2012/05/24
嫉妬の気持ち
30代の始め頃。
周囲の不思議な反応について
話していた時、
「さやかちゃん、それは嫉妬だよ~!」
と言われたことがあります。
*
30代前半で、会社を作った頃のことです。
当時は意味が全くわからなくて、
何を言っているんだろう?と思いました。
本当に会社を起こしたかったら、
努力して
起こせばいいと思ったのです。
嫉妬している暇などないだろう?と思いました。
*
わたしの周囲には、
昔からわたしより出来る人はいっぱい居ました。
わたしは
2007年に病気をするまで、
基本的には「自分より出来る人だけ」を見ていました。
彼らの話はいつもとても面白く、
そして、
彼らに混ざって対等に会話することが難しい
自分の力量のなさを、
毎度思い知って
悔しい思いもしていました。
その度に、
「もっと努力しよう!」と思っていました。
わたしは本当に
「わたしにとっての一流の人たち」に
混ざりたかったのです♪
*
芸術一家に産まれ育ったことも、
自分自身の中に
嫉妬を生みにくかった
大きな理由かもしれません。
「自分は自分」。
「人と違って当たり前」。
それは家族であっても同じでした。
ゆえに
親子であっても礼儀を大事にしなさいという教育でした。
(反発もしましたけどね・笑)
また、
「いかに人と違えるか」
「違い(個性)を際立たせることが出来るか」ということが
美術教育の中では当たり前の文脈ですから、
「違うこと」に対する許容範囲が、
割と若い段階から
大きく育ったのかもしれません。
*
先輩にも、後輩にも、同期にも、
わたしより出来る人なんて
いつも、いっぱいいました!!
ここしばらくのBlog で書かせていただいたように、
そんな中わたしは
本当に「自分は出来ない」と思っていましたから、
いつもすごく追い詰められていました。
必死な分、
周囲が見えていませんでした。
故に、組織の中では扱いにくい人だった筈です(笑)。
リクルートでの社内評価はいつも低めで、
査定はイマイチでした(笑)。
*
社会人1年目の
本配属先の教育担当だった先輩が
突然怒鳴るような方だったので、
怖くて怖くていつも緊張が酷かったですし、
その怖さを、
わたしは長年引きずりました。
*
そのことが人に話せるようになった
去年くらいから解消されたので、
10年位、抱えていました(笑)。
どうしてそんな風に言われる必要があったのかを
理解するのが難しくて、
解消するのが難しかったのです(笑)。
繰り返すようですが、
「本当に自分はダメだ」と思ってきましたから、
「何がダメだったのだろう?」という
自分の責任の範疇で
全てを考え過ぎていたのだと思います(笑)!
例えば
「相手の虫の居所が悪かったんだろうな~」
みたいな考え方は
一切してこなかった、ということです。
*
激しい剣幕て
ヒステリックに怒鳴られた緊張もあって、
質問がものすごく下手だったのだと思います。
わたしが納得できる回答を
身近に得るのは大概難しく、
努力して自己解決が常でした。
解らないことがいっぱいで、
本当に苦しむ中、
どんどん評価を得て出世していく同期も、
可愛がられ
仕事を任されていく後輩も、
いっぱい居ました。
もちろん「いいな」と思いましたが(笑)、
「どうしたらそうなれるんだろう?何が足りないんだろう?」
ということがわたしの考えの主軸でした。
「何を出来たら、ああなるんだろう?」
と思っていました。
*
しかし、
前述したように
質問することに対して臆病だったわたしは、
圧倒的にわたしより圧倒的に有意な立場にいらっしゃる
(ある意味社会的成功者の)方にしか、
質問をすることが出来ませんでした。
何故なら、
何が理由で怒鳴られるのかが
全く理解できなかったため、
いつもしゃべることが心底怖かったからです。
最初の出来事に限って言うならば、
怒鳴っている教育担当をなだめる人もいなければ、
まるでなかったことかのように振舞う
同じ部署の先輩たちの感性も、
非常に怖かったです。
だからこそ、
ある意味
専門分野を確立されて、
その地位を保っていらっしゃる方には、
関わる意図が明快な分、
わたし自身が安心して居られたのです(笑)。
当時のわたしは20代です。
*
そして、
思いついた「足りないもの」を埋めるために、
また努力をしました。
わたしが常に目指していたのは、
自分の中で素晴らしいと感じている
先輩や後輩、同期のいる世界に行くこと、
そこで対等に語り合える人になることであって、
そのままそこに
留まることではありませんでした。
*
わたしが会社を作った時、
既に社長になっているお友達は
沢山いましたし、
後輩もとっくに会社を興していたりしましたから、
ちょっと遅かった気分でした。
だから、嫉妬という言葉に驚いたのです。
*
嫉妬って、
あんまり気持ちよい感情じゃない気がします。
わたしは恋愛において、
嫉妬の感情を持つことが多かったのですが、
これは努力のしようがない、という意味ででした。
漠然とですが、
「わたし以外の者になる努力」をすることは
何かがおかしいと思っていたので、
なれないものを求められることについて、
それが外側に存在することに対して、
嫉妬が発生していたのです。
相手が浮気をするなら、
じゃあ、なんで
わたしを選ぶの?ということが
全く解らなかったのです。
大切に思うから側に居て欲しいのであったら、
その人を傷つける事をする、
その人を嫌がる事をする理由はなんだろう?
ということです。
この人は、
自分の事を大切にしていないのだな、
ということを思いました。
ただ、
そういう人と付き合いを続けていたわたしも、
自分自身を大切にするのが
とてもとても難しかった、ということです(苦笑)。
自分を大切にせず、
その人が
自分を大切に出来るようになるように、と
必死で努力してしまったのですよね(笑)!
大きな学びにはなりましたが、
わたしも若かったです(笑)。
*
すごく解りにくい
乱暴な言い方をしますが、
本当に本気なら、多くは、努力で何とでもなる筈です。
それが無理だと感じるとしたら
わたし自身がそうであったように、
大概の場合は、
心や考え方にフィルターがいっぱいかかっているので、
ややこしくなっているだけかも知れないな…と思います。
*
嫉妬って、
「自分を見忘れている」
という事から発生するのかも知れないな…と思います。
外側に比較対象を置いても、
それをプラスにするのが難しいなら、
置かない方がいい位かも知れないよなあ…と思います。
*
自分より優れている
と感じるものを目の当たりにしたら、
嫉妬より、感動をした方がいいなと思います。
「すごい!
この人はどうしてこうなったのだろう?!」
「すごい!
どうしたらわたしもこうなれるのだろう?!」
ということです。
悔しいことっていっぱいありますけど(笑)、
だから
今の自分をもっと成長させたいという
原動力になります♪
嫉妬は
自分をすり減らすことが多いと思いますが、
感動は、自分の糧になります。
*
嫉妬にエネルギーを費やす位なら、
努力をした方がいいかなあ…と思っています。
努力した分は、
これもまた自分の糧になりますから(笑)。
*
きっとね、
色々な考え方があるし、
いろんな感情の発生の仕方があると思います。
ただ、個人的には、
目の前の事を
精一杯一生懸命やっていたら、
嫉妬している余裕なんてないのではないか…?
と思います。
これは、わたしの経験的な感想です。
*
もし30代で会社を持つに嫉妬をするなら、
嫉妬するくらい
自分も会社を起こしたいんだと気がついて、
例えば、
会社の作り方の本を読めばいいと思うのですよ(笑)。
そうしたら一歩近づけるわけだから♪
わたしだったら…
感動した相手には、
感動を正直に伝えて、
その人から会社の作り方を教わります。
*
いずれにしても人は
自分にしかなれないというか、
自分で居ることが1番ヘルシーだと思うのです。
楽しそうな事をまずやってみて、
本当に楽しかったらその先にあるものをまたやってみて、
そうやって経験を通して初めて、
自分が誰なのか解っていくんじゃないかな?
と思います。
その流れの中で「嫉妬」を生み出すのはとても難しいです。
人間って基本的には、
体験して実感して初めて理解する生き物なんだと思います。
嫉妬している時間は、
多分もったいないですよ♪
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