2012/05/19
意識がクリア過ぎる
病後リハビリをサポートしていただくために、
(薬の副作用やら感情的な葛藤を昇華するため)
退院後は臨床心理士さんと
定期的にお会いしていたのですが、
自分の整理にもなっていいですし、
相性が良いのかすごく楽しいため(笑)、
5年経った今でも
月に1度おしゃべりをさせていただいています♪
*
そこで
意識についてこれない
身体が嫌だった話をしたら、
「意識がクリア過ぎるんだと思うけどねえ。
むしろ身体は普通というか(笑)」
という話になって、
すごく興味深いと思いました。
*
身体は普通で、
意識がクリア過ぎるのだとしたら、
身体は別にダメじゃない(笑)。
それってすごく新しい視点です!
*
常々わたしは、
クリアクォーツの領域は、
1度知ったらそれでいいのではないか?
と思っています。
その状態で
毎日を生活するのは
あまり現代の人間的ではない気がしていて、
ちょっと何かが混ざっている位が
ちょうどいいと言うか…、
その混ざっているものが、
その人らしさであり、
つまりそれが彩りであり豊かさだなあと見えています。
とはいえ、
クリアクォーツの領域を生きたい人を
止めたりはしませんが(笑)!
一生知らなくても
十分楽しく生きていけるよな~と、
思ってはいます♪
*
身体に意識を持っていくためにと、
橋渡し役として使い始めたのが、
ミルキークォーツだということが、
このやりとりと
とてもリンクして感じられました。
ミルキークォーツというのは、
クリアクォーツにミルクを落としたような、
やわらかな視界です。
くっきりハッキリと見つめるのとは
違うモノの捉え方を
教えてくれているみたいです。
*
クリア過ぎる意識があるのだとしたら、
身体への橋を渡るのに、
この少しやわらかでぼんやりした捉え方は、
役に立ちそうです(笑)。
思えば長年の仕打ちにもめげず、
言う事を聴いてくれている身体には
感謝なのですよね。
ただ大変申し訳ないけれど、
身体との確執は10代に遡るため(笑)、
急に大好きになると
バランスが激変してしまうから
わたしにはちょっと大ごとです(笑)!
焦らずゆっくり好きになろう、と思います。
*
こっちが普通なのね、と思えば
身体がどれだけがんばってくれていたのか、
感謝の気持ちにもなります。
*
モノの見え方って、
本当に意識がちょっと変わるだけで
がらりと変わりますよね(笑)。
まるで魔法のようだと思います♪
*
それにしてもわたしは、
本当に
自分のあらゆることを
ダメだダメだと思ってきたのだなあと思います。
3月の記事にも何度か書きましたが、
本当に可哀想な位、
長年自分をダメだと
無意識に習慣的に言い続けていたんですね。
*
退院後は
身体の感覚に以前よりは意識を向けているので、
よく熱が出たり、
倒れこんだりしていたのですが、
完全に「意識にシフトする」と
かなり無理が利くのも事実で、
「じゃあちょっとそろそろ休んでいいかな?」と
気を抜いた途端に
病人然とするわたしに、
周囲に居た人みんなが
心底驚いているシーンに遭遇したこともあります。
調子が悪いのは、
身体であって
意識は
いつも通りであるということなんですけどね(笑)。
身体に引っ張られないでいる
(身体を無視する)っていうことは
出来ます♪
ただ、
意識が嫌がるものには
逆に過剰反応しますね。
記憶されているもの、というか。
わたしの場合、
注射は小さい頃に嫌な思いをしたことがあって、
別に痛くないものは痛くないのに、
(と、身体は知っているのに)
意識的に
注射が嫌なことに入っているので、
心理的抵抗が非常に大きくて未だに苦手です(笑)。
*
まあ何にせよ、
驚かれたということは、
多くの人にとっては
そうじゃない
という事なのかも知れません。
そういうことを
オレンジムーンストーンが教えてくれる気がします。
オレンジムーンストーンって、
身体意識ですよね。
身体そのものよりも、
意識に近い。
だから、
ムーンストーンなんだと思います(笑)。
(適当なこといっぱい言ってますね、わたし!)
*
いずれにせよ
身体への感謝が深まって来ています♪
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