2014/08/14

否定という名の愛を受けとりたいか?




















否定を何故するか?

もちろん
キライだからというのもあるけれど、

多くは
「もっと、こうした方がいいよ」ということが

コンテクストに入っています。

この話題。

言い方を間違えると
すぐ喧嘩になりますよね(笑)。

 *

否定の出所…

結局のところ、それは

愛ゆえです。

 *

ところが、
これが行き過ぎると、

「否定されていること=愛」

というフォーマットが
心の深いところに出来てしまって

逆の「肯定されていること=愛」という側面を
認知し難くなってしまう。

「いいね!」ではなく

「ダメなんじゃないの?」ばかりを
受けとろうとしてしまいます。

 *

肯定されるよりも、
否定される方が心に残ったり。

自分を好きだと言ってくれる人よりも、
ダメと言ってくれる人を大事にしたくなったり。

そういう経験は、
多かれ少なかれあるんじゃないかな?

と思います。

 *

それ自体が
避けるべき悪いことかと言うと?

そんなこともありません。

何しろ、

向上心のつよい人は、
案外陥りやすいパターンかもなあ…と

思ったりもします。

ダメだと言われることを
出来るようになって行くと、

大概は能力が上がって行くものです。

それは当人の力をつけて行く
1つのキッカケでもありますよね。

そう。

だから、
一概に悪いことでもないのです。

 *

詳しい説明は省きますが、

肯定も否定も、
出所は愛です。

愛なんたるかは、
これまた認知が偏っていることが多いけれど、

ここでは説明を省きます。

 *

愛なんだからいいじゃん!
というのも解るけれど。

心の健康をキープしたいなら、

自分を肯定してくれる人を、
なるべく周囲に置けた方がいいかなあ…?

というのはあります。

全部というのはおそらく
社会生活を営む以上不可能なので、

なるべく生活周辺には、
いいね!を固めておきたい。

あくまで希望として、位でいいと思います(笑)。

 *

「否定的な愛」を自分に向けている人は、
否定的な愛を引き起こしやすいです。

自分をダメだと言ってくれる人で
周囲を固めやすい。

無意識に
そう選んでしまうのです。

 *

誰だって、

自分に対する否定の
ひとつやふたつはあるのだけれど、

このケースの場合、

「相手自身の否定」も被ってしまう人が多いです。

大事な相手だからこそ、
自分が変わればいいと思ってしまう。

自分のせいだと思ってしまう。

厳密に言うと、
その側面も実はあるのだけど、

100%自分のせいというのは、
起り難いということを忘れがちなのです。

 *

だから、

「それはあなたの問題だよね?」と
相手に押し戻すことも難しくなります。

自分にも何か
相手から観たら問題はあるだろう

という「視点は大切」なのだけれど、

あなたの問題だよね、
そこはこっちからは手が出し難いよ、

もし必要なら言ってくれたら
出来ることもあるかも知れないけれど、

という視点も同じ位大切です。

そこを
まるっと引き受けてしまうと、

相手は、自分の言動が
どう相手に影響するかを正確には気がつけないし、

解り合うのが難しいままに、
否定の連鎖が出来ていってしまう訳です。

それは、

本当にお互いのためになるのかな?
どうかな?

と思います。

 *

否定という名の
愛を受けとらずにいるには。

自分と
大事な人を隔てるための

「距離感」が大事なのだと思います。

「そういうの傷つくよ」
「そういうの嫌なんだけど」

そうやって言葉にして返せる距離感。

「止めて!」とかではなくて
「こうして!」とかではなくて、

自分の素直な気持ちを伝えられる距離感。

多分これが、
1番難しいのだけれど。

 *

ボーダーライン。
それはブルートパーズみたいなエネルギーです。


ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか

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