2014/08/02
感性
感性豊かな人ね。
というようなことを言われる時。
同じ言葉は、
肯定的にも
否定的にも使われるんだよなあ…
ということを改めて思います。
*
死にたい気持ちが
勢い良く浮上して来ていたのですが、
どうしてなんだろうなあ…と思っていたら。
今朝、
ちゃんと答えに行き着きました。
*
わたしは、昔。
自分が気持ち良く楽しんで描いていた
絵を父に見せた時、
「そんなぼやぼやした色!」
と言われたことがあります。
(本人はいつも通りきっと
そんなこと言ってない!と
激しく怒ることでしょう・笑)
*
わたしはそれ以降、
その淡い色彩で描くことが
難しくなってしまいました。
それは…
「人のせいにしている」
ということとは違ってね(笑)、
わたし自身の
心の基軸の弱さを意味しています。
良くも悪くも、
影響を強く受けやすいのです(笑)。
だから、
それを知ってからは、
その自分の
気持ちを守るために、
時に頑になったり
急激に退ける必要が出てくることがあります。
*
8/1の深夜。
お友達のお誕生日のことを
ふと思い出していたら、
心から溢れてくるように
作りたいものが出て来て!
鏡を観たら、
左目の緊張が解けていて
(わたしは顔の左に緊張が出やすいです)、
ああ!これだ!
こういう自由に溢れてくる感じ!
これがわたしの元々の作る感じだ!
とうれしくてうれしくて!
ニコニコしてしまいました。
*
ところがその後。
眠れなかったのです。
うれしくて、ではなくて。
怖くて
震えが出て、でした。
*
わたしは
思考を自由にするために、
いつでも
主題を説明が出来るように、
それらを言語化しておくための癖…
肯定形には、否定形を。
否定形には、肯定形を与える
という
習慣があります。
*
その子ども時代のような、
自由な発想を呼び起こせた後。
わたしはお布団へ
うれしい気持ちで潜り込み、
ふわっと抱きしめられるような
感覚を得ました。
そう、このふわっとした感じ。
大丈夫だという感じ。
それでいいという感じ。
なんて幸せなんだろう!
と思った時…
当然習慣的に。
わたしの頭の中には、
「それはただの空想でしょ?」といった
ツッコミが入ったのです。
それは恐らく。
わたしの目に見えないものを感じる感性を
「聖人」として扱う人達と
「病人」として扱う人達との
両方を強烈に体験したことの
混乱から来るもので。
そのツッコミに対する
確固たる解答が見出だせなくて、
それが恐怖を引き起こしました。
*
自分の感じることを
否定するの?
その時、あなたは
ちゃんと1本の線を引けるの?
その時、あなたは
色を選べるの?
本当にそれでいいの?
*
思い出したのです。
そのぼやぼやした色彩によって
描かれようとしている、
その絵を、
それ以降描かなくなった時の、
その強烈な否定感を。
*
わたしにとって、
色彩を奪われるのは、
心の感じ方を否定されることと同じです。
感じるものが
色彩に反映されるので、
使う色彩が否定されることは、
わたしにとっては
心の感じ方を否定されることに
とても似ています。
*
そう。
感じ方を否定される経験も
当然あります。
でも、父の昔いった
「ぼやぼやした」
そう感じる感性があるからこそ、
わたしは今恐らくその微妙な色合わせで
独自のものを作れているし。
みんなには色がないように
見えるようなものでも、
わたしにはすごく色があって。
そしてまた、
父のいった
「ハッキリとした」色彩を
何とか使いこなそうとしたからこそ、
幅も広がっていて。
だとしたら、
それって辛かったことだけど、
豊かさを増しただけともいえるよね?
と。
*
作品を観て、それを
素敵だと言ってくれる人が居るなら、
それはわたしの深いところが
肯定されているようなもので。
そして、
わたしは自分の選択のひとつひとつ
全てが表現だと思っているし、
それは全くもって
同じ所から出てくるものなので。
だから。
外側の評価で、
「好き」だったり
「嫌い」だったり
切り刻まれてバラバラになっている
わたしを、
繋ぎ合わせたかったのです。
*
ああ、あの時に。
わたしは大切なものを
1度捨てたんだ。
そして今。
もう1度拾い直したんだ。
と。
*
会社でも
同じ事をやったよね?
と。
あんまりにも否定されるので、
そして理由が全く解らなかったので、
じゃあ、言う通りにします、と
ある日決めて。
やってみたら結果、
社内の心療内科行きになってしまって。
ああ、これは
選択が何か間違っているんだなと。
それを回復するのに
かけた時間分位はちゃんとかかってしまって。
それもまた
セオリー通りなのだなと。
*
言われた通りに
本当に現実的にちゃんと
色々やってみたんだけれど。
やっぱり全部おかしかった。
良くならなかった。
何がおかしいのか
誰も教えてくれなかった。
混乱したままだった。
だから、今、
自分のやっていることがあるんだ
とも思います。
*
自分の感じることを
否定するの?
自分で、
自分の感じたことを、
否定してしまうの?
答えは、NO でいい筈です。
*
わたしには特別なことだった。
わたしには愛と同じだった。
わたしには楽しいことだった。
わたしには美しいものだった。
わたしには、
わたしには。
その主体の感じるものを
大切に大切に出来るから。
作れる。
やっと生きていける感じがします。
ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか
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