくなります。
*
わたしにとって
将太は産めなかった子供のようなもので、
将太とずん太との関わりは
子育てそのものでした。
自分の都合で
ケージに閉じ込めておくことが理不尽に思えたりして、
酷く葛藤したことなども思い出しました。
*
大きな家に引っ越しをして、
ケージの扉を開きっ放しにしても、
疲れ切ってヘトヘトだったわたしは、
将太と心行くまで遊ぶことはなかったのではないか?
と思えてしまいます。
*
わたしは将太のことを
ちゃんと見つめていただろうか?
将太は幸せだったかな?
と、疑問に思います。
*
将太の最後の日。
わたしは人を待っていました。
*
その当時好きだった人なのですが、
「1度ちゃんと(将太に)ごあいさつしたいな」と言ってくれていたので、
最後の最後、
会ってもらおうと連絡を入れていました。
でも、
結論から言うと。
その人は姿を現さなかったのです。
*
わたしは、
痛みに耐える将太を抱きかかえながら、
その人を待ち続けました。
将太は
病院のドアのチャイムが鳴る度に、
目を開けて、
首をあげて、
音の方を見つめていました。
*
とうとう将太が息を引き取った後、
連絡をしたら、
その人は、
まだ一歩も動いていませんでした。
ものすごくショックでした。
どうして、
「仕事だから行けない」なり、
「今会うのは無理だ」と、
言ってもらえなかったのだろうかと思います。
*
わたしは、
将太の最後の時に、
その人を待ってしまった。
1人で看取るのが
辛かったせいもあるのですが、
来ないなら来ないと言ってもらいたかった。
ああ、挨拶したいなんて、言葉だけなんだ、
と覚悟をして、
将太の死と向き合えば良かった。
なんてことを、
今更思ったりするのです。
今だから思えたりするのです。
*
将太がなくなってまもなく、
わたしは入院することになります。
その後、断続的に痛みが続いています。
痛いなあ…と感じる時、
将太に会いたいと思う自分が居ます。
*
将太が亡くなった後、
触れられる体温がなくなって、
独りぼっちになってしまったわたしは、
多分
余りにも辛くて、
全てを大急ぎで片付けてしまったけれど、
本当は、初七日や四十九日といった
時間が必要だったなあと。
悲しんで、塞ぎ込んで、
将太を偲ぶ時間が時間が必要だったのだなあと思います。
*
これは、
将太を思い出させてくれる痛みなんだなあと。
それはありがたいことなのかもしれないな、
やっと、
将太の死に向き合えているなあと、
そんなことを思うのでした。
*
明日は検査に行ってきます。
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