2012/02/07
エモーション
制作について
考えさせられることがありました。
*
感情のアップダウンが
作ったものにすごく出るよね、
という話をさせていただいていた時のことです。
「仕事は、いつも同じであることを求めるんだね」
といった反応に対して、
微妙に疑問が浮かんだので、
ずっと考えていました。
*
言葉になったので書いてみます。
*
感情的であることは、
創作に役に立つことである。
というのは、
概ね「YES」だなと感じています。
でも、
この
「エモーショナルであること」と、
それによって
「クオリティが上下する」ということは、
全く別問題だ。
と思います。
ここをちゃんと理解することは、
制作をする上では、
とても大切なことだと思っています。
*
エモーショナルであることは、
個人の制作にとっては大事なことです。
ART というのは、
このエモーションをいかに形にするか
という側面を持ちますから、
個人の制作にとっては
欠かせない要素のひとつなのではないかな?
と思います。
*
でも、
例えば
Holly heal の制作の際に、
強いエモーションのひとつである
怒りを用いて制作をされたら困るわけです。
いらだちや、不安、さみしさや悲しさ、
そういったものを用いて制作をするのも違うと思います。
それは、
Holly heal のお客さまを
「見ていないから起こることだろう」と思うからです。
*
職業として
ART に携わる方々の
作品を拝見しても感じますが、
必ずクオリティは
一定レベルを超えています。
この、一定レベルを超える、ということ。
が、
求めている「安定」であり、
お客さまに対して提供させていただく
「クオリティ」だということなのだと思います。
*
「エモーショナルであることがいけない」
という理解は違うのではないか?
むしろエモーショナルであることは
制作には欠かせない要素だと感じます。
ただし、
先程も書きましたように、
悲しみや怒りを
Holly heal で表現するのは違うと思います。
気持ちが
お客さまにきちんと向いていたら
(最初は、自分がHolly heal のお客さまだったら
これを観てどう感じるか?を
考えるところから始めるのがいいと思います)
そこは解る筈です。
*
例えは、
Holly heal が
デスメタルやハードロックのブランドだったら(笑)、
爆発的な怒りや悲しみを表現することは
意味があります。
しかし、
Holly heal はそうではないよなあ…と。
それはどのお客さまに伺っても、
きっと同意を得られることだと思います(笑)。
*
ART の世界で作家さんから伺う悩みには、
評価の高い作品が生まれると
みんなが同じものを欲しがって他のものを求めなくなること。
これは、その人の中にある、
ある一定のエモーションを気に入って
何度も再現して欲しいという
周囲の要求に対する葛藤という側面もあるかなと感じます。
ピカソは作風を変え続けたことで
有名なアーティストですが、
そこには、伝える力、という
一定以上のクオリティが存在しています。
*
やや語弊のある言い方になりますが、
そういう意味で、
自己表現を行うアーティストとは違う、
ブランドを支える
職人に求められるのは当然、
「一定以上のクオリティを保つこと」なのではないかな?と。
クオリティを感情によって上下させず、
安定・向上させること。
その上で、
ブランドとして意味のあるエモーションを表現出来たら
それはクオリティの向上にもなります。
それが「お仕事で作らせていただく」ということの
心構えなのではないかなあ…?
と感じています。
*
先だって、
ジュエリーデザイナーさんと
おしゃべりをさせていただいていて感じたのですが、
優秀な職人さんは、
デザイナーの意図を汲むのがとてもうまいです。
デザイナーの求めている感覚を、
デザイナー以上に理解して、
提案も出来る
ものすごい職人さんもいらっしゃいますよね。
それを実現するには、
ブランド(デザイナー)の目指す感覚を、
自分の中に再現出来るかどうか、
「感じられるかどうか」にも
かかっているのではないか?と思います。
結局、
「心の耳」を沢山の人に傾けられる人は、
どの分野においても
一流になる
ということかなあと感じています。
*
話は少し戻るのですが。
制作に対して
わたし自身が心がけているのは、
エモーションは封じ込めるのではなく、
感じきって、
昇華するということです。
感情は押さえ込んでしまったら、
創作にはマイナスだと感じています。
そのプロセスは、
長年このBlog で公開してきたことでもあるので、
何となくイメージしていただけるでしょうか?
*
様々な感情や感覚に敏感でいることは、
制作上は命みたいなものです。
更に、
わたし自身が制作をするためには、
その感情や感覚に完全には巻き込まれずに
それを「見つめている」必要性を感じています。
表現するためには、
もちろん伴う技術が必要ですし、
更には、自分の感覚を
客観的に感じ取る力もいるなあ…と。
*
感覚を表現するための手法の習得や、
基本の技術の向上、
不必要な感覚を混ぜないための集中力や判断力、
「作る」ひとつとっても、
足りないものは沢山あって、
(経営的に考えることは更に山盛りです)
力不足を痛感する今日この頃です。
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