2012/02/05

乗り越えてしまえ















自分を見失ってから、
長かったなあ…と思います。

沢山の否定をされて、
わたしはダメなんだ、と思い、

思うほどに、

周囲にはどんどん
わたしを否定する人が増え、

否定にばかり意識を集中するようになり、

わたしはそのことに
気がつく余裕さえなく、

どうしたらいいのか本当に判らなくなって、

自分から自分の価値判断基準を
バッサリ切り落としました。

1996年。
入社1年目のことでした。



引き寄せの法則恐るべし。と思います(笑)。



2003年頃。

自分のことを大切にするなんて、
意味が全く判らない。

それが、わたしでした。

自ら切り離した価値判断基準を取り戻すことは、
困難を極めていました。

「わたしだって正しい」という理由が
見つけられなかったのです。



外側を頼りに価値判断を進めていくと、
矛盾が待っていました。

誰もが、

その瞬間に
その人の中では正しいだけで、

絶対的な正しさなんて、ないかのようでした。

そんな中で、
お前は間違っていると言われても、

そういうあなたが間違っているということも出来るのに、何故?
という疑問ばかりが膨らんでいました。

根拠の曖昧なこともありました。

不思議でした。

ずっと、
そんな感じでした。



ある意味、
みんな正しい。



そして、

ある意味、
みんな間違っている。



二極論は
殆ど意味がないということに気がつきました。

正しさを主張することは、
否定される対象を産む。

でもそれは光の当て方の違いによって生まれる、
光と闇の見え方の違いであって、

本質的なことではないのだなあ…

というのが気がついたのでした。



みんな正しい。

だとしたらわたしは
わたしの正しさの中に生きていい筈なのではないか?

そこだけは疑問でした。



自分の正しさを素直に表現していた10代の頃。

わたしは
「相手の正しさ」を聴きたいから、

自分にはこうである
ということを発言していたのですが、

大概は、そういった議論には発展しなかったからです。

相手の正しさを聴いたところで、
相手がわたしの正しさを聴き返す訳でもありませんでした。

どうしたら意見が交換できるのか、
さっぱり判りませんでした。



そして、わたしは大概において、
みんなのことが好きでした。

色んな価値基準は
豊かさそのものでしたし、

それは違う!と言ったところで、

それは相手を否定しているわけではなく、
意見が違うよということだけでした。

 *

他人というのは、
育った環境も教育も違うのです。

親子でだって
感じ方も考え方も違うのです。

意見が違うのは当たり前だから、

だから
そこからが本当のコミュニケーション。

わたしはそう考えるタイプでした。

 *

でも、

考えの主張は、
豊かさの傍受にはならず、

わたしを嫌いになる人を増やしたように感じていました。

好きなことを主張すると、
人が離れていく。

わたしにはそう感じられていたのです。



それは一方で、

自分を好きだという人を増やすこと
でもあるのですが(笑)、

わたしは離れていく人を
強く感じていたのです。

自分の正しさを主張する勇気を
なかなか取り戻せなかったのは、

そのせいもあるだろうなあと思います。

基本的にみんなが好きなのに、
たった一言で離れていってしまう人の居ることが

とても辛かったのです。



「聴く」ことを長年続けさせていただく中で、

人一人というのは、
沢山の要素から成り立っていると感じています。

だから尚更、

その一言の背景を
主観的かつ短絡的に判断して、

まるでそれが
全てかのように扱われることへの抵抗がありました。



学びながら、
聴き続けました。

本当のことを探していました。

 *

わたしは依然として辛いままでしたから、
何とかしたかったのです。

ヒーリング業界の不思議にも遭遇しました。

使われるメタファーと
言葉の違いはありますが、

そこにも社会の縮図があるだけでした。

すばらしい人も、そうでない人も居ました。
むしろ極端に判りやすかったくらいです。

本当にさまざまなケースを見て、

誰も誰かのことは決して救えないし、
救えないということを知っている人だけが、

誰かの助けになる可能性がある、といったことも学びました。



それにまた、

ヒーリングというは、
ヒーラー自身がヒーリーであるという謙虚さを持った時に、

初めて発動されるような気がしてきました。

人を助けたいならば、
自分を救い出すこと。

それが一番大事なんだなあと知りました。

結局のところわたしは、

誰よりも
わたし自身を助けたかったのだと思います。



Holly heal を再び始めた時。

わたしはわたしを助けることに精一杯でした。

わたしは
アクセサリーを作って売っていましたが、

それはいつも

作らせていただいて、
更にお金をいただくことでした。

わたしは「いただいて」いたのです。



いただいて、

そしてさせていただく。

全ては「いただく」のです。

その繰り返しでした。

その繰り返しは今も続いています。



小さいながらも規模が広がるにつれて、
いただくものは増え、

そして取り組みは深まっていきました。



その中で、

価値判断基準を
取り戻したいという気持ちは、

ずっと静かに流れ続けていました。

リハビリは先の見えない気長な作業でしたから、

自分にとっての幸せ。
自分にとっての喜び。

そういうものをひとつひとつ確かめる時間がありました。



徐々に自分自身の正しさの輪郭が見え始めても、
あまり発言をしなかったのには訳がありました。

すごい人、すばらしい人は、
世の中に沢山居らっしゃるものです。

だから、

自分が自分の正しさを発言することへの
恥ずかしさはいつもついて回っていたからです。

至らない自分が、
何を偉そうに、

と、思えて仕方なかったのです。



rooms のオーディションに取り組んでから半年間。

必死に駆け抜ける中で
沢山のことを学ばせていただきました。

Holly heal をさせていただく上で、

わたしの正解は、
もっと言葉や形にした方がいいのではないか?

ということも感じました。



わたしから見て、
それは浅はかだということ、

わたしから見て、
それは間違っているということ、

それはあくまで
「わたしから見て」なので、

絶対ではありませんが、

わたしから見て、
おかしなことであるよというのは、

必要な情報なのではないかな?
と思えてきたのです。



人についてきていただく、ということは、
視点の共有なのではないか?

と思わずにいられなかったのです。



わたしは、自分の考え方が絶対だとは到底思えません。

でも。

今の自分にとっての正解は、
その都度、正直に提示出来た方がいい。

そう思うようになりました。

そして違うと感じる方には、
離れていただくことも大事なのではないか?ということ。

それは
相手への最大の配慮になりうるということを思いました。

何より、
それはお客さまへの誠実さにも繋がると思いました。

そして、
その方が、自分も楽なんだなということです。

 *

「大切にしてくれる人を大切にしたい」という
気持ちが芽生えたのも

病気をしてからでした。

限りのある命の時間だとしたら、

自分に対して愛情のない人に
関わり続けることの意味は何だろう?

と思わずにいられませんでした。



そして、ようやく。

見失っていた価値判断基準を取り戻せました。

価値判断基準を
表現する自分を、

と言う方が正確でしょうか(笑)。



わたしはダメかもしれないけれど、
ダメなだけじゃない。

いいところもあるよ、
といった風に、

自己評価も変わりました(笑)。



なんとも長かったです。

なんという遠回りだったろうか
と思います。

でも、
その価値はあったような気がしています。


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