2012/02/13

うれしいこと、かなしいこと















うれしいことと、
かなしいことと、

いっぺんにやってくると、
どうしたものかと思います。

とてもうれしくて、
とてもかなしくて、

出来れば順番にそうっと来て、と思います。



言葉って、人を殺せる。
そう感じたのは小学生の頃でした。

だからとても気をつけて
書いてもしゃべってもいるのですが、

それでも
色んな感じ方があって、

色んな解釈があって、

もちろん
文字も含めて

表現は、
読み手に委ねるものなので、

解釈は自由であって構わないのですが、

時々、
ああ…、と思います。

特に文字は。



大好き!

も、

大嫌い!

も、

すごく愛しているように言うことも出来るし、
本当に嫌々言うことも出来る。

どっちの言葉も、
文字の意味に逆らうことが出来る。

伝わるのは、言葉にのって、伝わってくる感情。

人は、ロジックより、エモーションに反応しやすい。
そんな気がしています。



音がないって、
表情がないって、

大変だなあ…って思います。



そして、


言葉は、背景によって、違う意味を持つ。


立ち居地と目線を
揃えることが大事なんだろうなって、

すごく思います。



愛と想像力を駆使しても、
解らない時ってあります。

そして想像は想像でしかないので、
やっぱり事実ではないからなあ…と。

色んな考え方の人に相談をして、
想像を手伝ってもらうわけなのですが、

結局どれなのかは、判らない。

それでは何も解らない。

そういう時は
直接質問をするのですが、

答えてもらえたり、もらえなかったりします。

答えてもらえることもあって、

その時は、
本当にありがたく思います。




相手の立ち居地が判ると、

初めて起こりうる感情と
それに付随する思考の流れが想像できて、

ああ…と思います。


いつも至らないことばかり、
と思います。

立ち居地が違うことが判れば、
それはすれ違うことも理解出来るので、

ああ…と思います。



自分の考えていることだけが正しい!と

もし思えるなら、
きっと楽かなあと思います。

わたしの周囲には、
とてもバリエーション豊かな人達が揃っていて、

考え方も様々です。

その目線から見える世界を教えてもらうと、
世界の見え方が本当に変わるから不思議です。

そうやって怒っていたのか、とか
そうやって許していたのか、とか。

本当に感動的です。



自分の考えていることも、
やらせていただいていることも、

それが自分にとって出来る精一杯のことだから、
そうするだけ。

「わたしにはこれが正しい」と言うのは、
相手を知りたいから言うことなのですよね。

それは決して争うためのことではなくて、
理解したいがためのことだったりします。

勇気を持って伝えると、

色んな反応があって、

その反応から、
また一歩相手を理解出来る。

ああ、そこから観ていたら、
わたしは酷い人に見えるだろうな、と解る。

そういう見え方があったのか、と知る。

それは仕方のないことですが、
やっぱり毎回ショックではありますよね。

落ち込みますよね。



わたしはお仕事柄もあって、

毎日
お気持ちの綴られたメールを拝読しています。

言葉は同じでも、
表現されていることは本当に違うなあと感じます。

沢山の人とも会って、
時には深い、色んなお話を伺っています。

色んな正しさがあって、
どれにも共感の要素があります。

色んな腹の立て方や、悲しみ方、喜び方があって、
人ってものすごく豊かだなあと感じます。



手持ちの札の色を臆せず相手に見せることは、

きっと、

ぶつかることなのだと思います。
嫌われることでもあるのかもしれません。

一方で、
共感を呼ぶことなのだと思います。
好きになってもらうことでもあるのかもしれません。



すごく突き詰めていくと、

結局のところ、
自分自身では選べないことなんだなと思います。

さらけ出して、

選んでいただくしかないのだな…
と思います。



以前、
悪名高い掲示板で

ものすごく叩かれていた知人や、
尊敬する方が居ました。

それはもう一瞬にして引いてしまうような酷さでした。

これを観てしまった時のご本人のお気持ちや、
きっと親切心でこれを伝えてしまう人がいること。

それを無視するために必要な心の強さ。
それでも自分の正しさ(信念)を貫いていくことの大変さ。

色々なことを想像しました。

そして、深く傷つきました。



わたしはその時に決めたのですよね。

もう見ないことにしよう。



そして、もうひとつ決めたのですよね。

わたしにはその人への尊敬がある。
本当にすごいと思っている。

わたしが思っているのだから、

だから
発言しよう。

どれだけ素晴らしいと思っているか素直に表現しよう。

わたしは、素晴らしさを語ろう。その感動を語ろう。

わたしだって、
その人の全てを知っているわけじゃない。

知っているのはきっと、
小指の爪の先くらいのことだろうと。

直接何か言われたら
傷つくことも打ちのめされることもきっとある筈だろうと。

これは…、と思うことだって時にはあるし、

でもそれは、
親にだって誰に対しても思うことであって、

その人が特別に何かというわけではないのです。

知人に至っては

わたしもちょっとそれはどうかなと思うことを言われたことも
実際にありました。

でも、その人も自分の中の正しさを精一杯表現していて、
し続けていて。

その勇気は、
どこからやってくるのだろうと思うのです。

わたしにその勇気があるだろうかと思うのです。



わたしは2人とも好きだなと。

この、好きだな、というのが
わたしの正しさなんだなと。



それから、思います。

ああ…、という
感覚の背景にあるのは、

「わたしもそうだった」という気持ち。

逆の立場の時に、わたしもそうだった。そんなことがあった。

だから、
解る気がする(断言するのは失礼な気がしています)、ということ。



いつだって上手く言えないのだけれど、

わたしは結構本気で、
みんなのことが好きなのです。



おやすみなさい。
明日も素敵な1日をお過ごしくださいね。


0 件のコメント: