2011/06/21

幸せか不幸かは自分で決められる
















明るい方を向くのか、
暗い方を向くのかは、

意外と自分で決められることのように思います。

 *

わたしは病気をした後、

人生が
大きく崩壊した気がしました。

入院中に、
暮らしていた家も無くなりました。

会社も続けられませんでした。

一時は、本棚を眺めただけで目が回る位、
外部刺激に弱くなりました。

 *

普通に出来た生活は、一変しました。

街に出たら、背筋が凍り、
しばらく足の進められない場所が出来てしまったり、

1人で外にいられなかったり、
電車やバスに乗れない時期もありました。

友達と会うのも大変でした。

親友とでさえ、
1時間一緒にいると疲れてしまって、

意識が朦朧とするく程でした。

 *

でもわたしは、
ちっとも不幸じゃありませんでした。

 *

日々の出来事を
全部、丁寧に選択し直しました。

 *

今自分に出来ることを
本当に喜ぶようにしました。

1日3回きちんと
薬が飲めたことを喜ぶところから始めました。

出来たことを毎日、手帳に記しました。

 *

ああ、今日も出来た。

ああ、今日も出来た。

と喜びました。

わたしは今日、また出来たことがあった。

だから大丈夫、と思うことにしました。

 *

連絡出来る友達の数も、
日に日に増えました。

手紙が書けて、
メールが出来て、
電話が出来て、
会えて。

ちょっとずつわたしの世界には
友達が戻ってきました。

ああ、こうやって弱音を吐いてもいいのか、
こんな風に相談してもいいのか、と、

今までやれなかったことを
意識的に増やしてきました。

そして、以前より、
友達との関係も良くなりました!

長年の親友には、

「以前のさやかよりも、今のさやかの方がずっといい」
と言われたりしました(笑)。

 *

数分刻みで仕事に没頭する生活は一変し、

ゆるやかで、刺激の少ないものを
選択せざるを得ないものに変わりました。

ちょっとした刺激で、

それが喜ばしいものであっても、
ストレスになって熱が出たりします。

無理をしないということがどういうことなのか、
初めて実感しました。

初めて実感することは沢山ありました。

いかに自分が、余裕なく

自分の感覚を無視して
毎日を送っていたのかを知りました。

 *

年収は激減しました。

最高に稼いでいた時、
わたしは2千万ちょっと稼いでいたのですが、

あの頃のわたしは
別に取り立てて幸せではありませんでした。

欲しいものは殆ど買えましたが、
手に入れることの喜びは薄ぼんやりとしていました。

アクセサリーで
やっと毎月3万円が稼げるようになった時、

うれしくてうれしくて、
ありがたくてありがたくて、

本当に、

友達にも、お客さまにも、
心底感謝しました。

出来ることをさせていただけることが、
こんなにうれしいなんて知りませんでした。

 *

お金が稼げなくて、
未来が見えなくて、

手帳ひとつ買えなかった自分にとって、

今日のことで精一杯だった気持ちの中に、

明日が表れ、
あさってが表れ、

一週間が表れ、
一ヶ月が表れ、

そして、一年後が見えるようになってくるのに、
何年もかかりました。

でも、ひとつひとつが、本当にうれしかったです。

ああ、1週間後の予定が入れられるようになった!
2週間先の予定を約束できるようになった!

ということ。

ひとつひとつが、
その時も元気でいられる自分を

ある程度
想定できるようになったことの証でした。

 *

好きだった街に
お茶をしに行けるようになった時のうれしさ!

3万円が4万円になり、5万円になり、
治療費を払ったらおしまいだった稼ぎから、

ちょっとずつ余裕が出来て、

大好きなお茶が出来るようになった時の
喜びも味わいました。

お友達とお客さまのおかげで、

自分がとっても好きなことを
出来るようになっていること。

感謝が尽きませんでした。

 *

スタバも、最初は
1番安い「本日のコーヒー」しか頼めなかったのに、

ちょっとずつ好きなものを
オーダー出来るようになっていきました(笑)。

うれしかったです。

そしてついに、

大好きなカフェでお茶がまた出来た時の
喜びも味わいました。

それを贅沢に感じられる心にも
いたく感動しました。

 *

わたしの飲んでいる薬には、副作用があります。

その副作用が辛くて、
薬を中断して病気を悪化させてしまう患者さんも居る位、

気持ちの良くない副作用です。

毎日毎日絶え間なくある副作用なので、
気持ちをそこへ向けると、正直辛いです。

たまに我慢出来なくなって、

mixi の日記を友人のみの公開にして、
辛い!と書くこともあります。

現実を受け入れるのに、苦労もしました。
病気ということを受け入れるのは辛かったです。

障害者として
役所で手続きを踏むのが余りにも辛くて、

お金はかかるけれど、
手続きをせずに、

自腹を切り続ける選択をした位、
障害者、というレッテルには耐えられなかったりもしました。

今思えば、

手続きをして、
自己負担額を減らした方が楽だったのにと思います。

でも、その時は、
健常者から、障害者と分けられることが辛かったのです。

何が健常なのかということにも悩みました。
障害とは何だろう、誰が決めたのだろうとも思いました。

色々向き合いました。

そこばかり見つめていたら、
不幸だったかも知れません。

 *

でもわたしは、

以前より、
圧倒的に幸せなのですよ。

たまに、これで幸せというのは変かなあ…
と思ったりするのですが、

でも実感として、
確実に幸せなのです。

 *

病気にならなかったら、
こんなにアクセサリーを作らなかったと思います。

作ることがこんなに好きだったことにも、
蓋をし続けていたかも知れません。

清水ヨウコ先生と出会うこともなかったと思います。

作ることにこんなに情熱を傾けられる人生がやってくるなんて、
それが自分にとってこんなに幸せなことだったなんて、

きっと知らないままだったように思います。

今は、このBlog と
Holly heal のアクセサリーを通して、

全国に沢山の
お客さまがいらっしゃるのですが、

みなさんとこうして
触れ合うこともなかったと思います。

今あることがなかった頃と、今では、
今の方が何倍も幸せです。

 *

目の前が真っ暗になって、
足場が崩れ去った時は、

チャンスなのだと思います。

もう一度、始められる。
全ての選択を、もう一度やり直せる。

そして、その「もう一度」は、
経験に裏打ちされて

以前よりも確実な選択を
自分にさせてあげられる

ということでもあるような気がします。

 *

病気の程度によっては、
とてもそんな余裕のないこともあると思います。

置かれる状況によっては、
とてもそんな余裕のないこともあると思います。

でも。
やっぱり思ってしまいます。

どんな状況の中にも、
幸せは潜んでいる。

闇があれば、必ず、
輝く側面があるということ。

 *

退院直後、
レストランでランチをいただいて、

「ごちそうさまでした」と伝えたら

笑顔で
「ありがとうございました!」と言ってもらえました。

笑顔で接してもらったことが
余りにもうれしくて、

涙が1時間以上止まらなかったことを思い出します。

そして、
病気になってから、

笑顔で接してもらってこなかったことを知りました。

あの震えるような幸せな気持ち。
笑顔の持てる力。

それは、暗闇だから見えたものだったのかも
と思います。

 *

だから、

それが幸せか不幸かは、
自分で決めていいのだと、

知っていて欲しいなあと思います。


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