明るい方を向くのか、
暗い方を向くのかは、
意外と自分で決められることのように思います。
*
わたしは病気をした後、
人生が
大きく崩壊した気がしました。
入院中に、
暮らしていた家も無くなりました。
会社も続けられませんでした。
一時は、本棚を眺めただけで目が回る位、
外部刺激に弱くなりました。
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普通に出来た生活は、一変しました。
街に出たら、背筋が凍り、
しばらく足の進められない場所が出来てしまったり、
1人で外にいられなかったり、
電車やバスに乗れない時期もありました。
友達と会うのも大変でした。
親友とでさえ、
1時間一緒にいると疲れてしまって、
意識が朦朧とするく程でした。
*
でもわたしは、
ちっとも不幸じゃありませんでした。
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日々の出来事を
全部、丁寧に選択し直しました。
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今自分に出来ることを
本当に喜ぶようにしました。
1日3回きちんと
薬が飲めたことを喜ぶところから始めました。
出来たことを毎日、手帳に記しました。
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ああ、今日も出来た。
ああ、今日も出来た。
と喜びました。
わたしは今日、また出来たことがあった。
だから大丈夫、と思うことにしました。
*
連絡出来る友達の数も、
日に日に増えました。
手紙が書けて、
メールが出来て、
電話が出来て、
会えて。
ちょっとずつわたしの世界には
友達が戻ってきました。
ああ、こうやって弱音を吐いてもいいのか、
こんな風に相談してもいいのか、と、
今までやれなかったことを
意識的に増やしてきました。
そして、以前より、
友達との関係も良くなりました!
長年の親友には、
「以前のさやかよりも、今のさやかの方がずっといい」
と言われたりしました(笑)。
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数分刻みで仕事に没頭する生活は一変し、
ゆるやかで、刺激の少ないものを
選択せざるを得ないものに変わりました。
ちょっとした刺激で、
それが喜ばしいものであっても、
ストレスになって熱が出たりします。
無理をしないということがどういうことなのか、
初めて実感しました。
初めて実感することは沢山ありました。
いかに自分が、余裕なく
自分の感覚を無視して
毎日を送っていたのかを知りました。
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年収は激減しました。
最高に稼いでいた時、
わたしは2千万ちょっと稼いでいたのですが、
あの頃のわたしは
別に取り立てて幸せではありませんでした。
欲しいものは殆ど買えましたが、
手に入れることの喜びは薄ぼんやりとしていました。
アクセサリーで
やっと毎月3万円が稼げるようになった時、
うれしくてうれしくて、
ありがたくてありがたくて、
本当に、
友達にも、お客さまにも、
心底感謝しました。
出来ることをさせていただけることが、
こんなにうれしいなんて知りませんでした。
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お金が稼げなくて、
未来が見えなくて、
手帳ひとつ買えなかった自分にとって、
今日のことで精一杯だった気持ちの中に、
明日が表れ、
あさってが表れ、
一週間が表れ、
一ヶ月が表れ、
そして、一年後が見えるようになってくるのに、
何年もかかりました。
でも、ひとつひとつが、本当にうれしかったです。
ああ、1週間後の予定が入れられるようになった!
2週間先の予定を約束できるようになった!
ということ。
ひとつひとつが、
その時も元気でいられる自分を
ある程度
想定できるようになったことの証でした。
*
好きだった街に
お茶をしに行けるようになった時のうれしさ!
3万円が4万円になり、5万円になり、
治療費を払ったらおしまいだった稼ぎから、
ちょっとずつ余裕が出来て、
大好きなお茶が出来るようになった時の
喜びも味わいました。
お友達とお客さまのおかげで、
自分がとっても好きなことを
出来るようになっていること。
感謝が尽きませんでした。
*
スタバも、最初は
1番安い「本日のコーヒー」しか頼めなかったのに、
ちょっとずつ好きなものを
オーダー出来るようになっていきました(笑)。
うれしかったです。
そしてついに、
大好きなカフェでお茶がまた出来た時の
喜びも味わいました。
それを贅沢に感じられる心にも
いたく感動しました。
*
わたしの飲んでいる薬には、副作用があります。
その副作用が辛くて、
薬を中断して病気を悪化させてしまう患者さんも居る位、
気持ちの良くない副作用です。
毎日毎日絶え間なくある副作用なので、
気持ちをそこへ向けると、正直辛いです。
たまに我慢出来なくなって、
mixi の日記を友人のみの公開にして、
辛い!と書くこともあります。
現実を受け入れるのに、苦労もしました。
病気ということを受け入れるのは辛かったです。
障害者として
役所で手続きを踏むのが余りにも辛くて、
お金はかかるけれど、
手続きをせずに、
自腹を切り続ける選択をした位、
障害者、というレッテルには耐えられなかったりもしました。
今思えば、
手続きをして、
自己負担額を減らした方が楽だったのにと思います。
でも、その時は、
健常者から、障害者と分けられることが辛かったのです。
何が健常なのかということにも悩みました。
障害とは何だろう、誰が決めたのだろうとも思いました。
色々向き合いました。
そこばかり見つめていたら、
不幸だったかも知れません。
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でもわたしは、
以前より、
圧倒的に幸せなのですよ。
たまに、これで幸せというのは変かなあ…
と思ったりするのですが、
でも実感として、
確実に幸せなのです。
*
病気にならなかったら、
こんなにアクセサリーを作らなかったと思います。
作ることがこんなに好きだったことにも、
蓋をし続けていたかも知れません。
清水ヨウコ先生と出会うこともなかったと思います。
作ることにこんなに情熱を傾けられる人生がやってくるなんて、
それが自分にとってこんなに幸せなことだったなんて、
きっと知らないままだったように思います。
今は、このBlog と
Holly heal のアクセサリーを通して、
全国に沢山の
お客さまがいらっしゃるのですが、
みなさんとこうして
触れ合うこともなかったと思います。
今あることがなかった頃と、今では、
今の方が何倍も幸せです。
*
目の前が真っ暗になって、
足場が崩れ去った時は、
チャンスなのだと思います。
もう一度、始められる。
全ての選択を、もう一度やり直せる。
そして、その「もう一度」は、
経験に裏打ちされて
以前よりも確実な選択を
自分にさせてあげられる
ということでもあるような気がします。
*
病気の程度によっては、
とてもそんな余裕のないこともあると思います。
置かれる状況によっては、
とてもそんな余裕のないこともあると思います。
でも。
やっぱり思ってしまいます。
どんな状況の中にも、
幸せは潜んでいる。
闇があれば、必ず、
輝く側面があるということ。
*
退院直後、
レストランでランチをいただいて、
「ごちそうさまでした」と伝えたら
笑顔で
「ありがとうございました!」と言ってもらえました。
笑顔で接してもらったことが
余りにもうれしくて、
涙が1時間以上止まらなかったことを思い出します。
そして、
病気になってから、
笑顔で接してもらってこなかったことを知りました。
あの震えるような幸せな気持ち。
笑顔の持てる力。
それは、暗闇だから見えたものだったのかも
と思います。
*
だから、
それが幸せか不幸かは、
自分で決めていいのだと、
知っていて欲しいなあと思います。
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