2014/07/15

越えていくこと





















昨日は結果的に
強烈な体験をしてしまいました。

過去に酷いことをされてしまって…
許せないと思った人に感謝を感じて、

許せてしまったことがあって。

今日は余波でしんどいのでした。

衝撃でした。
夜中にすごく泣きました。

 *

結局、癒されると言うか、

自分が
過去の痛みから越えていく過程には、

「現実認知の変更」がかかるなと思います。

例えばわたしだったら

「そうか、わたしは結構
大変な幼少期を過ごして来たんだな、

それは世間一般では、
大切にされて来たとは言わないのかも知れないな」

みたいなことが起ってくることがあって。

それを

「そうか、わたしは
可哀相なところもあったんだな、

それを1人で
幼稚園時代から日記に書いたりして、

一生懸命見つめて
きっとみんなもそうだと思い込んで

必死にがんばってきたんだな」

みたいな認知が起るということです。

その時わたしには、
どうしても避け難い涙の嵐とかは起ります。

 *

自分の輪郭を知ることは、

他の人には作れないものを
作れるようになることだったりするし、

ここは、
制作そのものにも影響することです。

正直慣れているので、
何度でも向き合える自信はあるのですが。

それでも、どこか本当に

「そうだ、自分が
可哀相だなんて思いたくないし、

充分に愛されて来たんだって、
言いたいからこそ

(もちろん全部、愛なんだけどね、
そこはまたそのうち書くかも知れませんが、
愛じゃないものなんか、
ひとつもなくて…本当に。これは現実的に)、

だから、その
どうしても愛せない部分について、

認識したくないっていう、
強烈な抵抗が入ってくるのです。

それも、無意識に。

 *

深く深く降りていって、
そこにとうとう入っていった時に、

そこまで向き合っていくっていうのは、
それなりに熾烈かも知れません。

だけど、こんなにも
息がしやすくなることもないというか。

ここを抜けると、
それは山の頂上で景色を見下ろす時の、

ああいう
晴れやかさがあるのです。

 *

これが許しであり、癒しであり、
結局みんなが求めて来ているものだとは思います。

プロセスを省いて、結果だけを言うならば。

 *

これはね、

誰かに寄り添ってもらって
やった方が楽だと思います。

わたしがこれを
自分で出来るようになれば、

寄り添えるようになる。

それはいつだって頭の片隅にあります。

何が危なくて、
そしてどこから触ったら、

安全に最短なのかは、
骨組みさえ解ってしまえば簡単なことなので。

 *

越えて、
結論を持っている人が、

そこに居て笑っていたら、
実はそんなに怖くなくなることってあります。

結果が見えないところへ行くのが1番怖い。

 *

ここしばらく、
ある種のイメージが来ていて。

それは小さな男の子の子どもを授かった
お母さんの気持ち。

その体験を通して理解していることは、
わたしの全く理解出来なかった世界を、

シンプルに削ぎ落としてくれています。

 *

これはちょっと豪語ではあるけれど。

わたしは少なくとも

ラハシャが亡くなったヌラと
行けなかったところには、もう居る。

だとしたら、
ここでもう、突き抜けてしまいたいとは思います。

 *

誰かと話していて

「解ってくれるのはさやかちゃん位だよ!」
「ここまで話したのはさやかちゃん位だよ!」と

一体これまでの人生で
何度言われて来ただろうって思うのです。

それは「わたしには普通のこと」なのだけど。

もしそれが
みんなにとって特別なことなのだとしたら?

それはすごいことなんじゃないかな?
と思うのです。

理解されるということは、
わたしが切望して来たことで、

なかなか叶わないことです。

だからそんなことを、
出来るようになっている自分が居るのだとしたら、

それはすごいことなんじゃないか?って。

 *

結構小さい時から気がついてたことは
「そうかみんな不安なんだな」ということでした。

安心したら誰だって話せるし、笑ってる。
安心したら涙だって流せる。

わたしはそれを本当に
沢山の人とおしゃべりする中で観て来ました。

 *

「さやかは誰にでも優し過ぎる!」と
非難されたこともあったけれど。

それはやっぱりわたしにとっては、
幼少から本当に普通のことであって、

どのへんが優しさに認知されるのかは
まだハッキリは判らないのです。

外側の定義がよく解らないからこそ、
だからこそ、それが

「わたし」なんだと思います。

 *

他の生き方は、

一生懸命やってみたこともあったけれど、
無理でした。

それはもう、
自分の限界なんだと思うのです。

理解出来る相手に
意地悪をやり切れるだろうかと思います。

わたしは共感出来る以上、
そこを越えるのは難しい。

今でも難しい。

わたしは目の前の人が
心の葛藤を越えていくのが観たいし、

ホッとしたその瞳が観たいし、
笑っていて欲しい。

それでいいのだと思います。

だから。
多分。

こういう仕事をしているのだろうと思います。


ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか

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