2012/02/05
乗り越えてしまえ
自分を見失ってから、
長かったなあ…と思います。
沢山の否定をされて、
わたしはダメなんだ、と思い、
思うほどに、
周囲にはどんどん
わたしを否定する人が増え、
否定にばかり意識を集中するようになり、
わたしはそのことに
気がつく余裕さえなく、
どうしたらいいのか本当に判らなくなって、
自分から自分の価値判断基準を
バッサリ切り落としました。
1996年。
入社1年目のことでした。
*
引き寄せの法則恐るべし。と思います(笑)。
*
2003年頃。
自分のことを大切にするなんて、
意味が全く判らない。
それが、わたしでした。
自ら切り離した価値判断基準を取り戻すことは、
困難を極めていました。
「わたしだって正しい」という理由が
見つけられなかったのです。
*
外側を頼りに価値判断を進めていくと、
矛盾が待っていました。
誰もが、
その瞬間に
その人の中では正しいだけで、
絶対的な正しさなんて、ないかのようでした。
そんな中で、
お前は間違っていると言われても、
そういうあなたが間違っているということも出来るのに、何故?
という疑問ばかりが膨らんでいました。
根拠の曖昧なこともありました。
不思議でした。
ずっと、
そんな感じでした。
*
ある意味、
みんな正しい。
*
そして、
ある意味、
みんな間違っている。
*
二極論は
殆ど意味がないということに気がつきました。
正しさを主張することは、
否定される対象を産む。
でもそれは光の当て方の違いによって生まれる、
光と闇の見え方の違いであって、
本質的なことではないのだなあ…
というのが気がついたのでした。
*
みんな正しい。
だとしたらわたしは
わたしの正しさの中に生きていい筈なのではないか?
そこだけは疑問でした。
*
自分の正しさを素直に表現していた10代の頃。
わたしは
「相手の正しさ」を聴きたいから、
自分にはこうである
ということを発言していたのですが、
大概は、そういった議論には発展しなかったからです。
相手の正しさを聴いたところで、
相手がわたしの正しさを聴き返す訳でもありませんでした。
どうしたら意見が交換できるのか、
さっぱり判りませんでした。
*
そして、わたしは大概において、
みんなのことが好きでした。
色んな価値基準は
豊かさそのものでしたし、
それは違う!と言ったところで、
それは相手を否定しているわけではなく、
意見が違うよということだけでした。
*
他人というのは、
育った環境も教育も違うのです。
親子でだって
感じ方も考え方も違うのです。
意見が違うのは当たり前だから、
だから
そこからが本当のコミュニケーション。
わたしはそう考えるタイプでした。
*
でも、
考えの主張は、
豊かさの傍受にはならず、
わたしを嫌いになる人を増やしたように感じていました。
好きなことを主張すると、
人が離れていく。
わたしにはそう感じられていたのです。
*
それは一方で、
自分を好きだという人を増やすこと
でもあるのですが(笑)、
わたしは離れていく人を
強く感じていたのです。
自分の正しさを主張する勇気を
なかなか取り戻せなかったのは、
そのせいもあるだろうなあと思います。
基本的にみんなが好きなのに、
たった一言で離れていってしまう人の居ることが
とても辛かったのです。
*
「聴く」ことを長年続けさせていただく中で、
人一人というのは、
沢山の要素から成り立っていると感じています。
だから尚更、
その一言の背景を
主観的かつ短絡的に判断して、
まるでそれが
全てかのように扱われることへの抵抗がありました。
*
学びながら、
聴き続けました。
本当のことを探していました。
*
わたしは依然として辛いままでしたから、
何とかしたかったのです。
ヒーリング業界の不思議にも遭遇しました。
使われるメタファーと
言葉の違いはありますが、
そこにも社会の縮図があるだけでした。
すばらしい人も、そうでない人も居ました。
むしろ極端に判りやすかったくらいです。
本当にさまざまなケースを見て、
誰も誰かのことは決して救えないし、
救えないということを知っている人だけが、
誰かの助けになる可能性がある、といったことも学びました。
*
それにまた、
ヒーリングというは、
ヒーラー自身がヒーリーであるという謙虚さを持った時に、
初めて発動されるような気がしてきました。
人を助けたいならば、
自分を救い出すこと。
それが一番大事なんだなあと知りました。
結局のところわたしは、
誰よりも
わたし自身を助けたかったのだと思います。
*
Holly heal を再び始めた時。
わたしはわたしを助けることに精一杯でした。
わたしは
アクセサリーを作って売っていましたが、
それはいつも
作らせていただいて、
更にお金をいただくことでした。
わたしは「いただいて」いたのです。
*
いただいて、
そしてさせていただく。
全ては「いただく」のです。
その繰り返しでした。
その繰り返しは今も続いています。
*
小さいながらも規模が広がるにつれて、
いただくものは増え、
そして取り組みは深まっていきました。
*
その中で、
価値判断基準を
取り戻したいという気持ちは、
ずっと静かに流れ続けていました。
リハビリは先の見えない気長な作業でしたから、
自分にとっての幸せ。
自分にとっての喜び。
そういうものをひとつひとつ確かめる時間がありました。
*
徐々に自分自身の正しさの輪郭が見え始めても、
あまり発言をしなかったのには訳がありました。
すごい人、すばらしい人は、
世の中に沢山居らっしゃるものです。
だから、
自分が自分の正しさを発言することへの
恥ずかしさはいつもついて回っていたからです。
至らない自分が、
何を偉そうに、
と、思えて仕方なかったのです。
*
rooms のオーディションに取り組んでから半年間。
必死に駆け抜ける中で
沢山のことを学ばせていただきました。
Holly heal をさせていただく上で、
わたしの正解は、
もっと言葉や形にした方がいいのではないか?
ということも感じました。
*
わたしから見て、
それは浅はかだということ、
わたしから見て、
それは間違っているということ、
それはあくまで
「わたしから見て」なので、
絶対ではありませんが、
わたしから見て、
おかしなことであるよというのは、
必要な情報なのではないかな?
と思えてきたのです。
*
人についてきていただく、ということは、
視点の共有なのではないか?
と思わずにいられなかったのです。
*
わたしは、自分の考え方が絶対だとは到底思えません。
でも。
今の自分にとっての正解は、
その都度、正直に提示出来た方がいい。
そう思うようになりました。
そして違うと感じる方には、
離れていただくことも大事なのではないか?ということ。
それは
相手への最大の配慮になりうるということを思いました。
何より、
それはお客さまへの誠実さにも繋がると思いました。
そして、
その方が、自分も楽なんだなということです。
*
「大切にしてくれる人を大切にしたい」という
気持ちが芽生えたのも
病気をしてからでした。
限りのある命の時間だとしたら、
自分に対して愛情のない人に
関わり続けることの意味は何だろう?
と思わずにいられませんでした。
*
そして、ようやく。
見失っていた価値判断基準を取り戻せました。
価値判断基準を
表現する自分を、
と言う方が正確でしょうか(笑)。
*
わたしはダメかもしれないけれど、
ダメなだけじゃない。
いいところもあるよ、
といった風に、
自己評価も変わりました(笑)。
*
なんとも長かったです。
なんという遠回りだったろうか
と思います。
でも、
その価値はあったような気がしています。
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