ここしばらく、
ずっと胃が痛んでいました。
原発問題について、
腹をくくれない自分と向き合っていました。
各方面からの情報を集めると
非常事態なことだけは、
よく判ります。
*
今朝、電車に乗りながら
Twitter に色々書いていたのですが、
わたしはやっと作れるようになってきたのに、
もっとずっと作っていたいのに、
自分の命が
見知らぬ他者の介在によって
短くなるかもしれないことに対しては、
怒ってもいいのかも知れない…
という気持ちになりました。
生きていれば、
じわじわ死んでいるのは事実ですし、
それがいつになるかは、本当に予測が難しい。
事故や、天災で命を落とすことは充分あります。
また何らかの病気での可能性も充分あります。
だけど、今回の出来事によって
おそらく縮まる
ということに対しては、
怒りがあっていいことなのではないか?
という風に思いました。
自分で文字にしながら、
ああそうか、
腹が据わらないのは、
感情を省いているからだ、
という
変な納得感がありました。
*
こんなに作りたいのに!
と、思ったら、
駅のホームで、電車の中で、
目尻に何度も涙が溢れました。
わたしは前にも増して
作ればいいのかも知れません。
作ってどうなるものでもないですが、
こんなに作りたいなら、
作った方がいいのかも知れません。
*
午前中は
医療従事者の方とお会いしていたのですが、
彼女もまた現状に不安を感じるということを
お話されていました。
お医者さまの中にも
大丈夫派と、不安派に分かれるのだという話は、
主治医が先日、
個人的な話として、してくださいました。
お2人ともに
先日書かせていただいた
スギライトの話をさせていただいたところ、
気休めは健康にとって充分効果があると思う、
という見解に賛成してくださいました(笑)。
*
お昼に外食をしたら、
外のテラス席で美味しそうにご飯を食べている
若いお母さんと小さな子供を見かけました。
悩ましい光景だと思いました。
*
午後。
久しぶりのお友達と会って、
生後一ヶ月になろうかという
赤ちゃんを囲んで、おしゃべりをしました。
こういう小さな子供たちを守っている
お母さんとして、お友達が
不安を抱えながらも
精一杯出来ることをしているのが判って、
なんだか酷く安心しました。
彼女のお母さん友達が
出来る人から移住しているという話も聴けて、
実は、それにもホッとしました。
目の前に生まれたばかりの子供を見たら、
それは本当に
希望的な存在に見えました。
生まれたての命は、
こんなにも生きていて、
明るいのだなあと感じました。
大切にしたいと思いました。
彼女がイタリアの友人からの誘いで
移住を視野に入れていることを知って、
ぜひそうして欲しい、
旦那さんの説得が上手くいくといいなと思いました。
そして、とてもホッとして、
胃の痛みが治まりました。
自分でも良く判らない感覚です。
彼女の家族が
安全なところに行けるかも知れないことで
こんなに急に楽になるのはおかしいだろう、
と思います(笑)。
*
彼女は出産を控え、
原発事故を知って、
全身にアトピーが出て大変だったそうです。
そして、それは
出産と同時に
さーっとひいたのだそうです。
お母さんになることの
すごさを聞かせてもらった気がしました。
そういえば4月、
出産を控えた彼女からもらったメールには、
私はお金もないし、現地に行って動ける訳でもない。
その代わり新しい時代に社会貢献できる
平和人を育てる役割をもらったと思って、
頑張る腹をくくったよ
とありました。
彼女なりの
今自分に出来ることを、ということへの返答でした。
わたしにはしたくても出来ないことを
ちゃんとやってくれる人が居るというのは、
なんてありがたいことか!
と思います。
*
こうすれば大丈夫、という指標を持てないことは
とても大変なことだ、と感じています。
手探りするしかありません。
誰の情報を信頼するのか?
決めるのは、自分でしかありません。
現実に起こっていることはひとつですが、
解釈は多様です。
そこには楽観的なものも、悲観的なものも、
感情的なものも、分析的なものも含まれます。
*
自分の命を天秤の片方に乗せて、
様々なことを考えています。
わたしはどうしたいだろう?
まだ結論が出ません。
*
ただ、今日。
お友達の子供たちと
向き合って、
この小さな命は守る価値がある。
ということは、
切実に感じました。
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