「さやか、誰だって不安だよ?」
その方は首をかしげておっしゃいました。
*
例えばわたしなら、
入退院を繰り返しているからとか、
そんなに弱かったら社会でやっていけないと
他人に言われたから、とか。
両親が高齢だとか、
生活が不安定だとか、
挙げればキリがないけれど、
不安の種はいくらでも見つけられます。
*
「それ考えてたら、誰だって不安だよね?」
と言われた時に、
自分だけが不安なのだという、
特別な気持ちになっていたことに
気がつかされたのです。
「…確かに」と。
*
不安はあって当り前だ。
という前提に立つと。
不安という感覚だけは共通だ
と認識すると。
それが他者と比較して
特別に感じようとそうでなかろうと、
同じ理由の不安だったとしても、
その感じ方の違いこそあれ、
本当に本当に共通のことなんだなあ…と思えて来ます。
大事なのはその不安を
「どう生きるか?」なんだなあ…と。
*
同時に「不安は未来を観る力」と、
その方はお話しくださっています。
未来は、頭の中に描くものであり、
今この一瞬一瞬の「一瞬先」に常にあるもの。
大袈裟に言えば、
オーロラクォーツみたいな壮大な空想的世界であり、
接点があるとは言え
それは現実とは違う領域のもの。
そして。
これは言い尽くされて来ていることなのですが、
不安だと思うなら、
今何をするか?なんだよなあ…と思ったのでした。
今日。
今。
現実的に。
具体的に。
何を言動するか?
*
電車での帰り道。
確かにここに居る人みんなに、
きっと大小なりの違いはあれど、
不安と呼べるものはあるだろうと思いました。
わたしはその日。
その方とおしゃべりをして、
不安はそのまま持っていた方がいいのかもな、
でも「気にし方」は変えた方がいいかもな、と思いました。
その日から、
1人で不安を抱えているわたし、は消え。
(元々居なかったと気がついたので一瞬で消えた)
みんなと同じように不安を抱えながら、
今日も生きている自分が生まれ、
ちょっと元気です。
なんともラブラドライト的な気づきでした。
*
あなたは不安をどう捉えているでしょう?
明日も素敵な一日をお過ごしください。
ストーン・テラー / アクセサリー作家
みたけさやか
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