2014/02/12
無理しない
「無理をしない」というのは、
どういうことだと思いますか?
「身体を大事に使う」とか、
「心が育つのを待つ」ということかな?
と思ったりします。
*
「ストレスをかけない」
ということが日常の命題になった時に、
ひとつ目は、
「まあそれは無理だな。」
というのと(笑)、
「ストレスを避け過ぎると、
何も出来なくなるな。」
という2つがありました。
*
ストレスは
「うれしくてもかかる」ので、
じゃあ、すっごいうれしいのを避けたいか?
というと、
いやいや、
すっごくうれしくても大丈夫でありたいです。
問題に感じるのは、
自分を責めたり、落としたり、苦しめたり。
気持ちを辛くさせるストレスを
どうにかすることだな、
と、思いました。
*
じゃあそれはどうやって起こっているかと思うと、
思考に起こっているなと。
ということは、
思考パターンに変更をかけたらいいのではないか?
特に無意識になっているそれを、
改善して行く対策をとるのがいいだろうな。
と思ったのです。
*
と、同時に。
心が自然と動くまでは、
子どもっぽさを許容しようと決めました。
これで損をするのは判っていました。
何故か?
それは、
自分でも解っている
「こうすると損をする」が目の前にあっても、
自分の心の言っている
「でも納得がいっていない、
わたしはこう思うんだもん!」
を優先して「言動する」を選択します。
という決め事だったからです。
*
やらないと決めたのは
「ふりをする」ことです。
大人げなくても、
だって大人げないんだもん。
というところに正直にいる。
その代わり、
自分の言動に責任を持って、
それによって起こること
例えば、
人が去って行くことや、
どんな人とつき合うことになるか、
には注意を払うということです。
そこでの話題、
そこでの自分に違和感を持って、
居心地が悪いなと思って、
初めて
「じゃあどうしたいの、わたし?」と
次を考える。
*
とにかく納得しながら
積み上げることにしたのです。
*
だからもう、
経過は酷いものです(笑)。
今も酷いものです(笑)。
最近わたしは
ようやく怒れるようになって来たのですが、
怒っていると、
怒ったままうわーっとfacebook に書いてみたりします。
普通は、そこは
舞台裏として見せないものですが、
(本などにもありますが、
「見せない」が多く言われていることです)
意外にも、
それに励まされているよ、と
自分だけじゃないのだなと思うよ、
ちゃんと言えて偉い、など
こっそり教えてくださる
経営者さまなどもいらっしゃるので、
本当にひとつのことの
受け取られ方の多様性には驚くばかりですよね!
*
リアルな子ども時代は、
無理して「正しく」いようと努力したのですが。
34で病気をしてからは、
自分で自分を育児。
大人だから出来る
(いざという時は常識的対応は出来ますし
責任ももう自分で取れます)、
無理せず、ゆっくり
心を育て直しています。
*
そんなこんなでぼちぼち7年。
その結果。
なんだか以前より、
素敵な人達が周囲に集まりやすくなっています。
そしてわたしは、
心と
自分の言動による、
違和感が殆どなくなってきました。
シンプルに!
*
これ、いいと思いますよ。
ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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