2014/02/15

シルバールチルクォーツ





















わたしはクリスタルをお選びする時に、

お名前の響きとクリスタルのニュアンスが
共鳴しているかどうかだけを観て感じています。

やはり個人的な想像には
限界があるな…と思っていて、

意味で選ぼうとしても
どこかがぼやけてしまいます。

 *

セッションの場合は、

お話を伺った後、
そのお話を発しているご本人のエネルギーと、

クリスタルのエネルギーのマッチングを
させていただくような感じです。

 *

さてさて、
フィルターかけたら写真が

ゴールドルチルになってしまったのですが(笑)、

今日は、
シルバールチルクォーツのお話です。

 *

シルバールチルは、
太陽と月なら月のイメージで。

エネルギーとしては出すのではなくて「容れる」。

エネルギーというと、
外に出す方をイメージするかも知れませんが、

内側に入れる(?)にもエネルギーは要ります。

むしろ内に向かう方が
何十倍も力が要るような気がします。

 *

一方で、
慣れれば消耗は圧倒的に防げます。

何故かと言うと「外側には出さない」からです。


外側に観ているものは、
内側に観ているから、見える。


そういうことも、
こういう内向きのエネルギーを扱えるようになると

理解出来るようになってきます。

 *

以下は、

シルバールチルクォーツの世界観を説明するのに
具体例があった方が解りやすいので、

内向きのエネルギーについて、
わたしの体験を通した「例え話」です♪

 *

わたしは10代の頃、

父親から精神的に
めちゃくちゃ潰されています(笑)。

当時のわたしは学級員など、

人の上にたつような立場に
推薦されることが多い子どもでした。

まあ押し付けやすかったのもあるでしょう(笑)。

このまま誰も居なかったから
ズルズル時間が過ぎて行くな…、

時間がもったいないな…とそれに耐えられなくて、

(居ないなら)やりますよ的な
反応をしやすかったのもあります(笑)。

 *

引き受けると、どうなるか?

「偉いねえ、がんばってるねえ」と
言ってもらえる訳ではなく、

父が、何故か激怒をしたのです。

頭ごなしに「出来る訳ない!」みたいに。

やったこともないのに、
やってみなかったら判らないでしょうと反論すれば、

そんなのはやる前から判っている、
出来っこない!

というような応酬になります。

 *

1番身近な男性からの応援を得られない経験。

根拠もなく
一方的な言葉は悔しいですし、

引き受けた以上はやりきりたい。

故に、
必死で結果を出します。

これはもう本当に必死で、です。

やって結果が出たら、
状況が変わるかも知れないと思っていたのかも知れません。

 *

でも、この時点で、
もはや状況を楽しんではいません。

「圧力に対する反発」からそれは生まれていて、
認めさせてやる!といった、

戦いに対する勝利のためにやってしまっているのです。

 *

そういう勢いでやっていれば、
何となく雰囲気でもそれは伝わるのかも知れません。

クラスメイトからの
「女のくせに生意気だ」という言葉や、

女性蔑視的な先生からの指導。

人間としてみて欲しいなと思いながら、

わたしはそういう
「お前は出来ない!」ということに

まず反抗をしないと、
興味あることをやれなかったのです。

 *

しかし学校へ行けば

先生やOBという肩書きの、
様々な大人の男性に出会うことも出来ました。

「自信があるように見える方」を観ていると、

決して大声で怒鳴ったり、
人を悪く言ったりしませんし、

人と比較して、
他人を落としたりはしませんでした。

ということは?

父はどこか自信がないのかも知れないな、
と仮説を立てたのが高校生の時でした。

小さな犬が
ギャンギャン吠えることと、

大きな犬が
黙ってじっとしていることに、

どこか似ているようにも感じていました。

 *

父親をずっと観察していると

母親が役員などを引き受けると
同じように言います。

(母の実家は、

女性が公的な役割を
自然に引き受ける家系でしたから

彼女にとっては自然なことかも知れません)

これは父親の心における、

何かの問題なのだろうなと
推測出来るようになりました。

そしてその
激しい言い方の背後にあるものは、

根本的な問題なのではなくて、

あくまでも
引き金を引くキッカケに過ぎないようだ、

ということに気がついたのです。

 *

これに気づくことによって、

いかにも父親との間に横たわる
問題だと思っていたことは、

わたし自身の問題へと切り替わります。

 *

何故か?

その時には既に、

男性に対するある種の反発心のようなものが
心の中に育ってしまっていて、

勉強でも何でも、
「自分よりも出来ないな」と感じた男性には、

冷徹な感情が
湧いてくるようになっていたからです。

父に頭ごなしにやられた時に感じた怒りが
姿を変えて、

相手に対する
軽蔑や憎悪のような感覚が生まれて来ていたのです。

これはもう、
父親に何かを言われなくても、

言われたかのように心の中で、
反応が繰り返されてしまっていたのでした。

 *

(ここに実際は、

女の子にいじめられた頃に、
男の子が心の助けになってくれたことへの感謝や

そうはいっても思春期には
好きな男の子が出来てしまうことへの葛藤や、

様々な感情が同居をしていました。

ですから総じて上記程
シンプルに解りやすい感情ではなかったのですが、

話を理解しやすくするのに、
他を一旦省いてお話ししています)

 *

それを
どうやって解消出来たでしょう。

父親と話し合って和解出来たと思いますか?
違います。

わたしが、

「わたしの心の中に育ててしまった感覚」と
向き合ったのです。

不思議なことに思えるかもしれませんが、

これによって
解決の道が開かれたのです。

 *

そこにあったのは
「自分への強い否定感」でした。

出来ないと言われることへの悔しさ、
出来ても認められない悔しさ、

本当は、
お父さんに認めて欲しかった

小さな女の子の
純粋な感情が根底にはありました。

最初の出発点は、シンプルです。

大好きなお父さんに
「すごいな!よくやってるな!がんばったな!」

と褒めて欲しかったのです。

ただ、本当にそれだけの、
可愛らしい願望だったのです。

 *

自分の中で「自分の評価をあげて行く」
地道な取り組みをしました。

それは、
冷静に冷静に現実を観て行くと、

決してわたしを
否定的に言う人ばかりではないのに、

印象として強いのがこの否定感だということに
自分でも気づいたからでした。

 *

更に、ごくたまに
せっかく褒めてもらっても、

「この人はわたしを誤解している」と、

頭の中で物語を勝手に発展させて、
素直に受け取れていないことが多かったのです。

 *

また、

褒めてもらっているのに
「そんなことはないです」と言ってしまったら

「相手の気持ちを
否定&潰すことになってしまうな」と思い、

「相手のために」と

カタチばかりの
「ありがとうございます!」を言っていた頃も、

相手の気持ちを本当に受け取ることは
出来ていなかったのです。

 *

自分と向き合うのは辛いことだと
思っている方にお伝えしておきたいのですが、

それは喜びを
発見する作業でもあるのです。

何故なら、
それらは自分を「肯定して行くプロセス」だからです♪

原因を突き止めて、
あれ?変な混線があるな、と気がついたら、

再選択です。

今まで通りやりたいか?
変えていきたいか?

自分で選ぶことが出来ます。

 *

不具合を変えていくというのは、
気持ちよい方へ持って行くということです。

「今日はこれが出来ている!」
「こんなのもうれしかったんだ!」

「うれしい!」
「ありがとう!」

が、日々連鎖して
世界の外側にも膨らんで行くのを

見守るような時間が始まるのです。

 *

大事なのは、

自分の出来ることを

自分自身で
認めていることなのではないかな?と。

自分を否定しているうちは、

相手が肯定してくれた言葉が
頭の中を素通りしたり、

それ事態を疑ってしまうことに繋がりやすい。

自分自身が
内側を「受容」出来る態勢に持って行って、

初めて、

外側の言葉を、
素直に受け止められるようになるのです。

 *

そして「うれしいな」
という気持ちがシンプルに湧く時。

それは自分が認めている自分の「いいね!」を
他人も「自然に表現してくれた時」に、

表れやすいことにも気がついたのです。

 *

「必要なんだからわたしのこと認めてよね!」と
怖い顔をして言っても

基本的に誰も相手にしてくれない筈です(笑)。

そんなことを自分が言われたら?
多分ソロリソロリと逃げ出すでしょう。

昔のわたしは、
至極極端に端的に言うと、

上記のような
アプローチになっていたのではないかな?

と苦笑いです。

 *

なんだかんだ言っても、

人はとってもシンプルなものだな
と感じることがあります。

ニコニコ笑っていると、
安心してくれます。

むっとしていると、
相手が緊張をして距離を置いてきます。

子ども達は安心したくて、
クタクタのお母さんとお父さんに、

ニコニコを要請して
一生懸命取り組んで来たりもします(笑)。

上手くいかないと
泣いたりわめいたりもします(笑)。

大人になると、
そんな風には表現しないだけで、

もしかしたら

心の奥では
同じ事が起こっているのかもしれません。

 *

なるべく笑っていたいですが、
そうはいっても365日ニコニコするのは難しいです(笑)。

不自然に笑っていても
人はどこかでそれに感づいて、

やっぱり一歩下がってしまいます。

それに、以前

英会話の先生と
おしゃべりしていて大笑いをしたのですが、

「今は授業だからニコニコしているけれど、

電車で1人乗っている時も、
このままだったら変でしょう?」と言われて、

そりゃそうだ!とも思いました(笑)。

 *

いつもニコニコなんて、

ストレスがたまるから
しない方がいいのだけれど(笑)、

目の前に大事な人が居たら、
やっぱりなるべく笑っていたいなと思うのです。

取り繕ったニコニコでは、
特に子ども達にはすぐバレてしまいます(笑)!

心底笑顔で居られるように
自分を整えて行くのが、

「まず自分のためを本気で思うといい」ですし、

それはちゃんと
相手のためにもなるのですよね。

それは経験的な学びでもありました。

 *

怒っている人が、

怒ることを
楽しんでいるようには見えません。

きっとそれはそれでしんどい筈です。

誰だって出来るだけ、
気持ちよく居たいものじゃないかな?と。

だけど父がそうであったように、

そんな、
しかめっ面の人の側に行くのは勇気が要ります。

 *

笑っていたいならば、
まず自分がどうやったら笑えるのか考える。

自分がホッとする瞬間を見つけ出す。

気持ちよく居るためには、
不機嫌な自分を減らすことかも知れないな。

そこは
本気で取り組んで良いことだよな?

と思うようになったのです。

 *

緊張して
必死に結果を追っていたわたしは、

人からの「いいね!」を殆ど聴けませんでした。

もっと上を上を目指していて、
いつも自分にダメ出しをしていましたし、

周囲の反応にも過敏になって
不安になってもいました。

多分、…ニコニコからは遠かった気がします。

それ自体も、

相手からの
「いいね!」を減らしていただろうな…と思います。

 *

今は、前より大分笑っています(笑)!

 *

世の中というのは、
自分の気持ちひとつで本当に広がるもので、

辺を見渡すと、
自分とは違うやり方で、

気持ちを整理したり
乗り越えたりしている人が沢山居ます。

そういう人達を観ているうちに、
そういう人に出会って行くうちに、

やり方を真似して
覚えることも出来るようになります。

コツコツ練習を繰り返して
やり続けて行くうちに、

自分なりの温度感に調整して
使いこなせるようにだってなります。

 *

ちょっと元気のない人が居ても、

自分の楽しい気持ちに
正直なまま、

「あー、そういえばさあ、うふふふふ」と
笑って話し始めると、

ちょっと位の不機嫌なら、
一緒に吹き飛ばすことも可能です。

すごく悲しいことの
ど真ん中にいる人が目の前にいても、

「そこまで自分で言えるならもう大丈夫だよ!
もし言えてなかったら深刻かも?って思うけど、
言えてるなら9割大丈夫!わはははは!」

と笑っているうちに、
一緒に元気になってしまうこともあります。

この人はこんなにも今一生懸命なのだ、
それは愛おしいことだ、

という気持ち100% からやってくる笑いは、
決して人を傷つけたりはしないのだと知りました。

 *

シルバールチルは、そういう

「内側に効く、しなやかな強さ」と
関連している感覚なのです。


ストーン・コンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか

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