2012/11/28
色んな言葉がある
結局伝えたいことといえば、
「大好き」ということ位で、
その他の言葉は、
大して意味を成していないのではないだろうか?
ということを最近思うようになりました。
*
ジベリッシュというメソッド(?)があって、
わたしは1度、
Rahasya のクラスでそれを体験したことがあります。
「相手に向かって、ジベリッシュをしてごらんなさい」
というシンプルなものだったと記憶しています。
その時、
わたしとパートナーを組んだ女性が、
「言われるよりも、愛を感じました…!」と
おっしゃっていたのを思い出します。
意味不明の音に載せて、
ただ向き合っているそのフィーリングを届けたら、
そこにはちゃんと相手に通じる「愛」が伝わっていたという。
そんなものかもな〜と思うのです。
*
わたし達は、
言葉の意味の解釈にやきもきしがちなのだけれど、
でも伝える本質は、
その時に想っている感覚そのものであって、
その感覚を
翻訳したものが「言葉」ですから、
本来感じ取れた方がいいのは、
言葉の裏側にある
「想い」なんじゃないのかなあ?と。
なんだかそんなことを感じてならないのです。
*
もちろん、
勝手に思い込んでしまっては
元も子もない訳で、
ちゃんと相手と向き合って、
心の耳を傾けることが大事なのだけれど、
言葉を発すると言うことは、
それが何であれ、伝えたいことがあるということ。
相手が、
ちゃんと「こちらを観ている」のであれば、
その言葉は、
おそらく愛情から来ているとみていいだろうなと思うのです。
ちゃんとこちらを観ていない場合は、
その言葉の先に居るのは、
言葉を言った相手自身だろうと思うのです。
(エネルギーだけで観てると、そうなってるんですけどね・笑)
*
ちゃんと伝えようとしている時、
それは「大好き」の変形でしかないよね。
というのは思います。
大好きと、
大好きだからいじわるしないでね、
位のことしか
実は言ってないよなというのを思います(笑)。
どうしてこんなシンプルなことが、
うまく伝わらないんだろう!
と、不思議に思います(笑)。
*
どうでも良かったら、
無視です。
どうでも良くないのは、
愛があるから。
大好きだからです(笑)。
*
大好きが複雑に変形して、
極端な場合には、
暴力になっていたり
暴言になっていたりすることは、
ありますよね…。
それは、一緒に居ると
非常に身体的レベルで傷つきますから、
わたしはどうしても
受け取る気にはなれませんが、
でも、
「ああ、それを愛だと認識する他に、
自分(の気持ち)を守る手段がなかったんだね」
という風には見えることはあったりします。
理解出来るからといって、
自分を痛めつけてまで
その暴力的な表現を受け取るとしたら、
それは自己犠牲的なことかも知れません。
そういう状況下で、
相手との心の距離を保てる人はとても少ないので、
気をつけておいた方がいいかもなあと思います。
*
言葉の背後が複雑過ぎる人は、
背後にある「想い」だけを
見つめる練習が出来たらいいかも知れないですよね。
もしそこが暗くてドロドロに見えるとしたら、
それこそが
複雑な背景なのだろうと思います。
背後にある想いは、
不思議なことに、突き詰めると一種類の筈です。
怒りや憎しみを
もたらす原因となった、
純粋な「愛」だけがそこにある筈です。
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