2011/03/27

改めて考えること
















クリスタルがあることで
大丈夫になることはある。

でも、

クリスタルがあるから、
大丈夫なわけじゃない。

わたしは、ずっとそう思っています。

 *

その傍らで、
クリスタルがあったから大丈夫だったのでは?

と思うこともあります。

交通事故をした時に、
ローズクォーツのブレスレットが濁ってしまったことと、

エアバックが開き、
クルマが全損だったのに、

わたしはあまりにも軽症で、
2匹のフェレットも無傷だったことに

関連性が全くない
とは言い切れない感覚があります。

 *

その体験と実感を持っていても、

クリスタルを持っているからといって、
大丈夫なわけではない。

と、やっぱり思っています。

 *

その一方で、

科学的根拠のあることだけが、
現実だ、

というのも

極論過ぎて、
どうかなあと思っています。

科学的根拠の側面からは理解し得ない
奇跡的な出来事は、

奇跡とは言えないほど
世の中に沢山あります。

その側面を無視することは、
現実的だと言い切れない気がするからです。

 *

証明できることばかりではない。
それが現実だ、ということ。

そういう意味で、

現実的であることが、
とても大切な視点だと感じていたりします。

 *

説明が出来ないことなんて
山のようにあります。

祖母が危篤になった時、

家のコピー機でお母さん向けの
お手紙をコピーしていたら

何度やっても「お母さんへ」の部分しか
コピーされなかったこと。

祖母が亡くなった時、
父の寝室にあった時計が止まったこと。

北海道で祖母が亡くなったその数分後に、
背中が急に軽くなったこと。

祖父が亡くなる数日前に、
やたら祖父と最後に会った日のことを思い出したこと。

腸閉塞を起こしペットが危篤になった時、
お風呂に入っていたわたしの身体にも激痛が走ったこと。

今回の地震の日も、

今日は寄り道しないで帰ろう!
と意識して帰宅していたこと。

緊張できつくなった心身の感覚を
クリアクォーツに流し込むイメージをしたら、

胃腸が急に
音を立てて動き出したこともあります。

探し物がある時に、
ピンと来たところへ行くと必ず見つかることも、

理由が判らないかも知れません。

 *

そんなわたしにとって
クリスタルが特別な理由は、

ファンタジーを運んでくれるものであると同時に、

想いが届きやすかったから
想いが受け取りやすかったから

なのではないかなと思ったりします。

 *

ペットが病気になった時、
お友達が贈ってくれたクリスタル。

気持ちの塊のように感じて、
とてもありがたかったのを覚えています。

太陽の下で驚くほど輝くルチルクォーツに
明るい何かを感じて手離せなくなったこともあります。

当時のBF の心臓が止まった経緯で
尋常なくしんどかった時、

見知らぬ人であった
クリスタルショップのオーナーさんから届いた

注文以上に沢山のクリスタルに、

届いた時に感じた
サポートの感覚や、

それを抱きしめて
号泣出来たことのありがたさ。

想いが、カタチになって
触れられる手ごたえのあるものになっていることに

とても救われたのを思い出したりもするのです。

 *

そして受け取ってもらう時も。

他の物を選ぶと、
好みが違ったりすることで

プレゼントも

受け取ってもらえなかった感を得ることも
たまにあるのだけど、

(リサーチ不足だという話ですが・笑)

クリスタルだと、

気持ちが素直に届く感じのすることが
圧倒的に多いこと。

ほかのカタチをしていない、

ただのクリスタルだから、
シンプルに伝わる感覚。

それが素直にうれしいというのは、
あるのですよね。

 *

年末に受けた
MINA ちゃんのセッションで、

さやちゃんには天使もいるし、
やろうと思ったら出来る。

と言われたのをやたらと思い出します。

天使というのは彼女なりの言い方で、

わたしの言語に置き換えると、
インスピレーションのこと。

彼女は続けました。

でもそこまでやらなくていいんだよ。

出来ることで、へ~!そんなことも出来るんだ、すごいね、
ということになる人もいるかも知れないけれど、

別に相手はそこまで求めてないかも知れない。

そんな大変なことをしなくてもいい。
もっと楽にやっていい。

ぴったりのクリスタルじゃないなと思っても、
目を瞑って、

ああ、それがいいのね、と
そこに合わせて組む位でもいい、

みたいな話をしてくれていたのです。

その時は、

でも今まで通りやりたいという軽い反発と

確かにそれも判るし
そこにも可能性がある、

という気持ちが
ごった煮になりました(笑)。

今になって、
改めて考えさせられるやりとりです。

 *

クリスタルを見ると、

モノとしてだけじゃなく、
人柄のようなものを感じます。

それは、

親しいお友達のように
働きかけてくれるものに感じます。

それは、

自分がちゃんと知っていて、
扱えばいいだけのことかもしれないし、

言わなくても伝わる人には伝わることにも思います。

心を支えるクリスタルは、
Holly heal を通して届けたいものだけれど、

何だか偉そうなこと過ぎるのかな…と
思ったりもします。

 *

話が少し逸れます。

不安や恐怖が
人をコントロールする力というのは甚大で、

そういうことのために、
クリスタルを使う方もいらっしゃるのは事実です。

よく言われる例えだと、
「壷を売る」みたいなことかも知れません。

人の心の動きにある程度精通していれば、
実に簡単に出来ることのように思います。

高く売れるとも思います。

でも。

絶対にしたくないことです。

弱みにつけ込むようなことも
したくないです。

 *

今、とっても悩んでいるので、
ごちゃごちゃした内容になって、

あまりにも、
日記のようになってしまいました。

もしかしてわたし、

本当に独りよがりにモノづくりしてるのかな、
という気持ちにもなってしまって。

お客さまお1人お1人にお会いして、
お話を伺いたいような気持ちです。

 *

いただいたオーダーは、
本当に大切にお作りしています。

お選びするところから、

本当に、その方を思って、
ひとつひとつやらせていただいています。

でもなんか、

ある視点から見たら、
実によく判らないことをやってるよな、

と思ってしまったり…。

こうやって想いを強くお作りすることは
余計なことなのではないかなと、

ふと思ってしまったり。

お客さまからいただいた
お手紙の束を見て、

こうやって理解してくださる方がいらっしゃるのも事実だよ!
と自分を励ましてみたり。

こんなこと書いちゃダメだよ!
と言われそう。

プロとしてダメだとも言われそう。

いつも平然として
穏やかに落ち着いていられないし、

ホント、しょーもない。
ホント、頼りない。

 *

Holly heal を受け取ってくださった
お客さまが大切過ぎています。

 *

全部消して、
穏やかな言葉だけを残そうかなとも思ったのですが、

意味を感じるので、
今日だけはこのままにしておきます。

こんなことを
読ませてしまってごめんなさい。

そして、最後まで読んでくださってありがとう。


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