1人で夜ご飯を食べながら
生まれて初めて、
「居なくて寂しい…」と涙が出てきました。
*
ルームメイトとは
5月の中旬から一緒に暮らしているのですが、
あれから色んなことがあって
でも本当に毎日毎日話の尽きることもなく、
すごく楽しくしています。
わたしの訳の解らない話を
時折満面の笑みでニコニコ聴いてくれたり、
千切りやる〜!とかで
お手伝いをさせてもらったり、
さやかちゃん、それ上達してる〜!
とか言って
もらったり、
ブラックチョコレートの
オレンジピール美味しいよね!とか
好きなお菓子の話で盛り上がったり、
些細なことが毎日本当に楽しくて。
*
帰る途中で動けなくなったら
「迎えにいくわよ!」と来てくれたり、
落ち込んでいたら
話を聴いてくれたり、
わたしも聴かせてもらったり。
彼女が身体が痛くなった時は、
付き添って救急病院へ行ったり、
そこで該当する当直の先生が居なくて
診察が受けられる病院を探したり。
そういう助け合いとか。
*
え、それってどうやってやるの?
あ、これってそういう制度なんだ?
みたいな経営がらみの話とか
教えてもらったり。
さやかちゃんえらいわー、
そうやってちゃんとやってるのね!
と言ってもらったり。
*
そこにはいつも
「わたし」がちゃんと居る感じがします。
*
今日彼女が出かける前に、
初めてご飯を作り置いてくれたのだけど、
食べていたら、美味しくて、
すごくさみしくて。
これがもう、
びっくりするくらいさみしくて。
食べながら泣けて来ちゃって。
こんなにさみしいのは
生まれた初めてだなと思ったのです。
*
「美味しいね〜!」って
いつも言い合って
食べているのに、今日は1人で。
あさりのお味噌汁も美味しいし、
海藻とあえてある納豆も美味しいし、
牛肉とお野菜の炒め物も美味しいし。
美味しいって、
言い合えないのもさみしいし、
1人で食べているのもさみしいし。
やっぱりボロボロ泣けるのです。
*
気がついたのは、
そうか、わたしはこれまで
さみしくなかったんだ。
つまり、さみしい状態だったんだ。
聴いてもらってなかったから、
居ても居なくても
そんなには違わなかったんだ。
だから…さみしくなかったんだ。
と。
そうだったんだ。
わたしはこの生活に比べたら、
さみしいのが当り前になっていて、
だから、何も感じなかったんだな。
1人が大丈夫なんじゃなくて、
こういう聴いてもらえたり、
一緒に何か笑いながらやったり、
そういうの知らなかったから。
さみしいって感じようがなかったんだな!
と。
*
同時に多分それは
戦後の復興期に、
大変な幼少期を過ごした両親も、
それぞれ得られなかったものであるだろうなと。
だから出来なかったのだろうな、
だから知らなかったのかもしれないな?
とも思うのです。
*
彼女は、
本当にすごい人で。
自分が結構しんどい状況に居ても、
笑うことを忘れないし、
さすがに経営者なので
心が鍛えてあって立ち上がりも早い。
出会った頃から、
年齢関係なく人としてつき合える人で。
わたしが相変わらず
めちゃくちゃ生意気でも笑っています。
わたしが作っていると、
こんな風に作るのねえ!
ああ、そこまでこだわって
やっていくのねえ!
そこまでの人はそんなに居ないんじゃない?
と感動してくれたり、
もしかしたら、
そういうのは家族に言ってもらったりするのが
パートナーや
親しいお友達に言ってもらったりするのが
当り前の人も居るんだと思うけれど、
わたしには全部初めてのことで。
*
そういえば、
すっごく助けてくれたお友達も、
別に普通に誰にでもやることだからと
言っていたりして、
えええ?!!すごい!!!と
衝撃に思ったけれど、
そうかあ、
人によって普通ってこんなに違うんだなあ。
わたしにはこんなに特別なことなのに、
人によっては
当り前に出来ることなんだなあと。
*
世の中には、
これが普通の人も居るのか。
ということ。
両親が愛情なしに
わたしを育てたとは思わないし、
フリーランサーの2人が
子ども2人を美術大学に行かせ、
不動産を持ち、
未来を設計して堅実にコツコツお金を貯めて
がんばっていたのも、
やりたいことをやらせてくれたのも、
全部解っていて。
大好きなんだけれど。
だから、
このままじゃ命がもう危ない、と
自分が限界を感じるギリギリまで
一緒に居たのだけれど。
*
それでも、
もう無理だと。
これがもう限界だからと、
逃げ出して。
*
一緒にお友達と暮らし始めて、
それはもう非常事態だから、
緊張もしていたし、
でも案外、
お互いそれなりに毎日笑っていて。
だんだん確実に元気になっていて。
たわいもない話から、
色々深い話から、
お洋服を貸してもらったり、
それを着て電車に乗ったら
優しくしてもらったりして、
「なんだこれは?!」みたいな
そういうびっくりがあったり。
「こんなことあって!」と言うと、
「良かったわね〜!」と笑顔が返って来たり。
「あら素敵じゃない!」だとか
「さやかちゃん元気になってわたしもうれしいわ!」
と笑ってくれていたり。
わあ、なんなんだろう、これは。
こういうの初めてだ!と思って。
*
きっと彼女が
本当のお母さんだったら、
生まれた時からこうだから、
気がつけない
彼女の優しさとかもあるのだろうと思うし、
実母との比較をすることも
ないのだと思います。
アート教育や本質を観る目は、
確実に親譲りですし、
わたしのクリエイティブに関する殆どは、
あの厳しい両親の元でだから培われたと思います。
だからこそ、出来ることは沢山あります。
わたしはそういうのは
もうとっくに気がついていたし、
だから本当に感謝もしているし、
妹から
「わ!びっくりした!
姉ちゃんそんなに親のこと好きなんだ!死ぬなよ?」
と言われる位です。
*
でもわたしは、
本当に「聴いて欲しい」子どもだったので。
*
小学生の頃、
プールから帰って来たら結構な熱が出て、
ああ、優しくして欲しいなあ…と思って
そのまま座布団の上で眠ってしまったこと。
その後夕方目が覚めても
誰も居ないお部屋だった記憶が
今でも鮮明に在ることや…。
あの時の、
助けてもらえないんだなという妙な納得感や。
いつもいつも実家なのに
「お家に帰りたい」と思っていたことや。
そしてそれが
自分で中古マンションを買っても、
気持ちの中ではずっと、家へ帰りたくて。
いつまでもいつまでもなかったことや。
*
でも、何だか今。
お家に居る感じがあって。
1人に戻るのは嫌だな。
無理だなって思うのです。
*
今日どうだった?
楽しかった?
みたいなこととか。
そういうのこんなに楽しいんだ。
と思うのです。
こういうのを続けたい。
ああ、だからみんな家族が欲しいなって思えるんだなと。
「1人じゃさみしいじゃん?」というのは、
そういうことだったのか…。
「だって、何人居たってさみしくない?」
というわたしの疑問は、
「さみしくない」を
(それってどう言い換えたら良いのか難しいけれど)
知らなかったからなんだな…
と思うのでした。
ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか
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