2012/02/13
うれしいこと、かなしいこと
うれしいことと、
かなしいことと、
いっぺんにやってくると、
どうしたものかと思います。
とてもうれしくて、
とてもかなしくて、
出来れば順番にそうっと来て、と思います。
*
言葉って、人を殺せる。
そう感じたのは小学生の頃でした。
だからとても気をつけて
書いてもしゃべってもいるのですが、
それでも
色んな感じ方があって、
色んな解釈があって、
もちろん
文字も含めて
表現は、
読み手に委ねるものなので、
解釈は自由であって構わないのですが、
時々、
ああ…、と思います。
特に文字は。
*
大好き!
も、
大嫌い!
も、
すごく愛しているように言うことも出来るし、
本当に嫌々言うことも出来る。
どっちの言葉も、
文字の意味に逆らうことが出来る。
伝わるのは、言葉にのって、伝わってくる感情。
人は、ロジックより、エモーションに反応しやすい。
そんな気がしています。
*
音がないって、
表情がないって、
大変だなあ…って思います。
*
そして、
言葉は、背景によって、違う意味を持つ。
立ち居地と目線を
揃えることが大事なんだろうなって、
すごく思います。
*
愛と想像力を駆使しても、
解らない時ってあります。
そして想像は想像でしかないので、
やっぱり事実ではないからなあ…と。
色んな考え方の人に相談をして、
想像を手伝ってもらうわけなのですが、
結局どれなのかは、判らない。
それでは何も解らない。
そういう時は
直接質問をするのですが、
答えてもらえたり、もらえなかったりします。
答えてもらえることもあって、
その時は、
本当にありがたく思います。
*
相手の立ち居地が判ると、
初めて起こりうる感情と
それに付随する思考の流れが想像できて、
ああ…と思います。
いつも至らないことばかり、
と思います。
立ち居地が違うことが判れば、
それはすれ違うことも理解出来るので、
ああ…と思います。
*
自分の考えていることだけが正しい!と
もし思えるなら、
きっと楽かなあと思います。
わたしの周囲には、
とてもバリエーション豊かな人達が揃っていて、
考え方も様々です。
その目線から見える世界を教えてもらうと、
世界の見え方が本当に変わるから不思議です。
そうやって怒っていたのか、とか
そうやって許していたのか、とか。
本当に感動的です。
*
自分の考えていることも、
やらせていただいていることも、
それが自分にとって出来る精一杯のことだから、
そうするだけ。
「わたしにはこれが正しい」と言うのは、
相手を知りたいから言うことなのですよね。
それは決して争うためのことではなくて、
理解したいがためのことだったりします。
勇気を持って伝えると、
色んな反応があって、
その反応から、
また一歩相手を理解出来る。
ああ、そこから観ていたら、
わたしは酷い人に見えるだろうな、と解る。
そういう見え方があったのか、と知る。
それは仕方のないことですが、
やっぱり毎回ショックではありますよね。
落ち込みますよね。
*
わたしはお仕事柄もあって、
毎日
お気持ちの綴られたメールを拝読しています。
言葉は同じでも、
表現されていることは本当に違うなあと感じます。
沢山の人とも会って、
時には深い、色んなお話を伺っています。
色んな正しさがあって、
どれにも共感の要素があります。
色んな腹の立て方や、悲しみ方、喜び方があって、
人ってものすごく豊かだなあと感じます。
*
手持ちの札の色を臆せず相手に見せることは、
きっと、
ぶつかることなのだと思います。
嫌われることでもあるのかもしれません。
一方で、
共感を呼ぶことなのだと思います。
好きになってもらうことでもあるのかもしれません。
*
すごく突き詰めていくと、
結局のところ、
自分自身では選べないことなんだなと思います。
さらけ出して、
選んでいただくしかないのだな…
と思います。
*
以前、
悪名高い掲示板で
ものすごく叩かれていた知人や、
尊敬する方が居ました。
それはもう一瞬にして引いてしまうような酷さでした。
これを観てしまった時のご本人のお気持ちや、
きっと親切心でこれを伝えてしまう人がいること。
それを無視するために必要な心の強さ。
それでも自分の正しさ(信念)を貫いていくことの大変さ。
色々なことを想像しました。
そして、深く傷つきました。
*
わたしはその時に決めたのですよね。
もう見ないことにしよう。
*
そして、もうひとつ決めたのですよね。
わたしにはその人への尊敬がある。
本当にすごいと思っている。
わたしが思っているのだから、
だから
発言しよう。
どれだけ素晴らしいと思っているか素直に表現しよう。
わたしは、素晴らしさを語ろう。その感動を語ろう。
わたしだって、
その人の全てを知っているわけじゃない。
知っているのはきっと、
小指の爪の先くらいのことだろうと。
直接何か言われたら
傷つくことも打ちのめされることもきっとある筈だろうと。
これは…、と思うことだって時にはあるし、
でもそれは、
親にだって誰に対しても思うことであって、
その人が特別に何かというわけではないのです。
知人に至っては
わたしもちょっとそれはどうかなと思うことを言われたことも
実際にありました。
でも、その人も自分の中の正しさを精一杯表現していて、
し続けていて。
その勇気は、
どこからやってくるのだろうと思うのです。
わたしにその勇気があるだろうかと思うのです。
*
わたしは2人とも好きだなと。
この、好きだな、というのが
わたしの正しさなんだなと。
*
それから、思います。
ああ…、という
感覚の背景にあるのは、
「わたしもそうだった」という気持ち。
逆の立場の時に、わたしもそうだった。そんなことがあった。
だから、
解る気がする(断言するのは失礼な気がしています)、ということ。
*
いつだって上手く言えないのだけれど、
わたしは結構本気で、
みんなのことが好きなのです。
*
おやすみなさい。
明日も素敵な1日をお過ごしくださいね。
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