今朝は5時過ぎに目が覚めてしまい、
そのまま読書をして朝を待ちました。
*
『ダンナ様はFBI』(幻冬舎さま)
という
タイトルからして
結構ふざけた本を読んでいたのですが、
後半想像を超えてシリアスな展開になり、
朝日が昇る頃には、
何だか涙がにじむ程でした。
パートナーシップの妙について考えてみたり、
親子について考えてみたり、
とっても大切に想う人のことを考えてみたり、
少ししんみりした気持ちであったのは
確かです。
*
ふと先だってのコーチングで
親の子どもへの気持ちは
絶対温かいものであるというような、
その方なりの「子どもの捉え方」を
お話しいただいたのを思い出しました。
*
その方は2児のお父さんでもあるのですが、
お子さんのお話をなさる時に、
とても柔らかな素敵な表情をなさっていて、
そこには温かな愛情が感じられました。
*
その後、
わたしが自分の中での混線を解消すべく
おしゃべりをしていると、
テーマは、
お金であったり、安心であったりするのに、
やはり出てくるのは記憶の中にあるしこりのようなもの。
わたしが退院後
父から実際に言われたことをお話しするなどして、
その時の
その方の反応を感じながら、
「そうか、わたしはどうも
ちょっと大変な状況なのかも知れないなあ…
結構変わった家庭に育っているのかもしれないなあ…」
と感じたのでした。
*
そして昨日の晩。
お友達がわたしの大好きな映画のDVD を
突然プレゼントに送ってくれました。
そこに登場する
「るくそー」という存在がとても好きで、
「るくそーがBF だったらいいのに〜!」と思ったら、
泣けてくる位何かが琴線に触れてしまい、
コーチングを受けた時に
それを言うか言うまいか考える程でした。
DVD をプレゼントしてくれたお友達は
この映画を観て感想を沢山くれたのですが(優しい・笑)、
「るくそーはなんも言わないんだね〜」
とも送ってくれていました。
わたしはそれにちょっとハッとなったのです。
*
何にも言わないで、
ただ側に居てくれる存在。
そんなのは生活をする上で
現実にあり得ないな、ということ。
でもどうしてわたしは、
るくそーが居て欲しいのかな?
ということ。
大変な時に、
「いい」とか「わるい」とかではなく。
ただもう側に居てくれる
そういう存在がシンプルに欲しい
ということなのだろうな、と思ったのでした。
*
相当ぼんやりしながら服を着替え、
顔を洗うために洗面台の前にたって、
それらを思い出しました。
その時。
不意にやって来たのが、
「わたしが…、ここにわたしが居るじゃないか」
という気持ちでした。
誰よりもわたしに寄り添っている、
「わたし」が鏡の中に居たのです。
鏡を観ながら、
わたしはボロボロ泣きました。
*
聴いて欲しかった。
わたしを観て欲しかった。
誰にも、わたしを
良いところと悪いところに
切り刻まないで欲しかった。
わたしをバラバラにしないで欲しかった。
外側はいつも
わたしをバラバラにして、
切り刻んで、
わたしじゃないものにしているように、
感じていました。
*
昨日まで
わたしを大好きだった人は、
結局「わたし」を好きなのではなくて、
わたしの都合の良い「側面」だけが好きなだけ
ということも何度もありました。
幼少から
他人の話を注意深く聞いて来たわたしにとって、
「ひと一人」というのは、
そうそう理解出来るような簡単なものではありません。
それなのに、
「もうあなたのことは解ってるよ!」と
言えてしまう無神経や、
「あなたこういう人だよね」と
バッサリ切り込んでくる人。
自分の価値観だけで
相手を判断して切り捨てていくような傲慢さや、
自己投影と気づかないで、
相手を判断する洞察の浅さ。
いずれも、怖くて怖くて仕方がありませんでした。
*
親もそうでした。
もちろん親を責めるつもりは毛頭ありません。
彼らが一生懸命だったのは
近くで観ていたのです。よく知っています。
わたしは彼らに笑って欲しかったし、
楽になって欲しくて、
小さいなりに一生懸命言うことを聴いて、
しかしどうしようもない圧力には反発し、
でも可能な限り
望まれるようでありたいと思って、
自分を消してがんばってはいたのです。
でも、でも、
ごめんなさいなのだけれど。
わたしはわたしで、どうにも辛かったのです。
*
探しても探しても、
わたしはどこにも居なくて、
わたしは居場所がないように感じられて、
ホッと休むことが難しい感じがありました。
*
学校で机を割り当てられた時は、
それでも居場所を感じられましたが、
朝ちょっとでもゆっくり登校すると、
机や椅子が教室の外に出されていたり、
上履きがなくなっていたりしたものです。
春休み明けの
お誕生日は忘れられがちでしたし、
約束は忘れ去られる度に、
自分の存在が薄れていくようにさえ感じました。
安心出来る居場所が欲しかった。
「わたしの感じる世界の中」には、
どこを探しても
「わたしは居なかった」し、
「わたしの居場所がなかった」のです。
*
でも、わたしは
ずっと、とっくにここに居たのです。
鏡の中に映るわたしを観ながら、
わたしは「わたしの存在」にやっと気がついたのです。
わたしが、知っているよ。
わたしは、観て来たよ。
わたしが、居るよ。
というのは、衝撃でした。
頭では理解していたことでした。
だから他人には話して来たことでもありました。
だけど、その実感が来たのは、初めてだったのです。
*
わたしが、居るじゃないか。
外側にじゃなくて、
内側に。
確実に。
わたしはここに居るじゃないか。
それが驚きでもありました。
*
小学生の頃
こう聴いたのです。
「もし、自分がして欲しいことがあったら他人にしてごらん。
そうするとそれは自分に返ってくるからね」
わたしにとってそれは希望的な言葉でした。
だから一生懸命、やりました。
他人の話を聴いて、理解しようとしました。
誰かを独りぼっちにしないように、
心を配りました。
その人のいいところを見つけようと
いつも探していました。
*
だけど。
わたしはいじめられっこだったし、
根も葉もない酷い噂を立てられたり、
(火のないところに煙は立たないと言いますが、
わたしの経験はそれを全く覆すものでした)
どんなに耳を傾けても、
「ところで、さやかはどうなの?」とは
聴いてはもらえなかった印象を持っています。
こちらが言えば
相手も言うのかと思って、
一生懸命に自分のことを伝えたこともありますが、
それはそれで「自分のことばっかり!」
「あなたのことは解ってるよ!」と言われて、
相手は同じように
話してはくれませんでした。
そしてわたしは「解っているよ!」と言われても、
決して理解されているとは感じられなかったのです。
*
どうしたらいいのか本当に判らなくて、
日本語を沢山勉強して、
心理学を勉強して、
聴く力を養って、
あらゆる手段を通して「理解」に努めて来ました。
でもそれは、
小学生の頃に切実に思った
誰かに「解って欲しい」という
気持ちの発展でしかありませんでした。
*
中学生時代には、
わたしがわたし自身の日常のの言葉ではなく、
自分で書いた小説の登場人物に
言いたいことを語らせると
相手に通じることを見つけました。
*
社会人になってからは、
イラストに言葉を添えると、
わたしの伝えたいことが
その温度で伝わることを見つけました。
それは生まれて初めて体験した
大笑いによって
他人に受け容れられました。
「さやかは真面目でつまんない!」というレッテルに
傷つき悩んでもいたので、
恐ろしい程うれしかったのを、
今も鮮明に思い出せます。
*
ただ、その後。
XBF は結婚直前の女性と浮気をしていたことが発覚して、
わたしは心療内科へ行く程ズタズタになりました。
6年以上続いた関係が終わってしばらくした頃にさせていただいた
2度目の個展では、
イラストを好きだと言ってくれた人の言葉を、
わたしの全部を好きと言ってくれていると感じてしまったり、
(人によるとは思うのですが、
わたしにとって描くことは全部が出てしまうことなので、
自分との距離感が近過ぎて、
別のこととして切り離して考えるのが難しいのです)
イラストを誤解されると
猛烈に哀しくなってしまうことから、
恋愛感情のバランスがめちゃくちゃになってしまって、
今もまだイラストを他人の前に出すのは怖いです。
*
解って欲しかった。
ただもう、
誰かに解って欲しかったのです。
だからわたしは、他人を理解しようとしました。
わたしがあなたを解ったら、
あなたは同じようにわたしを解ってくれる筈。
それは小学生のわたしが
受け取った言葉の解釈でした。
*
わたしを初めて理解してくださった方は、
既に他界されています。
先生は、わたしを聴いてくださいました。
わたしが言葉以上にあらゆることから
相手を知れることにも気がついてくださいました。
「きみには解るのですねえ…」としみじみお話しくださったのは
わたしにとって強烈な救いでした。
*
余りにも解って欲しかったことは、
相手を理解するための原動力となり、
気がつくと、
そのスキルは国境を越えていました。
相手が
オーストラリア人でも、イギリス人でも、フィリピン人でも
アメリカ人でも、イタリア人でも、
誰彼構わず、
彼らは対面するとせき切ったように話し出し、
話し終えて、
自分の中に何かを発見し、
微笑んで去っていくのです。
*
それは、どこか
哀しい出来事でもありました。
わたしは依然として
どこにも居ないままだと感じて居たからです。
わたしは、
聴き役の時は存在を許可されているように感じましたが、
自分が話し出した途端に
バラバラに刻まれて、
居なくなってしまうように感じていました。
*
一昨日読んだ
斎藤一人さんの『人とお金』にも少し泣きました。
もしかしたらやっかみを生んだ外見があるとしたら、
でもそれならそれを
活かすことが大事だよ、という視点。
病気がちだったから自分は今の仕事が出来ている
という斎藤さんの考え方。
それはすごく大きなエールとなって
わたしの心をぐっと引き上げてくれたのです。
背の低いBF としかおつき合いしたことがなくて、
わたしがハイヒールを我慢していたのを覆せたのは、
なんと去年です。
背の高い人は縮こまるのではなく、
10センチヒールをはく位して堂々としていて良い、
自分を活かすことを考えるのだ
という主旨の文面は、
余りにもグッドタイミングでした。
*
わたしは、わたしを活かしていいんだ、ということ。
高校時代にはわたしの普通の在り方について、
「さやかは誰にでも優し過ぎる!」
と言われたこともあります。
だからそっけなくしてみたりもしたのですが、
すごくやりづらかったです。
それは、わたしの普段の在り方だったし、
意図したことでもなかったからです。
わたしがわたしを活かしていいなら、
幼稚園時代に「アイデアはかせ」と言われた
自分の頭を存分に活かしたい。
まだ綺麗に観てもらえるなら
それをもっと磨いて輝いてみたい。
美しいハイヒールを履いて、
優雅に歩きたい。
誰にでも素で関わりたい。
例えそれが優し過ぎるのであったとしても。
聴く力があるならば、
聴かせて欲しい、この力を使わせて欲しい。
自分は素敵で、
ちょっとはイケてると感じてみたいと思えたのです。
*
鏡の中に見つけた、わたしが。
間違いなくここに居るじゃないか。
*
目を赤くして
朝っぱらから泣いているわたしが、
そこに居るじゃないか。
外側に理解されなくても、
外側がわたしを切り裂いていると感じたとしても、
本当は何も起こっていない。
わたしは、ちゃんとここに居るじゃないか。
*
それはビックリする程の衝撃で、
わたしは両手で頬を抑えながら、
そうやって自分自身を感じながら、
しばらく泣いたのでした。
*
そのわたしは、
聴くことで誰かの元気や笑顔を取り戻せる位、
相手を聴けるようになっているよ?
ということ。
解ってくれるのは
さやかさんだけだよ、
さやかちゃん位よ、
さやちゃんだからだよ、
と言ってもらえる位…
誰かを聴けるようになっているのです。
30年間かけて磨いたスキルです。
*
「他人のことは解らない」と教えてくださった方も居ます。
彼はわたしが初めて
「何でこの人は
こんなにわたしを解ってくれるのだろう?!」と感じた人でした。
基本わたしは結構根が素直なので(笑)、
その日から「解ってもらえない」ことは
決して辛いことではなくなりました。
わたしをビックリする位理解してくださる方がおっしゃるのです。
「人のことは解りませんからねえ」と。
それは当り前のことだったんだ、と思えたのです。
*
その割には、
解っている人が居るなあというのは
もはや奇跡みたいに素敵なことでした。
そしてその筈なのに、
なんだか他人から「解ってもらえる」と思ってもらえる
自分がいること。
それもまた奇跡みたいなことだなあと思えて来たのです。
*
もちろん生活の中では、
相手の言い分や、
その背後にある想いや混線を理解していても、
自分の考えや想いを通すことも増やしています。
でも、こうやって必死の想いで身に付けて来たことが、
誰かの役に立てるなら…
今はもう、それは最高にうれしいことです。
*
そうか、
わたしが居たんだ。
そんな日にわたしが惹かれたクリスタルが、
レッドジャスパーだったのは、
偶然じゃないなと思います。
p.s.
お友達曰く「めめめのくらげ」に出てくる、
お友達曰く「めめめのくらげ」に出てくる、
くらげ坊が、色白からしてわたしに似てるそうで、
「特にやる気まんまんの鼻息ふん!っていうのも
感じがさやちゃんだったよ。」だ、そうです(笑)。
感じがさやちゃんだったよ。」だ、そうです(笑)。
こんな親しみやすいならうれしいです。
ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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