昨日の続きです。
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両親が別荘へ滞在中に
一旦実家へ戻ったのですが、
どうしても
そこに至るまでに
「避け難かった無理」の数々が
「強い恐怖感」になってしまっていました。
もうこれは出るしかないかな?と思って
覚悟を決めつつ、
最終的には、
お友達にも意見を聴きました。
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ああ「やっぱりそう思うよね…」と納得のいく
冷静な指摘がそこにはあって。
それまでのことを改めて振り返り、
実家を出る決断しました。
出たのは、5/8でした。
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結局それまでは、
「病気のわたしが1人でやっていくのは
今は絶対に無理だ…」
という思いがありました。
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実際
自尊心もズタズタになっていましたし、
わたしは元々緊張が強くて
身体の要求が殆ど聴こえなかったので、
食べることを中心とした「生活力」は
基本的にゼロに近かったですし、
(一人暮らしだと更に緊張が強くなるので
お腹は殆ど空かなくなってしまうのです)
そんな自分が
病気という不安感を抱えて
人間らしく生きていける、という
イメージが
全くわかなかったのです。
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リッツさんで受けた
待遇によって変化した「自尊心」の高まりと、
お医者さんから言われている
「病状が最悪」の状態でも
社会に通用することの出来た自分を
体験的に知ったことは、
わたしに再度
未来の可能性を拓いてくれました。
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それにしても7年も親元に居た
根本的な問題は、
病名が持つイメージによる
社会からの否定や排除、
それ対する恐怖感です。
そして同じ病気をして
ここまで立ち上がれる人が
非常に少ないという
状況へ持って行くための
努力も
身近な両親に大方無視され、
もっと、もっと、
ということだけがやってくる日々に
息切れしていた自分は確かに居ました。
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これは信じられる人が
どれ位いらっしゃるか解りませんが、
心臓というのは、
「原因不明」の止まり方をすることがあります。
理由はともあれ急激な体温低下は、
原因不明の死を招きます。
心臓が止まりかけて弱っている身体を抱えて
体力的な限界を経験する中、
歯を食いしばって歩いているわたしが
家に到着するなり、
「よくがんばった!」と
爽やかに親から言われた時。
「ああ、もう…わたしには無理だ。
これはもう限界だ。死んでしまう」
と思ったのは、
わたしにとっては「限界の許容」でした。
「限界までやった」という納得感は、
新しい選択肢を取る
最大の理由です。
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「1人でやっていける自信なんかない」
でも、
「このまま居たら死んでしまう」。
どっちも
死んじゃうかも知れないけど?
という冗談みたいな選択肢です。
「自信なんか:ない」と否定形だとしたら
潜在意識が認知しているのは
「自信はあるかも」ということです。
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本当に激しく
心身がめちゃくちゃになったのに、
それでも。
わたしは何とかしたかったのです。
そうしてある「今」を思うと、
自分の「出よう」という
確信を信じて、
限界までやったという
納得感を信じて、
出ることを決めたのでした。
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次の選択肢へと
飛び出してみるものだと思いました。
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コアで立ち回ってくれたお友達を含め
わたしからの詳しい説明もなく
状況が判らない中、
久しぶりな人も含め
何十人ものお友達からのサポートは途切れず…
それがあっての今。
本当にありがいです。
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以後もお友達の協力が続き、
今も全面的に助けてもらいながら…
多分わたしは、
生き方を立て直しているのだと思います。
(あ、何だろう。
今こう書いたら、涙が溢れて来ました)
*
続きます。
ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか
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