2014/07/02

腹を立てられるなら元気なのだ・3




















昨日の続きです。

 *

両親が別荘へ滞在中に
一旦実家へ戻ったのですが、

どうしても

そこに至るまでに
「避け難かった無理」の数々が

「強い恐怖感」になってしまっていました。

もうこれは出るしかないかな?と思って
覚悟を決めつつ、

最終的には、
お友達にも意見を聴きました。

 *

ああ「やっぱりそう思うよね…」と納得のいく
冷静な指摘がそこにはあって。

それまでのことを改めて振り返り、
実家を出る決断しました。

出たのは、5/8でした。

 *

結局それまでは、

「病気のわたしが1人でやっていくのは
今は絶対に無理だ…」

という思いがありました。

 *

実際
自尊心もズタズタになっていましたし、

わたしは元々緊張が強くて
身体の要求が殆ど聴こえなかったので、

食べることを中心とした「生活力」は
基本的にゼロに近かったですし、

(一人暮らしだと更に緊張が強くなるので
お腹は殆ど空かなくなってしまうのです)

そんな自分が

病気という不安感を抱えて
人間らしく生きていける、という

イメージが
全くわかなかったのです。

 *

リッツさんで受けた
待遇によって変化した「自尊心」の高まりと、

お医者さんから言われている
「病状が最悪」の状態でも

社会に通用することの出来た自分を
体験的に知ったことは、

わたしに再度
未来の可能性を拓いてくれました。

 *

それにしても7年も親元に居た
根本的な問題は、

病名が持つイメージによる
社会からの否定や排除、

それ対する恐怖感です。

そして同じ病気をして

ここまで立ち上がれる人が
非常に少ないという

状況へ持って行くための
努力も

身近な両親に大方無視され、

もっと、もっと、
ということだけがやってくる日々に

息切れしていた自分は確かに居ました。

 *

これは信じられる人が
どれ位いらっしゃるか解りませんが、

心臓というのは、
「原因不明」の止まり方をすることがあります。

理由はともあれ急激な体温低下は、
原因不明の死を招きます。

心臓が止まりかけて弱っている身体を抱えて
体力的な限界を経験する中、

歯を食いしばって歩いているわたしが
家に到着するなり、

「よくがんばった!」と
爽やかに親から言われた時。

「ああ、もう…わたしには無理だ。
これはもう限界だ。死んでしまう」

と思ったのは、
わたしにとっては「限界の許容」でした。

「限界までやった」という納得感は、

新しい選択肢を取る
最大の理由です。

 *

「1人でやっていける自信なんかない」

でも、
「このまま居たら死んでしまう」。

どっちも
死んじゃうかも知れないけど?

という冗談みたいな選択肢です。

「自信なんか:ない」と否定形だとしたら

潜在意識が認知しているのは
「自信はあるかも」ということです。

 *

本当に激しく
心身がめちゃくちゃになったのに、

それでも。

わたしは何とかしたかったのです。

そうしてある「今」を思うと、

自分の「出よう」という
確信を信じて、

限界までやったという
納得感を信じて、

出ることを決めたのでした。

 *

次の選択肢へと
飛び出してみるものだと思いました。

 *

コアで立ち回ってくれたお友達を含め

わたしからの詳しい説明もなく
状況が判らない中、

久しぶりな人も含め
何十人ものお友達からのサポートは途切れず…

それがあっての今。

本当にありがいです。

 *

以後もお友達の協力が続き、
今も全面的に助けてもらいながら…

多分わたしは、
生き方を立て直しているのだと思います。

(あ、何だろう。
今こう書いたら、涙が溢れて来ました)

 *

続きます。


ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか

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