2011/06/16

小さな子供たち
















ここしばらく、
ずっと胃が痛んでいました。

原発問題について、
腹をくくれない自分と向き合っていました。

各方面からの情報を集めると

非常事態なことだけは、
よく判ります。

 *

今朝、電車に乗りながら
Twitter に色々書いていたのですが、

わたしはやっと作れるようになってきたのに、
もっとずっと作っていたいのに、

自分の命が

見知らぬ他者の介在によって
短くなるかもしれないことに対しては、

怒ってもいいのかも知れない…

という気持ちになりました。

生きていれば、
じわじわ死んでいるのは事実ですし、

それがいつになるかは、本当に予測が難しい。

事故や、天災で命を落とすことは充分あります。
また何らかの病気での可能性も充分あります。

だけど、今回の出来事によって
おそらく縮まる

ということに対しては、
怒りがあっていいことなのではないか?

という風に思いました。

自分で文字にしながら、

ああそうか、
腹が据わらないのは、

感情を省いているからだ、
という

変な納得感がありました。

 *

こんなに作りたいのに!

と、思ったら、

駅のホームで、電車の中で、
目尻に何度も涙が溢れました。

わたしは前にも増して
作ればいいのかも知れません。

作ってどうなるものでもないですが、

こんなに作りたいなら、
作った方がいいのかも知れません。

 *

午前中は
医療従事者の方とお会いしていたのですが、

彼女もまた現状に不安を感じるということを
お話されていました。

お医者さまの中にも
大丈夫派と、不安派に分かれるのだという話は、

主治医が先日、
個人的な話として、してくださいました。

お2人ともに

先日書かせていただいた
スギライトの話をさせていただいたところ、

気休めは健康にとって充分効果があると思う、
という見解に賛成してくださいました(笑)。

 *

お昼に外食をしたら、

外のテラス席で美味しそうにご飯を食べている
若いお母さんと小さな子供を見かけました。

悩ましい光景だと思いました。

 *

午後。
久しぶりのお友達と会って、

生後一ヶ月になろうかという
赤ちゃんを囲んで、おしゃべりをしました。

こういう小さな子供たちを守っている
お母さんとして、お友達が

不安を抱えながらも
精一杯出来ることをしているのが判って、

なんだか酷く安心しました。

彼女のお母さん友達が
出来る人から移住しているという話も聴けて、

実は、それにもホッとしました。

目の前に生まれたばかりの子供を見たら、

それは本当に
希望的な存在に見えました。

生まれたての命は、

こんなにも生きていて、
明るいのだなあと感じました。

大切にしたいと思いました。

彼女がイタリアの友人からの誘いで
移住を視野に入れていることを知って、

ぜひそうして欲しい、
旦那さんの説得が上手くいくといいなと思いました。

そして、とてもホッとして、
胃の痛みが治まりました。

自分でも良く判らない感覚です。

彼女の家族が
安全なところに行けるかも知れないことで

こんなに急に楽になるのはおかしいだろう、
と思います(笑)。

 *

彼女は出産を控え、

原発事故を知って、
全身にアトピーが出て大変だったそうです。

そして、それは

出産と同時に
さーっとひいたのだそうです。

お母さんになることの
すごさを聞かせてもらった気がしました。

そういえば4月、
出産を控えた彼女からもらったメールには、


私はお金もないし、現地に行って動ける訳でもない。
その代わり新しい時代に社会貢献できる
平和人を育てる役割をもらったと思って、
頑張る腹をくくったよ


とありました。

彼女なりの
今自分に出来ることを、ということへの返答でした。

わたしにはしたくても出来ないことを
ちゃんとやってくれる人が居るというのは、

なんてありがたいことか!
と思います。

 *

こうすれば大丈夫、という指標を持てないことは
とても大変なことだ、と感じています。

手探りするしかありません。

誰の情報を信頼するのか?
決めるのは、自分でしかありません。

現実に起こっていることはひとつですが、
解釈は多様です。

そこには楽観的なものも、悲観的なものも、
感情的なものも、分析的なものも含まれます。

 *

自分の命を天秤の片方に乗せて、
様々なことを考えています。

わたしはどうしたいだろう?

まだ結論が出ません。

 *

ただ、今日。

お友達の子供たちと
向き合って、

この小さな命は守る価値がある。

ということは、
切実に感じました。


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