2014/08/01
死にたいのもアリだからこそ
死にたいと思う時に。
死んでも良いと思うことにしたのです。
*
そうしていつも思い出すのは、
10年前のこと。
「君は死にたいんじゃなくて
生きていたのでしょう?」
という故・島悟先生の言葉です。
*
そう。
先生は鋭かった。
死にたい。と思う時。
それは同時に、
生きていたい。
ということなのかも知れないのです。
*
幼くして命の灯火を失った
同級生を想い、
その分も生きる、と決意した
小学生のわたしの、
自らに与えてしまった
プレッシャーに耐えきれなくなったのか。
死んでしまいたい。
消えてなくなりたい。
何も感じなくなってしまいたい。
空気みたいになってしまいたい。
それはもう、
中学生の頃に
毎日毎日考えていたことで。
痛いのも苦しいのも大嫌いだったので、
どうやったそういう思いなく死ねるのか、
色んなものを調べて、
頭の中で繰り返し死んでいたし、
透明になってしまいたかったことを
思い出します。
*
わたしは、
自分の心の中に
否定形がやって来たとき。
「本当に?」と
問いかけることにしています。
*
「死んだらダメ(=否定形)だ!」
と思考がやって来た時。
「本当に?」
と問いかけたことがあります。
5月か6月だったと思います。
*
そして応え直したのです。
「死んでも良いとしたらどう?」
今すぐ
本当に死んでしまいたい?
それとも
生きていたい?
そうやって1度
否定を取り払って、
改めて選択肢として並べると。
その時にわたしは初めて冷静になって、
深い呼吸を取り戻しました。
*
死にたいだけじゃない。
生きていたいこともある。
だとしたら、
まだだ。
今じゃないんだ。
ということ。
*
死んでもいいんだ。
と思えるからこそ。
ちゃんと生きていられることもあるなあと。
そうやって
思考を自由に出来ると。
持ちこたえることが出来るんだなあと。
国内のみならず、
世界を見渡すと
涙の出るようなことは沢山あって。
生死を
自分で選べるなんて…
とても幸せなことだと思いつつ。
*
そういう感じで。
また命を長らえるんだよなって。
思います。
*
過去の恐怖感は、
今も記憶としてわたしを脅かすけれど。
それは記憶であって、
現実とは違う。
現実は、
以前より深い呼吸とリラックスがある。
そういう現実感にしっかり
気持ちを合わせていたら。
多分大丈夫。
きっと越えられる。
*
ただ。
わたしは身体記憶については
門外漢なので、
経験的な上書き以外に、
方法論があるのかどうか。
少し疑問だったりします。
ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿