わたしはクリスタルをお選びする時に、
お名前の響きとクリスタルのニュアンスが
共鳴しているかどうかだけを観て感じています。
やはり個人的な想像には
限界があるな…と思っていて、
意味で選ぼうとしても
どこかがぼやけてしまいます。
*
セッションの場合は、
お話を伺った後、
そのお話を発しているご本人のエネルギーと、
クリスタルのエネルギーのマッチングを
させていただくような感じです。
*
さてさて、
フィルターかけたら写真が
ゴールドルチルになってしまったのですが(笑)、
今日は、
シルバールチルクォーツのお話です。
*
シルバールチルは、
太陽と月なら月のイメージで。
エネルギーとしては出すのではなくて「容れる」。
エネルギーというと、
外に出す方をイメージするかも知れませんが、
内側に入れる(?)にもエネルギーは要ります。
むしろ内に向かう方が
何十倍も力が要るような気がします。
*
一方で、
慣れれば消耗は圧倒的に防げます。
何故かと言うと「外側には出さない」からです。
外側に観ているものは、
内側に観ているから、見える。
そういうことも、
こういう内向きのエネルギーを扱えるようになると
理解出来るようになってきます。
*
以下は、
シルバールチルクォーツの世界観を説明するのに
具体例があった方が解りやすいので、
内向きのエネルギーについて、
わたしの体験を通した「例え話」です♪
*
わたしは10代の頃、
父親から精神的に
めちゃくちゃ潰されています(笑)。
当時のわたしは学級員など、
人の上にたつような立場に
推薦されることが多い子どもでした。
まあ押し付けやすかったのもあるでしょう(笑)。
このまま誰も居なかったから
ズルズル時間が過ぎて行くな…、
時間がもったいないな…とそれに耐えられなくて、
(居ないなら)やりますよ的な
反応をしやすかったのもあります(笑)。
*
引き受けると、どうなるか?
「偉いねえ、がんばってるねえ」と
言ってもらえる訳ではなく、
父が、何故か激怒をしたのです。
頭ごなしに「出来る訳ない!」みたいに。
やったこともないのに、
やってみなかったら判らないでしょうと反論すれば、
そんなのはやる前から判っている、
出来っこない!
というような応酬になります。
*
1番身近な男性からの応援を得られない経験。
根拠もなく
一方的な言葉は悔しいですし、
引き受けた以上はやりきりたい。
故に、
必死で結果を出します。
これはもう本当に必死で、です。
やって結果が出たら、
状況が変わるかも知れないと思っていたのかも知れません。
*
でも、この時点で、
もはや状況を楽しんではいません。
「圧力に対する反発」からそれは生まれていて、
認めさせてやる!といった、
戦いに対する勝利のためにやってしまっているのです。
*
そういう勢いでやっていれば、
何となく雰囲気でもそれは伝わるのかも知れません。クラスメイトからの
「女のくせに生意気だ」という言葉や、
女性蔑視的な先生からの指導。
人間としてみて欲しいなと思いながら、
わたしはそういう
「お前は出来ない!」ということに
まず反抗をしないと、
興味あることをやれなかったのです。
*
しかし学校へ行けば
先生やOBという肩書きの、
様々な大人の男性に出会うことも出来ました。
「自信があるように見える方」を観ていると、
決して大声で怒鳴ったり、
人を悪く言ったりしませんし、
人と比較して、
他人を落としたりはしませんでした。
ということは?
父はどこか自信がないのかも知れないな、
と仮説を立てたのが高校生の時でした。
小さな犬が
ギャンギャン吠えることと、
大きな犬が
黙ってじっとしていることに、
どこか似ているようにも感じていました。
*
父親をずっと観察していると
母親が役員などを引き受けると
同じように言います。
(母の実家は、
女性が公的な役割を
自然に引き受ける家系でしたから
彼女にとっては自然なことかも知れません)
これは父親の心における、
何かの問題なのだろうなと
推測出来るようになりました。
そしてその
激しい言い方の背後にあるものは、
根本的な問題なのではなくて、
あくまでも
引き金を引くキッカケに過ぎないようだ、
ということに気がついたのです。
*
これに気づくことによって、
いかにも父親との間に横たわる
問題だと思っていたことは、
わたし自身の問題へと切り替わります。
*
何故か?
その時には既に、
男性に対するある種の反発心のようなものが
心の中に育ってしまっていて、
勉強でも何でも、
「自分よりも出来ないな」と感じた男性には、
冷徹な感情が
湧いてくるようになっていたからです。
父に頭ごなしにやられた時に感じた怒りが
姿を変えて、
相手に対する
軽蔑や憎悪のような感覚が生まれて来ていたのです。
これはもう、
父親に何かを言われなくても、
言われたかのように心の中で、
反応が繰り返されてしまっていたのでした。
*
(ここに実際は、
女の子にいじめられた頃に、
男の子が心の助けになってくれたことへの感謝や
そうはいっても思春期には
好きな男の子が出来てしまうことへの葛藤や、
様々な感情が同居をしていました。
ですから総じて上記程
シンプルに解りやすい感情ではなかったのですが、
話を理解しやすくするのに、
他を一旦省いてお話ししています)
*
それを
どうやって解消出来たでしょう。
父親と話し合って和解出来たと思いますか?
違います。
わたしが、
「わたしの心の中に育ててしまった感覚」と
向き合ったのです。
不思議なことに思えるかもしれませんが、
これによって
解決の道が開かれたのです。
*
そこにあったのは
「自分への強い否定感」でした。
出来ないと言われることへの悔しさ、
出来ても認められない悔しさ、
本当は、
お父さんに認めて欲しかった
小さな女の子の
純粋な感情が根底にはありました。
最初の出発点は、シンプルです。
大好きなお父さんに
「すごいな!よくやってるな!がんばったな!」
と褒めて欲しかったのです。
ただ、本当にそれだけの、
可愛らしい願望だったのです。
*
自分の中で「自分の評価をあげて行く」
地道な取り組みをしました。
それは、
冷静に冷静に現実を観て行くと、
決してわたしを
否定的に言う人ばかりではないのに、
印象として強いのがこの否定感だということに
自分でも気づいたからでした。
*
更に、ごくたまに
せっかく褒めてもらっても、
「この人はわたしを誤解している」と、
頭の中で物語を勝手に発展させて、
素直に受け取れていないことが多かったのです。
*
また、
褒めてもらっているのに
「そんなことはないです」と言ってしまったら
「相手の気持ちを
否定&潰すことになってしまうな」と思い、
「相手のために」と
カタチばかりの
「ありがとうございます!」を言っていた頃も、
相手の気持ちを本当に受け取ることは
出来ていなかったのです。
*
自分と向き合うのは辛いことだと
思っている方にお伝えしておきたいのですが、
それは喜びを
発見する作業でもあるのです。
何故なら、
それらは自分を「肯定して行くプロセス」だからです♪
原因を突き止めて、
あれ?変な混線があるな、と気がついたら、
再選択です。
今まで通りやりたいか?
変えていきたいか?
自分で選ぶことが出来ます。
*
不具合を変えていくというのは、
気持ちよい方へ持って行くということです。
「今日はこれが出来ている!」
「こんなのもうれしかったんだ!」
「うれしい!」
「ありがとう!」
が、日々連鎖して
世界の外側にも膨らんで行くのを
見守るような時間が始まるのです。
*
大事なのは、
自分の出来ることを
自分自身で
認めていることなのではないかな?と。
自分を否定しているうちは、
相手が肯定してくれた言葉が
頭の中を素通りしたり、
それ事態を疑ってしまうことに繋がりやすい。
自分自身が
内側を「受容」出来る態勢に持って行って、
初めて、
外側の言葉を、
素直に受け止められるようになるのです。
*
そして「うれしいな」
という気持ちがシンプルに湧く時。
それは自分が認めている自分の「いいね!」を
他人も「自然に表現してくれた時」に、
表れやすいことにも気がついたのです。
*
「必要なんだからわたしのこと認めてよね!」と
怖い顔をして言っても
基本的に誰も相手にしてくれない筈です(笑)。
そんなことを自分が言われたら?
多分ソロリソロリと逃げ出すでしょう。
昔のわたしは、
至極極端に端的に言うと、
上記のような
アプローチになっていたのではないかな?
と苦笑いです。
*
なんだかんだ言っても、
人はとってもシンプルなものだな
と感じることがあります。
ニコニコ笑っていると、
安心してくれます。
むっとしていると、
相手が緊張をして距離を置いてきます。
子ども達は安心したくて、
クタクタのお母さんとお父さんに、
ニコニコを要請して
一生懸命取り組んで来たりもします(笑)。
上手くいかないと
泣いたりわめいたりもします(笑)。
大人になると、
そんな風には表現しないだけで、
もしかしたら
心の奥では
同じ事が起こっているのかもしれません。
*
なるべく笑っていたいですが、
そうはいっても365日ニコニコするのは難しいです(笑)。
不自然に笑っていても
人はどこかでそれに感づいて、
やっぱり一歩下がってしまいます。
それに、以前
英会話の先生と
おしゃべりしていて大笑いをしたのですが、
「今は授業だからニコニコしているけれど、
電車で1人乗っている時も、
このままだったら変でしょう?」と言われて、
そりゃそうだ!とも思いました(笑)。
*
いつもニコニコなんて、
ストレスがたまるから
しない方がいいのだけれど(笑)、
目の前に大事な人が居たら、
やっぱりなるべく笑っていたいなと思うのです。
取り繕ったニコニコでは、
特に子ども達にはすぐバレてしまいます(笑)!
心底笑顔で居られるように
自分を整えて行くのが、
「まず自分のためを本気で思うといい」ですし、
それはちゃんと
相手のためにもなるのですよね。
それは経験的な学びでもありました。
*
怒っている人が、
怒ることを
楽しんでいるようには見えません。
きっとそれはそれでしんどい筈です。
誰だって出来るだけ、
気持ちよく居たいものじゃないかな?と。
だけど父がそうであったように、
そんな、
しかめっ面の人の側に行くのは勇気が要ります。
*
笑っていたいならば、
まず自分がどうやったら笑えるのか考える。
自分がホッとする瞬間を見つけ出す。
気持ちよく居るためには、
不機嫌な自分を減らすことかも知れないな。
そこは
本気で取り組んで良いことだよな?
と思うようになったのです。
*
緊張して
必死に結果を追っていたわたしは、
人からの「いいね!」を殆ど聴けませんでした。
もっと上を上を目指していて、
いつも自分にダメ出しをしていましたし、
周囲の反応にも過敏になって
不安になってもいました。
多分、…ニコニコからは遠かった気がします。
それ自体も、
相手からの
「いいね!」を減らしていただろうな…と思います。
*
今は、前より大分笑っています(笑)!
*
世の中というのは、
自分の気持ちひとつで本当に広がるもので、
辺を見渡すと、
自分とは違うやり方で、
気持ちを整理したり
乗り越えたりしている人が沢山居ます。
そういう人達を観ているうちに、
そういう人に出会って行くうちに、
やり方を真似して
覚えることも出来るようになります。
コツコツ練習を繰り返して
やり続けて行くうちに、
自分なりの温度感に調整して
使いこなせるようにだってなります。
*
ちょっと元気のない人が居ても、
自分の楽しい気持ちに
正直なまま、
「あー、そういえばさあ、うふふふふ」と
笑って話し始めると、
ちょっと位の不機嫌なら、
一緒に吹き飛ばすことも可能です。
すごく悲しいことの
ど真ん中にいる人が目の前にいても、
「そこまで自分で言えるならもう大丈夫だよ!
もし言えてなかったら深刻かも?って思うけど、
言えてるなら9割大丈夫!わはははは!」
と笑っているうちに、
一緒に元気になってしまうこともあります。
この人はこんなにも今一生懸命なのだ、
それは愛おしいことだ、
という気持ち100% からやってくる笑いは、
決して人を傷つけたりはしないのだと知りました。
*
シルバールチルは、そういう
「内側に効く、しなやかな強さ」と
関連している感覚なのです。
ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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