2013/08/10
自分なんて大嫌いでした
多摩美時代、
咽原省三先生とおしゃべりをしていて、
「どんな人が好きか?」
みたいな恋愛話になったのを覚えています。
*
よくよく考えてわたしが答えたのは
「わたしのことを好きにならない人」でした。
何故なら、わたしは
自分のことが大嫌いだったからです。
*
先生からは「きみー、幸せになれないよ」と
言われました(笑)!
確か先生は独身でいらっしゃった筈。
今思うとその言葉はどういう含みがあったのかなあ?
と思ったりはしますが、
いやいや、ホントに。
幸せにはなれませんでした。
*
あれから18年位でしょうか?
今のわたしは、
わたしのことが案外好きです。
そういえば、
いつの間にか好きだなあと思います。
*
昔のわたしは、
頭の中をふと観ると
自分への罵声が飛び交っていたし、
何かする度に
こういう反対意見が来る筈だと、
最悪の事態ばかりを無意識に考え続けているような
ネガティブシンカーでした!
物事をハッキリ言う子だったので、
いつも両極端な賛否両論に晒されていましたし、
どうして同じことを言うのに、
最高と最悪が来るのか解らなくて、
悩みに悩み、
原因を自分の中に探そう探そうと必死になり、
直しに直し、緊張をどんどん高め、
本を読んではこうすればいいのでは?とやってみて、
こうしなさい、には素直に従い、
こうすべき、にがんじがらめになっていました。
それでも時に誰かを傷つけてしまうことからは逃れられず、
わたしの何が悪いんだろう、どうしたらいいんだろう、
誰も傷つけたくないのに!と
自分自身を切り刻む毎日でした。
(自分が傷ついていることには気がついていなかったのです)
*
その頃の自分を越えてしまうと、
あれ〜、どうしてだったかなあ…と思う位
記憶は曖昧です。
当時の自分が
自分自身の思考に追い込まれていたことは
遠く昔のことになってしまうので、
どうしてあんなに自分のこと嫌いだったんだろ?
不思議だな〜というのが
今の正直な気持ちです。
*
当時周囲から、
「ネガティブだよね」というような評価は
1度も受けたことがないので、
あらゆる否定は
ひたすら頭の中で、
自分自身に向けて続けられていたのだと思います。
その言葉に負けないように、
ちゃんとすること、を
いつもがんばっていたようにも思います。
*
ある時は
悪い想像があんまりにも酷いので、
自分でも何とかしたいなと思い立ち、
ポジティブワードが書かれているオラクルカードを毎朝引いて、
ポジティブな言葉に触れる習慣作りをしたり、
20代の後半から30代の前半は、
必死の取り組みも沢山やりました。
*
当時のわたしは「浄化」という言葉を使って
そこに取り組んでいたのですが、
あんまり浄化浄化言うので、
「あなたはまた浄化ですか!」と皮肉られたこともあった位です。
でも、自分の思い込みに気づき、
そう思い込むに至った経緯を優しく抱きしめて、
もう大丈夫だよ、と
解放して行くプロセスはとても役に立ちました。
ただ、
その思い込みさえ消えれば全てが解決する、という前提に
無意識に立ってしまっていたため、
やってもやっても
解決されないことについては、
逆に気持ちが追いつめられてしまいました。
「まだ何かわたしの中に原因がある?」
「それは一体何?」
と、ある意味、
物事は他者との共存の中で起こるという
現実的な視点を失い、
自分の中だけで全てを解決しようとする
過剰な状況に陥ってしまっていたのです。
「自分さえクリアになれば、全ては解決するのだ」
という誤解をしてしまっていたのです。
*
ガラッと変わるキッカケは、病気でした。
基本的には「ストレスがいけない」と言われました。
それは再発リスクを高めます、と。
ストレスというのは、
思考の持って行き方でかなりかかり方が変わるものなので、
こういう仮説を立てて取り組むことにしたのです。
「今までのやり方では、
ストレスが同じようにかかってくる」
↓
「おそらく思考パターンに、
ストレスを過剰に生み出す原因があるだろう」
↓
「根本的に思考パターンを変えるためには、
今までとは違う経験をすることだ」
↓
「現実の行動を変えていくことに効果がありそうだ」
*
病状もあったので、
周囲からは今まで言われた事のないことばかりを
言われたのも効きました。
お友達からの声は、
病気前と病気後で、驚く程の変化をしました。
「好きなことだけしたらいいんだよ」
「ゆっくりゆっくり」
「焦らないで」
日々、戸惑う程でした。
*
急いで、確実に、最善のものを生み出し続ける…
そういう仕事が10年は続いていました。
いつでも頭をクリアに保ち、
瞬時に答えを出せるように訓練もしていました。
お役に立つことを考え過ぎていて、
自分の優先順位はいつも最後。
そして時間が足りなくて
当然思う程のパフォーマンスが発揮出来ず、
自分に絶望して、
いつも歯ぎしりをするような、
そういう繰り返しの中に居ました。
どうしてわたしは、
自分に必要な時間をあげられないんだろう?
どうして後回しなんだろう?
そう気づいてからも、
具体的に行動を変えるために考える時間も作らず、
当然行動を変えることもせず、
自分の首を絞める習慣からは抜けられなかったのです。
*
退院後は、
友達の声を支えに、
わたしは明らかに、
心の声をじっくりと聴くようになりました。
「わたしは、今どうしたいんだろう?」
「それをやっても、相手に出した分返してって思わない?」
「してあげようとしてない?
ちゃんとさせていただくって思える?」
「どっちをやった方が、うれしい?」
そういうのをじっくり見つめた上で、
ひとつひとつの選択を行うように
変わっていったのです。
*
最初は怖かったです。
何故なら、
やったことのない選択肢を取っていたからです。
*
今なら解ります。
1人の方が気楽だったのではなくて、
断られるのが怖かったから
1人でやることを選択していたこと。
だから、
一緒にやってもらうのは大変でした。
やりきるのは納得いくまで突き詰めたいからではなくて、
周囲に何か言われることが怖くて、
完璧になるまでやらないと気が済まなかったから。
だから、
これしか出来ていないという
現実を受け入れるのは大変でした。
そういうことがいっぱいありました。
*
出来るところから少しずつ変えていきました。
作ったら、批評する前に、
出来上がったことを喜ぶようにしました。
それはたった数秒のことなのですが、
「出来た〜!うれし〜!」ということを
ちゃんと自分に与えることは、幸せなことでした。
そして、うれしい気持ちで
「出来たよ〜!観て観て〜!」と誰かに話すと、
「いいね〜!」と返ってくることが増えました。
*
facebook でも試してみました。
出来てうれしい〜!という方向性で
写真をアップするのと、
なんかもうちょっとなんとかならないのか?という方向性で
写真をアップするのとでは、
前者に「いいね!」がつきやすいことを知りました。
自分の出したもの(=エネルギー)が、
返ってくる!ということの意味も理解しました。
*
そうやって、少しずつ現実の選択肢を変え、
変えたことによって沢山の気づきを得て、
わたしのストレスフルな思考パターンは
徐々に改善されて行ったのです。
*
そして、
選択肢が変わって行くに従って、
笑顔の時間が増えて行きました。
原因を手放して、
リラックス出来ることが増えて行きました。
自分を好きになって行きました。
*
自分を好きになってくると、
自分のことを大事にしていない人が誰なのか
よく解るようになりました(笑)。
その人に割く時間を減らし、
その時間に大切なことをしたり、
もっと大事にしてくれる人との時間に変えるようにしました。
そうやって自分を満たして行くと、
あんなに苦手だった断られることも、嫌われることも、
以前程大きなことではなくなりました。
何故なら、
以前より「好きなわたし」を、
以前より大事にしてくれる人がいるからです。
*
大嫌いなわたしは、
いつの間にか居なくなりました。
わたしを取り巻く世界は変わりました。
もちろん幸せな方へ。
自分の追い込む思考に溢れた
思い込みの世界から抜け出した時、
世界は温かく豊かな色彩に溢れました。
*
もちろん、
たまに自己嫌悪になったり、
勉強不足にへこんだり、
そういうことはあります。
よく迷子になるし、電車は乗り間違えるし、
忘れ物も記憶漏れも結構します。
歳をとったせいかも知れないけれど、
昔は殆ど皆無に近かったことなので、
緊張感が緩んで、でもその分リラックスもして
毎日を生きているのだと思います。
確かに以前のわたしの基準から考えたら
前よりダメなところは増えたけれど、
そういうところも含めて
完璧じゃないところがむしろいいな、と
今のわたしには思えています。
ストーンコンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか
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