わたしだったらどうするかは、話すけれど、
本当は
それさえ余分な話かもなあと思ったりはします。
昔みたいに
相手をひたすら聴けなくなったので
「でもさ」と言ったりはするけれど、
でも、
その「でもさ」以下の話は
聞き流してくれていいよ、
と思います。
*
その人がその人を生きておくれ、と、思います。
あなたとわたしは別の人間なので、
やっぱりあなた自身が、
幸せでいることが大事なような気がします。
*
幸せは、人それぞれ。
幸せは感じるものなので、
その人にしか判らない。
「幸せ」は、
「見たくない自分」と
同じ扉の中に入っていることが多いような気がします。
*
「もしそうなったら、もう
こうしてはいられない気がする」
本当の自分と向き合っていくことを
恐れる気持ちとは、
ああ、こういうものなのだなあと感じながら。
でも、
本当の気持ちのままに生きた時の自分を
恐れずに、
まずは自分自身が
温かく見守ってあげて、
と思います。
多くの人は、
本当の自分を生きることは、
破綻であるかのように感じるのかも知れませんが、
わたしは、
多分それは、
破綻を修復する
唯一のものなのではないかと感じるのです。
*
日々迷うことがあります。
正解が沢山存在するこの世の中で、
決断をするためには、
自分と向き合う必要があることを
長いこと実感しています。
ある意味、全て正解です。
判断基準は、
本当に、自分がこれでいいと思っているかどうか。
それは思考というよりも、
感覚なのかもしれません。
確信を持てることばかりではありません。
その時々の自分の限界を
思い知るようなことだとさえ思います。
そして、決断はいつだって恐いです。
本当にそれで良かったかどうかなんて、
誰にも判らないからです。
判断できるのは自分だけだからです。
それまで曖昧にあった
未来の選択肢を絞ることでもあるからです。
*
ただ、ひとつだけ言えることがあって、
どの選択肢を取ったとしても、
幸せになることは出来る、
ということです。
それは同時に、
どの選択肢を取っても、
不幸になることも出来る
ということだからです。
どんな困難な状況の中でも、
幸せはやってきます。
とった選択肢の先に、
幸せをクリエイトするのは自分。
幸せか不幸かを決めるのは、
自分自身だからなのです。
*
世の中のあらゆることは、
自分の選択の範囲で成立しています。
選択肢を広げるために、
人と話すことも大事だろうなと感じます。
決めるのが怖いのは
当たり前だと思います。
それが変化をもたらすものであれば
尚更怖くて当然だと思います。
*
今すぐ決められないことを、
悪いこととする必要はあるでしょうか。
決めたからといって、
いいことだと言えるでしょうか。
いいとか悪いとかは、
個人の感想のようなものです。
自分の状況を
淡々と見つめればいいだけに思います。
今、決められない。決めたくない。
そんな自分がいることを知っておくことだけで
まずは充分に思います。
動きたくないのならば、動かないこと。
それによって逃すものもあるでしょう。
でも、
それでいいのです。
それが
自分の選択だということです。
無意識に流さず、
今は動かないと
自らが意識することなのだと思います。
*
意識的であれ
無意識であれ、
自分が決めていることの積み上げで
今日があるように感じています。
このままでは嫌だ、と感じたら。
その感覚は大切にして欲しいです。
そして、
二者択一はとても怖い筈なので、
取れる選択肢を
増やすことだと思います。
*
時間は、
あなたがあると思っただけあります。
あなたが
あなたの意思で、
また1歩ゆっくりと踏み出すことを
祈っています。
わたしは10代だった当時から、
これからもずっと
あなたのことが大好きです。
0 件のコメント:
コメントを投稿