2016/04/22
笑い合える日々のために
パッと見て、反応する。
そういう時代になっているなあ…と
近年のインターネットを観ていると感じます。
*
古今東西
環境適応というのは凄まじいものがあって、
人をいくらでも変えていくのですが、
でも人間って、
ピッとパッとするような、
本来そういう生き物ではないかもなあ…
とも思います。
*
心の速度はもっとゆっくりしていて、
そしてじんわりと温度がある。
そっと触れて、
そっと扱わないと壊れちゃうような時もある。
それは、
パッと見て、さっと反応する世界には、
馴染みきれないものなのかも知れないなあ…と
思うのでした。
*
先だって、
70~80代の方々とお茶をいただいたのですが、
彼女達の
穏やかな口調と話題の豊富さは、
ご自身の体験に裏付けされたもので、
非常に豊かなものに感じられました。
*
ネットワークが、
何かを揶揄するものに盛り上がったり、
刺激の強いもの、
反応が「極端なもの」へと
流れていく感じもやっぱりします。
「どうしてそういうものを心が欲するんだろう?」
「なぜ、多くの人が幸せを願いつつも、
ネガティブニュースを欲するんだろう?」
というのも大きな疑問です。
*
テクニックとしての「読ませ」や
「いいね」の手法も溢れ、
点数稼ぎと表現の境目には
不思議な葛藤が起ります。
何がいいかは、
その人の
その時々に寄って違うけれど、
物事に対してじっくり取り組める姿勢みたいなものは、
時代の変化の中でもしっかりと
「持っていた方がいい」ように思えてしまいます。
*
わたし達が、
速度のあるメディア時代を生きる反面。
プリミティブな
自然や身体、
意識との対話を求めるのは、
バランスのためなのだろうなと思います。
*
心の速度は、
そんなに変わっていないように思うのです。
スピードのある情動には、
浅い感動が宿る。
強い感動は、
より強い衝撃を求めて際限を失う。
そうではなくて、
目の前のひとつひとつを丁寧に
味わえたらいいのにな、と思います。
*
行動の速度は、
不必要な情動を排すれば
ある程度さっとあがります。
理由のないことを悩まないようにすれば、
さっと出来るようになります。
でも、心には、
その行動を抑制する位のパワーがある。
*
速度をあげて、
無視して通り過ぎるより、
だからこそ、
普段から心に摂取するものを選んであげることが
大事なのかなと思うのでした。
あり過ぎるものは、
ないのと同じになりがちですし、
それでも摂取するとしたら、
意識が肥満化してしまうようなイメージを持ちます。
*
行動の速度は求められる時代です。
再三心が壊れてしまった自分の体験も含めて思うのは、
それに対応するためには、
心の速度をあげるのではなくて、
取捨選択出来る自意識を育てることや、
より心にゆとりをもつこと
なのだろうな…ということです。
全部出来なくても、
知らなくても、
得意な誰かを知っていたら、
その方が圧倒的に豊かなのかも知れません。
*
「喜怒哀楽が出来てこその、人」
のような気がします。
それがあってこそ笑い合える、
触れ合える他者でもあるように思うのでした。
*
あなたは、
他者との時間を味わえていますか?
そっと笑い合えていますか?
素敵な毎日をお過ごしください。
ストーン・テラー / アクセサリー作家
みたけさやか
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