2014/08/11
恐怖感の克服
意識的なブロックを
どんどん解放していくと、
気がつくと思うのです。
もしくは、
身体的なブロックを
どんどん解放していくと、
やっぱり同じ事に気がつくと思うのです。
意識だけをやっていても、
身体だけをやっていても、
行き着くのは、
乗り越えるのは、
どうやら難しいということに。
*
両方が仲良く
手をつなげるようにするには、
そうやって
どっちかがどっちかに
おんぶに抱っこじゃなくて、
両方が自立して
手を取り合って?行くには、
両方ともが
ニコニコしている必要があるかも?
ということに。
気がつくと思うのです。
*
今わたしが手こずっているのは、
身体的な恐怖感です。
理屈じゃなく、
怖いのです。
朝晩の震え。
過去の体験から来る怖さが
認識する限りは全部です。
*
どうしたらいいのかしらねえ?
とルームメイトに言われて、
その数度の問いかけに、
答えが出せない自分に
イラッとしたりもしつつ。
どうしたらいいんだろう…。
本当に怖くて
動けなくなることが多過ぎる。
というところにいます。
*
甘えでしょ?!
と一括してしまえばそれはそれなのだけど。
そうやって
抑え込んでやり込んで来て。
もちろんやったので、
そこそこの結果は出せたのですが、
でも、
その結果の「病気」だったと思います。
だとしたら、
やっぱりこれは
やり方として継続するよりも、
方法を変えていくのが
ヘルシーなのではないか?と
思うのは
自然の流れかなと。
*
恐怖を感じた時に、
思い出される象徴的なシーンには、
必ず男性が居ます。
父親。
学校の先生達。
予備校のチューターさん。
見知らぬ人。
初めておつき合いした人。
XBF。
*
XBFに至っては、
あの日、
朝起きたら
彼がわたしの首を絞めていて。
ああ、そう。
この人にはこれも愛なのか、という感覚と。
まあ、それなら死んでもいいかなという
無機質な感覚と。
その日は
窓からの光が白くて、
確かシーツも白くて。
頭上には観葉植物のグリーンと。
首に手の感触。
情景は余りにも静かで、
記憶に音はありません。
ちょっとしたドラマのワンシーンです。
*
そして記憶にはあがっていても、
まだ直視の難しいことが
いくつか。
*
数年前にXBFについては
ある場所で見かけ。
その時は恐怖感で、
逆にその場をすぐに立ち去れなかった位。
本当に怖かったです。
*
身近な男性から
「出来ないさやか」を望まれて来たこと。
時に「誰でもいい」扱いを受けたこと。
それらを必死に押しのけて来たこと。
*
病気によって
本当にどうにも出来なくなった時の恐怖感と、
でも
出来なくなった時に、
優しく助けてもらった記憶と。
出来るようになったら
助けてもらえなくなるのではないか?
という恐怖感と。
心の動きはシンプルだけれども、
現実の中では
これが不可解な状況を生み出します。
*
「出来るさやか」に対する嫉妬も、
恐怖感として残っています。
配属部署での精神的な孤立感。
毎朝フロアが
青く冷えきって観えていたこと。
後に当時よく組んで結果を出していた
営業担当のKちゃんから
「さーやと組むのは楽しかった」と
聴いた時に感じた
部署での温度感との強烈な違和感。
*
どちらにも動くことが難しい、
変な立ち位置です。
出来た時の恐怖と。
出来なかった時の恐怖と。
出来ない方がまだ、ましだった。
だって、
助けてもらったよね。
助けてもらいやすかったよね。
という感じてしまう…。
最悪の精神状態です。
*
いずれにしても、
全部過去の「記憶」なのに。
それに対する身体の反応は、
「今起っている」という不思議。
当時は、震えなんてなかったのに!
多分、
押し殺していたのだろうとは思いつつ。
*
身体にも、
「記憶」と「今」は違うという
明らかな変化を与えること。
もう得意とする
意識からのアプローチだけでは
どうにもならないから。
だから。
フラメンコを
習い始めているのだろうな、と(笑)。
そういうことは思います。
身体は想像以上に
変化を「目に見せてくれる」ので、
「記憶の自分と、今は違う」
という立証になる。
それは
ひとつの越え方かも知れないと思います。
*
大学生時代そのつよさに憧れた
MADONNA は、
どんなツアー先でも
必ず自らに課した
ワークアウトを欠かさなかったそうです。
そうしていれば、
最悪な気持ちの日にも、
「これだけは今日もやった」から
「だから最悪ではないのだと思える」
と言ったような話だったと
記憶しています。
ルーチンで積上げるつよさって、
ここだろうなと思います。
*
どんな人も、
努力してその在り方をキープしている。
それは、
今のわたしにとっては
安心感というよりはプレッシャーです。
*
何かを誰かに、
出来ていても
出来なくても、
居ていいんだよ。
そこはクリアしました。
本当にそうだと思います。
*
出来ても、
出来なくても、
助けてもらうことは出来るんだよ?
認識は出来るけれど、
理解が及んでいないことです。
経験がありません。
怖い。
出来ても出来なくても、
助けてもらえないというところから、
悲惨な程
出来ないなら助けてもらえる、
ということは経験しました。
知っているのは、
記憶によって繰り返されるのは、
青い凍ったみたいな世界です。
*
スタッフのくれたお手紙や、
ルームメイトの言葉。
がんばって。
という文字を読み返して。
違って来てる最近の出来事を、
一生懸命観ています。
*
わたしは怖さを誤摩化すのは難しい。
怖いけれど、
怖いままの今は嫌です。
その先に行きたい。
だから。
がんばるんですよね。
ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか
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