2014/01/17
煩悩があまりないらしい
どうやら、わたしには
あまり煩悩がないらしいのです。
7年程の間
話を聴いてくださっている方に、
「あなたは煩悩を学んだ方がいいかもね!」
と大笑いされました。
とはいえ、自覚として
煩悩が全くない訳ではないので、
そうおしゃべりすると、
「かなり若い段階である意味
非常に合理的に捨てて来てしまっている」
という表現をされていました。
*
わたしは長女なので
当然妹が生まれた後は、
当然、沢山の我慢をしました。
母は当時
自宅にて子ども達を教える先生でした。
わたしはやっと
お母さんに話を聴いてもらえるかと思ったら、
子ども達を相手するために、
お母さん!お母さん!と寄ってくるわたしが邪魔で、
わたしはいつもお部屋の扉をぴっちり占められて、
1人で読書をしていました。
*
状況が判るので、
仕方ないこともあると。
その時にあがってくる感情を持ち続けても、
いいことはないし、
そこを育てていくよりも、
別のエネルギーに換えた方がいい。
*
小さい頃は、
理由の判らないいじめにも遭いましたし、
誰にも言わないから言って!と言われて
伝えたことが翌日クラス中にバラまかれていたり、
海外へ友達2人で行くというので
どこへ行くの?と訊ねると
「さやかバカじゃない?小学生が2人で行く訳ないじゃん!」
と言われたり
(お友達にとてもお金持ちの子?もいたりして、
海外の親戚のお家へとか、
3歳から英会話教室に通っていたので
小学生が留学しているとか知っていたので、
それがどうしてバカだということになるのか
上記の言われようは本当に今でも謎です…)
色々と今考えても、
本当に判らないなあということが多くて、
当時、ものすごく大変だったのですね。
*
それはそれで必死に
何とかしようとして来たのかも知れません。
そういう本も読みましたし、
そういうマンガも読みました。
CIPHER という名作マンガがあるのですが、
これにアレクサンドライトという男の子が出て来て、
好きな女の子に対して
アグレッシブになれない自分がイヤだったか何かで
うろ覚えなのだけれど(25年位前のことなので…)
その後、
「落ち込んでいても仕方ないから、勉強しよう!」
と机に向かうシーンがあった
という記憶があります。
確かはちまきを締めるかなにかの動作と、
アレクサンドライトの横顔があって、
この人のこういうところはすごいなあ…みたいに、
ジェイが思う、といったシーンだったかと。
これ本当だなあ…と深く感銘を受けて、
わたしもそうしたいなと思った記憶があります。
中学の頃には、
割と自覚的にそうやって選択をしていたのです。
*
もっと早いのは、
死についてでそれは小学生の頃でした。
小学1年生か2年生の時
お友達が亡くなった後、
さと子の日記という本を読みました。
わたしは絶対に自殺はしないし、
毎日さと子さんが生きられなかった分も生きよう、
と決めたのですから、
相当早い段階での選択だと思います。
*
そうやって選択した記憶がしっかりあるので、
わたしにはやらされている感が
非常に少ないのかもと思います。
でも、そういう選択を迫られる位、
日々のわたしは穏やかな毎日からは遠かった、
とも言えるかなとも思います(笑)。
言われることもやられることも
理解が出来ないし、
日本人のネイティブなのに
日本語は壊滅的に通じなかったし、
追いつめられていたのです(笑)。
幼少でさすがに「煩悩」という概念は知りませんし
それを消そうとした訳でもなくて、
そうやらないと
シンプルに生き難かったのだと思います。
*
ない、訳ではなく、
殆どない状態で生きて来ちゃいました。
ということなのではないか?と。
そして当然、
かなり考えた上でやっているので、
合理性があります。
わたしはそれでいい思いはしなかったから、
止めたんだけど、尚更解らない、
どういう理由でそれをやっているの?
ということへ発展しているのかも知れません。
*
わたしは非常に
現実主義者なので、
「人って変わらない」というような定義を、
基本的に
全部疑っているところがあります。
サイコサイエンス的な立ち位置と
言ってもいいかも知れません。
病気から7年でここまで立ち上がって来れたのも、
根底にこの気持ちがあるからなのかも知れません。
お医者さまからは、
「もう元には戻らないかも」等など、
当然言われて来ている訳ですが、
「未来のことなのに、どうしてそうだと判るの?」
という視点や、
「やってみないで、どうして言い切れるの?」
という視点が必ずあって、
「本当にそう?」
と考えているのです。
*
「さやかは人の気持ちが解らない!」
と。
明らかに
わたしの気持ちを理解していない人達から
言われ続けた時期があります。
「あなたもだよね?」と思うのですが、
一理あるなあとも思ったので、
聴くことも
かなり意図的に勉強してきました。
*
ですから
抽象的には理解が出来るので、
聴く力は
初対面の方から驚かれる程なのです。
セッションでは当然理解は出来ます。
*
ただ「自分が当事者になる」と
すごく理解が難しくて、
これは一体
何を言いたくて言っているんだろうか?
と謎が多いです。
中身をよくよく聴いていると、
それはあなたの問題では?ということは判る。
しかし、
わたしに言って来ている。
何とかして欲しいのかもしれない?
ただ、
わたしは非常に色々やった結果、
本当の意味で他人を救うのは無理であると
身を持って知っているし、
それでもやる際は
しっかりコミットをしていただいて、
ご本人が越えていくのを手伝えるだけである、
というのはあるので、
ちゃんとセッションのようにやった方がいい
いうところまで
理解している。
これは、何を言いたいんだろうか????
とものすごく解らない訳です。
*
わたしは言葉は
非常に正確に使うことを心がけていて、
それは幼少に壊滅的に伝わらなくて大変過ぎて、
ものすごく日本語を勉強した結果です。
それが最も現実効果があったのです。
素直に言えない時期もありました。
自分の気持ちに向き合えない時期も長年ありました。
だけど言っても言わなくても
通じない時は通じないなら、
言わないと、
相手はもっと混乱しているのだな
と解ってからは、
なるべく素直に言うようにしています。
これも選択です。
今、目下練習中ですけれどね!
*
とはいえ、
他人から「煩悩を学ぶ方がいい」
といった話が出るのも大笑いです。
もちろん「さやか個人」の日常として、という話です。
わたしに何かが起こっている時に、
理解が急激に出来なくなるみたいです(笑)。
*
わたしの
カウンセリングは定評もお墨付きもあるので、
お仕事の際は全く支障はありませんので、
安心なさってください。
*
自分のことはわからない、
というのも実に興味深い言葉だなあと思います。
自分のことは自分にしか解らない
という言葉もあるので、
本当に、立ち位置や、
何について言っているかを知らないうちは、
言葉って、意味は取り難いですよね(笑)。
*
最近、数ヶ月は
「嫉妬」について学んでいたのですが、
まだ先が長そうです!
煩悩については、
ゆっくり学ぼうと思います。
ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿