2014/01/28

わたしが居るじゃないか




















今朝は5時過ぎに目が覚めてしまい、
そのまま読書をして朝を待ちました。

 *

『ダンナ様はFBI』(幻冬舎さま)
という

タイトルからして
結構ふざけた本を読んでいたのですが、

後半想像を超えてシリアスな展開になり、

朝日が昇る頃には、
何だか涙がにじむ程でした。

パートナーシップの妙について考えてみたり、
親子について考えてみたり、

とっても大切に想う人のことを考えてみたり、

少ししんみりした気持ちであったのは
確かです。

 *

ふと先だってのコーチングで

親の子どもへの気持ちは
絶対温かいものであるというような、

その方なりの「子どもの捉え方」を
お話しいただいたのを思い出しました。

 *

その方は2児のお父さんでもあるのですが、
お子さんのお話をなさる時に、

とても柔らかな素敵な表情をなさっていて、
そこには温かな愛情が感じられました。

 *

その後、

わたしが自分の中での混線を解消すべく
おしゃべりをしていると、

テーマは、
お金であったり、安心であったりするのに、

やはり出てくるのは記憶の中にあるしこりのようなもの。
わたしが退院後
父から実際に言われたことをお話しするなどして、

その時の
その方の反応を感じながら、

「そうか、わたしはどうも
ちょっと大変な状況なのかも知れないなあ…
結構変わった家庭に育っているのかもしれないなあ…」

と感じたのでした。

 *

そして昨日の晩。

お友達がわたしの大好きな映画のDVD を
突然プレゼントに送ってくれました。

そこに登場する
「るくそー」という存在がとても好きで、

「るくそーがBF だったらいいのに〜!」と思ったら、
泣けてくる位何かが琴線に触れてしまい、

コーチングを受けた時に
それを言うか言うまいか考える程でした。

DVD をプレゼントしてくれたお友達は
この映画を観て感想を沢山くれたのですが(優しい・笑)、

「るくそーはなんも言わないんだね〜」
とも送ってくれていました。

わたしはそれにちょっとハッとなったのです。

 *

何にも言わないで、
ただ側に居てくれる存在。

そんなのは生活をする上で
現実にあり得ないな、ということ。

でもどうしてわたしは、
るくそーが居て欲しいのかな?

ということ。

大変な時に、
「いい」とか「わるい」とかではなく。

ただもう側に居てくれる
そういう存在がシンプルに欲しい

ということなのだろうな、と思ったのでした。

 *

相当ぼんやりしながら服を着替え、

顔を洗うために洗面台の前にたって、
それらを思い出しました。

その時。

不意にやって来たのが、

「わたしが…、ここにわたしが居るじゃないか」
という気持ちでした。

誰よりもわたしに寄り添っている、
「わたし」が鏡の中に居たのです。

鏡を観ながら、
わたしはボロボロ泣きました。

 *

聴いて欲しかった。
わたしを観て欲しかった。

誰にも、わたしを

良いところと悪いところに
切り刻まないで欲しかった。

わたしをバラバラにしないで欲しかった。

外側はいつも

わたしをバラバラにして、
切り刻んで、

わたしじゃないものにしているように、
感じていました。

 *

昨日まで
わたしを大好きだった人は、

結局「わたし」を好きなのではなくて、
わたしの都合の良い「側面」だけが好きなだけ

ということも何度もありました。

幼少から
他人の話を注意深く聞いて来たわたしにとって、

「ひと一人」というのは、
そうそう理解出来るような簡単なものではありません。

それなのに、

「もうあなたのことは解ってるよ!」と
言えてしまう無神経や、

「あなたこういう人だよね」と
バッサリ切り込んでくる人。

自分の価値観だけで
相手を判断して切り捨てていくような傲慢さや、

自己投影と気づかないで、
相手を判断する洞察の浅さ。

いずれも、怖くて怖くて仕方がありませんでした。

 *

親もそうでした。
もちろん親を責めるつもりは毛頭ありません。

彼らが一生懸命だったのは
近くで観ていたのです。よく知っています。

わたしは彼らに笑って欲しかったし、
楽になって欲しくて、

小さいなりに一生懸命言うことを聴いて、
しかしどうしようもない圧力には反発し、

でも可能な限り
望まれるようでありたいと思って、

自分を消してがんばってはいたのです。

でも、でも、
ごめんなさいなのだけれど。

わたしはわたしで、どうにも辛かったのです。

 *

探しても探しても、
わたしはどこにも居なくて、

わたしは居場所がないように感じられて、
ホッと休むことが難しい感じがありました。

 *

学校で机を割り当てられた時は、
それでも居場所を感じられましたが、

朝ちょっとでもゆっくり登校すると、

机や椅子が教室の外に出されていたり、
上履きがなくなっていたりしたものです。

春休み明けの
お誕生日は忘れられがちでしたし、

約束は忘れ去られる度に、
自分の存在が薄れていくようにさえ感じました。

安心出来る居場所が欲しかった。

「わたしの感じる世界の中」には、
どこを探しても

「わたしは居なかった」し、
「わたしの居場所がなかった」のです。

 *

でも、わたしは

ずっと、とっくにここに居たのです。

鏡の中に映るわたしを観ながら、
わたしは「わたしの存在」にやっと気がついたのです。

わたしが、知っているよ。
わたしは、観て来たよ。
わたしが、居るよ。

というのは、衝撃でした。

頭では理解していたことでした。
だから他人には話して来たことでもありました。

だけど、その実感が来たのは、初めてだったのです。

 *

わたしが、居るじゃないか。

外側にじゃなくて、
内側に。

確実に。

わたしはここに居るじゃないか。

それが驚きでもありました。

 *

小学生の頃
こう聴いたのです。

「もし、自分がして欲しいことがあったら他人にしてごらん。
そうするとそれは自分に返ってくるからね」

わたしにとってそれは希望的な言葉でした。

だから一生懸命、やりました。
他人の話を聴いて、理解しようとしました。

誰かを独りぼっちにしないように、
心を配りました。

その人のいいところを見つけようと
いつも探していました。

 *

だけど。

わたしはいじめられっこだったし、
根も葉もない酷い噂を立てられたり、

(火のないところに煙は立たないと言いますが、
わたしの経験はそれを全く覆すものでした)

どんなに耳を傾けても、

「ところで、さやかはどうなの?」とは
聴いてはもらえなかった印象を持っています。

こちらが言えば
相手も言うのかと思って、

一生懸命に自分のことを伝えたこともありますが、

それはそれで「自分のことばっかり!」
「あなたのことは解ってるよ!」と言われて、

相手は同じように
話してはくれませんでした。

そしてわたしは「解っているよ!」と言われても、
決して理解されているとは感じられなかったのです。

 *

どうしたらいいのか本当に判らなくて、

日本語を沢山勉強して、
心理学を勉強して、

聴く力を養って、
あらゆる手段を通して「理解」に努めて来ました。

でもそれは、
小学生の頃に切実に思った

誰かに「解って欲しい」という
気持ちの発展でしかありませんでした。

 *

中学生時代には、
わたしがわたし自身の日常のの言葉ではなく、

自分で書いた小説の登場人物に
言いたいことを語らせると

相手に通じることを見つけました。

 *

社会人になってからは、
イラストに言葉を添えると、

わたしの伝えたいことが
その温度で伝わることを見つけました。

それは生まれて初めて体験した
大笑いによって

他人に受け容れられました。

「さやかは真面目でつまんない!」というレッテルに
傷つき悩んでもいたので、

恐ろしい程うれしかったのを、
今も鮮明に思い出せます。

 *

ただ、その後。

XBF は結婚直前の女性と浮気をしていたことが発覚して、
わたしは心療内科へ行く程ズタズタになりました。

6年以上続いた関係が終わってしばらくした頃にさせていただいた
2度目の個展では、

イラストを好きだと言ってくれた人の言葉を、
わたしの全部を好きと言ってくれていると感じてしまったり、

(人によるとは思うのですが、
わたしにとって描くことは全部が出てしまうことなので、

自分との距離感が近過ぎて、
別のこととして切り離して考えるのが難しいのです)

イラストを誤解されると
猛烈に哀しくなってしまうことから、

恋愛感情のバランスがめちゃくちゃになってしまって、
今もまだイラストを他人の前に出すのは怖いです。

 *

解って欲しかった。

ただもう、
誰かに解って欲しかったのです。

だからわたしは、他人を理解しようとしました。

わたしがあなたを解ったら、
あなたは同じようにわたしを解ってくれる筈。

それは小学生のわたしが
受け取った言葉の解釈でした。

 *

わたしを初めて理解してくださった方は、
既に他界されています。

先生は、わたしを聴いてくださいました。

わたしが言葉以上にあらゆることから
相手を知れることにも気がついてくださいました。

「きみには解るのですねえ…」としみじみお話しくださったのは
わたしにとって強烈な救いでした。

 *

余りにも解って欲しかったことは、
相手を理解するための原動力となり、

気がつくと、
そのスキルは国境を越えていました。

相手が
オーストラリア人でも、イギリス人でも、フィリピン人でも
アメリカ人でも、イタリア人でも、

誰彼構わず、
彼らは対面するとせき切ったように話し出し、

話し終えて、
自分の中に何かを発見し、

微笑んで去っていくのです。

 *

それは、どこか
哀しい出来事でもありました。

わたしは依然として
どこにも居ないままだと感じて居たからです。

わたしは、
聴き役の時は存在を許可されているように感じましたが、

自分が話し出した途端に
バラバラに刻まれて、

居なくなってしまうように感じていました。

 *

一昨日読んだ
斎藤一人さんの『人とお金』にも少し泣きました。

もしかしたらやっかみを生んだ外見があるとしたら、

でもそれならそれを
活かすことが大事だよ、という視点。

病気がちだったから自分は今の仕事が出来ている
という斎藤さんの考え方。

それはすごく大きなエールとなって
わたしの心をぐっと引き上げてくれたのです。

背の低いBF としかおつき合いしたことがなくて、

わたしがハイヒールを我慢していたのを覆せたのは、
なんと去年です。

背の高い人は縮こまるのではなく、
10センチヒールをはく位して堂々としていて良い、

自分を活かすことを考えるのだ
という主旨の文面は、

余りにもグッドタイミングでした。

 *

わたしは、わたしを活かしていいんだ、ということ。

高校時代にはわたしの普通の在り方について、

「さやかは誰にでも優し過ぎる!」
と言われたこともあります。

だからそっけなくしてみたりもしたのですが、
すごくやりづらかったです。

それは、わたしの普段の在り方だったし、
意図したことでもなかったからです。

わたしがわたしを活かしていいなら、

幼稚園時代に「アイデアはかせ」と言われた
自分の頭を存分に活かしたい。

まだ綺麗に観てもらえるなら
それをもっと磨いて輝いてみたい。

美しいハイヒールを履いて、
優雅に歩きたい。

誰にでも素で関わりたい。
例えそれが優し過ぎるのであったとしても。

聴く力があるならば、
聴かせて欲しい、この力を使わせて欲しい。

自分は素敵で、
ちょっとはイケてると感じてみたいと思えたのです。

 *

鏡の中に見つけた、わたしが。

間違いなくここに居るじゃないか。

 *

目を赤くして
朝っぱらから泣いているわたしが、

そこに居るじゃないか。

外側に理解されなくても、
外側がわたしを切り裂いていると感じたとしても、

本当は何も起こっていない。

わたしは、ちゃんとここに居るじゃないか。

 *

それはビックリする程の衝撃で、
わたしは両手で頬を抑えながら、

そうやって自分自身を感じながら、
しばらく泣いたのでした。

 *

そのわたしは、

聴くことで誰かの元気や笑顔を取り戻せる位、
相手を聴けるようになっているよ?

ということ。

解ってくれるのは

さやかさんだけだよ、
さやかちゃん位よ、
さやちゃんだからだよ、

と言ってもらえる位…

誰かを聴けるようになっているのです。
30年間かけて磨いたスキルです。

 *

「他人のことは解らない」と教えてくださった方も居ます。

彼はわたしが初めて

「何でこの人は
こんなにわたしを解ってくれるのだろう?!」と感じた人でした。

基本わたしは結構根が素直なので(笑)、

その日から「解ってもらえない」ことは
決して辛いことではなくなりました。

わたしをビックリする位理解してくださる方がおっしゃるのです。
「人のことは解りませんからねえ」と。

それは当り前のことだったんだ、と思えたのです。

 *

その割には、
解っている人が居るなあというのは

もはや奇跡みたいに素敵なことでした。

そしてその筈なのに、

なんだか他人から「解ってもらえる」と思ってもらえる
自分がいること。

それもまた奇跡みたいなことだなあと思えて来たのです。

 *

もちろん生活の中では、

相手の言い分や、
その背後にある想いや混線を理解していても、

自分の考えや想いを通すことも増やしています。

でも、こうやって必死の想いで身に付けて来たことが、
誰かの役に立てるなら…

今はもう、それは最高にうれしいことです。

 *

そうか、
わたしが居たんだ。

そんな日にわたしが惹かれたクリスタルが、

レッドジャスパーだったのは、
偶然じゃないなと思います。


p.s.
お友達曰く「めめめのくらげ」に出てくる、
くらげ坊が、色白からしてわたしに似てるそうで、

「特にやる気まんまんの鼻息ふん!っていうのも
感じがさやちゃんだったよ。」だ、そうです(笑)。

こんな親しみやすいならうれしいです。


ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか 

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