2012/03/17
被災地で生きる子供たち
CARE-WAVE AID Vol.4
被災地のこども達による平和宣言[3.11]を
妹と一緒に観てきました。
被災して身に起こった出来事を
垣間見るような、
非常に重い内容でした。
*
「演じる(表現する)」ということを考えてしまいます。
感情を伝えるためには、
その感情を
まず自分が
身に沁みて知っている必要がある筈です。
あの日、
東京の自宅で震災を向かえたわたしには、
どれだけ映像を観ても、
現地の惨状は想像にも及ばないのです。
その現実。
被災地での経験を踏まえて
歌い叫ぶ子供達は、
どれ程、
自分の置かれた凄まじい状況や、
身に起こった出来事や、
見てしまった現実の暗闇と、
それによって引き起こされた強い感情と、
向き合ったことでしょう。
*
「現実を突きつける」
という言葉があります。
それはある種の過酷さを
表現することが多いように思います。
このミュージカルをやることについては、
賛否両論が、
極端にあったのではないかなと想像しました。
*
でも、
表現に落とせた時に、
表現者はそれを超えていける。
そこにあった様々な感情を、昇華できる。
そのことを、
きっと主宰者は痛い程
知っていたのではないかと思えるのです。
子供たちに
それをさせられるというのは、
そのプロセスを共有するというのは、
きっと
ものすごい力の居ることだったろうと思います。
乗り越えていける、と
本気で信じていたから、
そして
現実と向き合い立ち上がった時に、
人がどれ程強くなれるか、
それがどれ程、
衝撃を抱えたその人自身を助けるか、
知っていたのではないか?
と、
思えてならないのです。
*
夢の中で暮らすことは出来ます。
見て見ぬ振りをして生きることは出来る、
ということです。
でも、
そんな弱い足場に立っていては、
放射線の降り注ぐ、
今の被災地の、
今の日本の現状に立ち向かうのは
きっと難しいのではないか?
と、思えてしまうのです。
*
大人でさえ向き合いきれず
現実逃避をせずにはいられないような中で。
出演した32人の子供たちと向き合って、
彼らが
現実や自分と向き合うのを見つめる。
それはやっぱり、
並大抵のことではない気がします。
*
子供たちは、
現実と向き合って、
叫んでいました。
大人たちのうろたえる姿や、
言葉にするのが難しいような酷い現実を観て、
おかしい、
それはおかしいと
怒りの声をあげてもいました。
*
色んな意見があるのだと思いますが、
ここでこうやって叫んで涙を流している
子供たちは、
こうやって
自分と現実に向き合えた子供たちは、
一生の財産を、
心に得ている気がしました。
*
芸術という形で、
感情を爆発させること。
それは、
とても健全なことでもある、
と、わたしは感じてなりません。
*
現実的であることは
とても大切なことだと思っています。
本当に大切なものを観るためには、
現実的に、
シンプルに素直に、
物事を捉える目を持つことが
とても大切だと感じています。
子供たちの捉えた現実は、
とても奇妙だったことでしょう。
何故?!
の連続だったに違いありません。
そのままその疑問や葛藤を抱えながら、
育っていって欲しい。
成長して大人になって、
自分で考えて決断していって欲しい。
こうして強くなった
この子たちに、
生きていて、欲しい。
と切実に思いました。
*
どこまでが、
用意されたセリフだったのか、
わたしには判りません。
でも、
そのセリフを言い切った子供たちには、
沢山のことが見えたでしょう。
*
世の中は、
善悪では判断の難しいことが山程あります。
それはきっと、
二元論自体が、
本質から
離れてしまっているからなのだろうと、
わたしは感じています。
その混沌は、
大人である筈のわたしにとっても、
時に難解な感情を引き起こします。
シンプルさに立ち戻ることが
共有しづらい世の中に立ちすくみます。
おかしいじゃないか!
と怒り泣き叫べるというのは、
なんて健全なのだろう。
なんて幸せなことだろうと、
思ったりも、するのです。
*
自分と向き合うこと。
現実を見つめること。
モノづくりをする上で、
決して省けない要素だと感じています。
それが表現として
まだまだ稚拙なものであったとしても。
外側に表せたということ。
しかも、
身近な人の死や、
目に見えないけれど身に迫る恐怖や、
言葉にするのが難しい
あらゆることに対して、
表現を通して、
向き合ったという事実は、
きっと人生の宝となるのだと思います。
*
それは、
間違いなく強く確実な
心の足場です。
強固な足場の上に積み上げる人生は、
輝いて美しいものであると、
豊かで幸せなものであると、
わたしは信じています。
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