悲しみきる。
ということも大切だなあと思います。
ハロウィンは、どう過ごされましたか?
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ハロウィン、
あるいはハロウィーン(Halloween, Hallowe'en)は、
ヨーロッパを起源とする民俗行事で、
毎年10月31日の晩に行われます。
西ヨーロッパ古代のペイガニズムにもとづく
死者の祭りおよび収穫祭、
とりわけケルト人の行う
サウィン祭に由来するとされているそうです。
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わたしは30日の晩から、
死者祭りでした(笑)。
亡くなったフェレットを思い出して号泣したり、
10代で亡くなってしまったお友達や後輩や
好きだったお兄ちゃんや、
そういうのがワーッと思い出されて、
本当に沢山泣きました。
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そして、悲しかった気持ちと向き合って、
向き合った翌日は、
心がとても軽いのを実感しています。
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こうやって気持ちの澱を流して、
新しいスペースを作って、
豊かなものへと
自分を解放するのかも知れないな。
なんて、思います。
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交通事故で亡くなったお兄ちゃんは
わたしの初恋の人で、
彼が亡くなってからそれに気がつきました。
側に居なくても
生きていてくれることが支えになる人って居ます。
あまりのショックに食べ物が喉を通らなくて、
こんなに大切な人だったのだと気がついても、
もう居ないということは、
高校生だったわたしにとっては衝撃でした。
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いつもふざけて笑い合っていた
K くんが
やっぱり交通事故で亡くなったと聴いたのは、
その翌年で、
嘘でしょ?!と言ったら怒られました。
明るい、
えくぼの可愛い人でした。
わたしは当時お友達と、
交換日記のように小説を書いていたのですが、
その登場人物でもあったK くんの死は、
やっぱりちょっと堪え難いものがありました。
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吹奏楽部の後輩だったI くんは、
原因不明の発作で亡くなったと聴いています。
建築家を目指していた子でした。
卒業旅行を兼ねて、
お友達とみんなで軽井沢に星を観に行った帰りに、
車の中で、
いつか先輩に
事務所のロゴ(デザイン)を作ってもらいたい
と言ってくれた子でした。
車の後部座席で、
満天の星を見上げながら、
I くんの
その言葉を聴いて、
とてもうれしかったのを覚えています。
彼が亡くなったのは、
その本当に直後でした。
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小学生の時は、
同級生の女の子が病気で亡くなりました。
10代は、ご他聞にもれず、
なんだか、とてもハードだったように思います。
後悔しないことを決意するには
十分過ぎる体験でした。
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20代では、
わたしに写真の楽しさを教えてくださった
恩師の死と対面しました。
いつも笑顔だった先生の
真顔を観たのは初めてで、
棺桶を前に、涙が止まりませんでした。
本当に可愛がってくださった先生で、
卒業式の後は食事をごちそうしてくださいました。
I 先生が居てくださったからわたしは
今も写真を楽しむのだと思います。
毎日のことに精一杯で、
先生からのお誘いを断り続けてしまったこと、
なのに、
先生のお弟子さんが、葬儀の際に、
手帳からわたしの連絡先を見つけ、
わざわざ呼んでくださったこと。
それは、
わたしの数少ない後悔のひとつでした。
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30代は、
祖父祖母の死よりも、
飼っていたペットの死が衝撃でした。
子どものいないわたしにとって、
彼らは子供そのものでした。
耐えられませんでした。
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40代になって、
心を支えてくださった先生の死を知りました。
割と最近のことなので、
Blog を読んでくださった方にはご存知の通りです。
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色んな死があって、
それぞれに感じるものが違う。
死によって初めて気がつかされることがあったり、
しないと決めて必死に取り組んでいる筈なのに
訪れる後悔があったり、
衝撃が強過ぎて、
泣けない想いが溜まっていたり。
そういうものが、
どこか心の奥底に潜んでいて、
溢れ出るのを待っていたみたいでした。
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この2つの映像が、
思い出と、
感じきれなかった想いを引き出してくれました。
泣けました。
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これを30日の晩に観てしまって、
亡くなったフェレットの将太の死と、
やっと、本当に向き合えました。
こんなにごめんなさいと思っていたなんて、
5年経って、
やっと向き合えました。
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初恋だったお兄ちゃんの死を思い出しました。
それがどれだけわたしの人生に
大きく影響を与えているかを知りました。
伝えたいという気持ちは、
明日もう居ないかも知れないという、
そういう想いからやってきていることを感じます。
ちょっとはた迷惑かも知れません(笑)。
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わたしは死者の国や、前世や未来世を
本当の意味では信じていません。
霊的なものが
今ここにいることは判りますが、
それがどこからやってきているかは、
わたしには判らないからです。
前世を感じることもありますが、
厳密にはそれが自分の空想と、どう違うのか?
という言及に対して答え切れません。
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全ての答えを知る必要はない。
その答えは、
クリエイションでもあることを知っている必要がある。
と、思っています。
削ぎ落として、削ぎ落として、
残る「今ここ」は本当にシンプルなものです。
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沢山泣いて、
よくもまあ、
こんなに涙が涸れないものだと驚きます。
心の軽さをもって、
新しい豊かさに開いて、
11月をスタートします。
みなさんも
素敵な毎日をお過ごしくださいね。
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