2012/05/24

嫉妬の気持ち















30代の始め頃。

周囲の不思議な反応について
話していた時、

「さやかちゃん、それは嫉妬だよ~!」
と言われたことがあります。



30代前半で、会社を作った頃のことです。

当時は意味が全くわからなくて、
何を言っているんだろう?と思いました。

本当に会社を起こしたかったら、

努力して
起こせばいいと思ったのです。

嫉妬している暇などないだろう?と思いました。



わたしの周囲には、
昔からわたしより出来る人はいっぱい居ました。

わたしは
2007年に病気をするまで、

基本的には「自分より出来る人だけ」を見ていました。

彼らの話はいつもとても面白く、

そして、

彼らに混ざって対等に会話することが難しい
自分の力量のなさを、

毎度思い知って
悔しい思いもしていました。

その度に、
「もっと努力しよう!」と思っていました。

わたしは本当に

「わたしにとっての一流の人たち」に
混ざりたかったのです♪



芸術一家に産まれ育ったことも、

自分自身の中に
嫉妬を生みにくかった

大きな理由かもしれません。

「自分は自分」。
「人と違って当たり前」。

それは家族であっても同じでした。

ゆえに
親子であっても礼儀を大事にしなさいという教育でした。

(反発もしましたけどね・笑)

また、

「いかに人と違えるか」
「違い(個性)を際立たせることが出来るか」ということが

美術教育の中では当たり前の文脈ですから、

「違うこと」に対する許容範囲が、

割と若い段階から
大きく育ったのかもしれません。



先輩にも、後輩にも、同期にも、

わたしより出来る人なんて
いつも、いっぱいいました!!

ここしばらくのBlog で書かせていただいたように、

そんな中わたしは
本当に「自分は出来ない」と思っていましたから、

いつもすごく追い詰められていました。

必死な分、
周囲が見えていませんでした。

故に、組織の中では扱いにくい人だった筈です(笑)。

リクルートでの社内評価はいつも低めで、
査定はイマイチでした(笑)。



社会人1年目の
本配属先の教育担当だった先輩が

突然怒鳴るような方だったので、

怖くて怖くていつも緊張が酷かったですし、

その怖さを、
わたしは長年引きずりました。



そのことが人に話せるようになった
去年くらいから解消されたので、

10年位、抱えていました(笑)。

どうしてそんな風に言われる必要があったのかを
理解するのが難しくて、

解消するのが難しかったのです(笑)。

繰り返すようですが、
「本当に自分はダメだ」と思ってきましたから、

「何がダメだったのだろう?」という

自分の責任の範疇で
全てを考え過ぎていたのだと思います(笑)!

例えば

「相手の虫の居所が悪かったんだろうな~」
みたいな考え方は

一切してこなかった、ということです。



激しい剣幕て
ヒステリックに怒鳴られた緊張もあって、

質問がものすごく下手だったのだと思います。

わたしが納得できる回答を
身近に得るのは大概難しく、

努力して自己解決が常でした。

解らないことがいっぱいで、
本当に苦しむ中、

どんどん評価を得て出世していく同期も、

可愛がられ
仕事を任されていく後輩も、

いっぱい居ました。

もちろん「いいな」と思いましたが(笑)、

「どうしたらそうなれるんだろう?何が足りないんだろう?」
ということがわたしの考えの主軸でした。

「何を出来たら、ああなるんだろう?」

と思っていました。



しかし、
前述したように

質問することに対して臆病だったわたしは、

圧倒的にわたしより圧倒的に有意な立場にいらっしゃる
(ある意味社会的成功者の)方にしか、

質問をすることが出来ませんでした。

何故なら、

何が理由で怒鳴られるのかが
全く理解できなかったため、

いつもしゃべることが心底怖かったからです。

最初の出来事に限って言うならば、
怒鳴っている教育担当をなだめる人もいなければ、

まるでなかったことかのように振舞う
同じ部署の先輩たちの感性も、

非常に怖かったです。

だからこそ、

ある意味
専門分野を確立されて、

その地位を保っていらっしゃる方には、
関わる意図が明快な分、

わたし自身が安心して居られたのです(笑)。

当時のわたしは20代です。



そして、

思いついた「足りないもの」を埋めるために、
また努力をしました。

わたしが常に目指していたのは、

自分の中で素晴らしいと感じている
先輩や後輩、同期のいる世界に行くこと、

そこで対等に語り合える人になることであって、

そのままそこに
留まることではありませんでした。



わたしが会社を作った時、

既に社長になっているお友達は
沢山いましたし、

後輩もとっくに会社を興していたりしましたから、
ちょっと遅かった気分でした。

だから、嫉妬という言葉に驚いたのです。



嫉妬って、
あんまり気持ちよい感情じゃない気がします。

わたしは恋愛において、
嫉妬の感情を持つことが多かったのですが、

これは努力のしようがない、という意味ででした。

漠然とですが、

「わたし以外の者になる努力」をすることは
何かがおかしいと思っていたので、

なれないものを求められることについて、

それが外側に存在することに対して、
嫉妬が発生していたのです。

相手が浮気をするなら、

じゃあ、なんで
わたしを選ぶの?ということが

全く解らなかったのです。

大切に思うから側に居て欲しいのであったら、

その人を傷つける事をする、
その人を嫌がる事をする理由はなんだろう?

ということです。

この人は、
自分の事を大切にしていないのだな、

ということを思いました。

ただ、

そういう人と付き合いを続けていたわたしも、

自分自身を大切にするのが
とてもとても難しかった、ということです(苦笑)。

自分を大切にせず、

その人が
自分を大切に出来るようになるように、と

必死で努力してしまったのですよね(笑)!

大きな学びにはなりましたが、
わたしも若かったです(笑)。



すごく解りにくい
乱暴な言い方をしますが、

本当に本気なら、多くは、努力で何とでもなる筈です。

それが無理だと感じるとしたら
わたし自身がそうであったように、

大概の場合は、
心や考え方にフィルターがいっぱいかかっているので、

ややこしくなっているだけかも知れないな…と思います。



嫉妬って、

「自分を見忘れている」
という事から発生するのかも知れないな…と思います。

外側に比較対象を置いても、
それをプラスにするのが難しいなら、

置かない方がいい位かも知れないよなあ…と思います。



自分より優れている
と感じるものを目の当たりにしたら、

嫉妬より、感動をした方がいいなと思います。

「すごい!
この人はどうしてこうなったのだろう?!」

「すごい!
どうしたらわたしもこうなれるのだろう?!」

ということです。

悔しいことっていっぱいありますけど(笑)、

だから

今の自分をもっと成長させたいという
原動力になります♪

嫉妬は
自分をすり減らすことが多いと思いますが、

感動は、自分の糧になります。



嫉妬にエネルギーを費やす位なら、
努力をした方がいいかなあ…と思っています。

努力した分は、
これもまた自分の糧になりますから(笑)。



きっとね、

色々な考え方があるし、
いろんな感情の発生の仕方があると思います。

ただ、個人的には、

目の前の事を
精一杯一生懸命やっていたら、

嫉妬している余裕なんてないのではないか…?

と思います。

これは、わたしの経験的な感想です。



もし30代で会社を持つに嫉妬をするなら、

嫉妬するくらい
自分も会社を起こしたいんだと気がついて、

例えば、
会社の作り方の本を読めばいいと思うのですよ(笑)。

そうしたら一歩近づけるわけだから♪

わたしだったら…

感動した相手には、
感動を正直に伝えて、

その人から会社の作り方を教わります。



いずれにしても人は
自分にしかなれないというか、

自分で居ることが1番ヘルシーだと思うのです。

楽しそうな事をまずやってみて、
本当に楽しかったらその先にあるものをまたやってみて、

そうやって経験を通して初めて、
自分が誰なのか解っていくんじゃないかな?

と思います。

その流れの中で「嫉妬」を生み出すのはとても難しいです。

人間って基本的には、
体験して実感して初めて理解する生き物なんだと思います。

嫉妬している時間は、
多分もったいないですよ♪


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