クリスタルがあることで
大丈夫になることはある。
でも、
クリスタルがあるから、
大丈夫なわけじゃない。
わたしは、ずっとそう思っています。
*
その傍らで、
クリスタルがあったから大丈夫だったのでは?
と思うこともあります。
交通事故をした時に、
ローズクォーツのブレスレットが濁ってしまったことと、
エアバックが開き、
クルマが全損だったのに、
わたしはあまりにも軽症で、
2匹のフェレットも無傷だったことに
関連性が全くない
とは言い切れない感覚があります。
*
その体験と実感を持っていても、
クリスタルを持っているからといって、
大丈夫なわけではない。
と、やっぱり思っています。
*
その一方で、
科学的根拠のあることだけが、
現実だ、
というのも
極論過ぎて、
どうかなあと思っています。
科学的根拠の側面からは理解し得ない
奇跡的な出来事は、
奇跡とは言えないほど
世の中に沢山あります。
その側面を無視することは、
現実的だと言い切れない気がするからです。
*
証明できることばかりではない。
それが現実だ、ということ。
そういう意味で、
現実的であることが、
とても大切な視点だと感じていたりします。
*
説明が出来ないことなんて
山のようにあります。
祖母が危篤になった時、
家のコピー機でお母さん向けの
お手紙をコピーしていたら
何度やっても「お母さんへ」の部分しか
コピーされなかったこと。
祖母が亡くなった時、
父の寝室にあった時計が止まったこと。
北海道で祖母が亡くなったその数分後に、
背中が急に軽くなったこと。
祖父が亡くなる数日前に、
やたら祖父と最後に会った日のことを思い出したこと。
腸閉塞を起こしペットが危篤になった時、
お風呂に入っていたわたしの身体にも激痛が走ったこと。
今回の地震の日も、
今日は寄り道しないで帰ろう!
と意識して帰宅していたこと。
緊張できつくなった心身の感覚を
クリアクォーツに流し込むイメージをしたら、
胃腸が急に
音を立てて動き出したこともあります。
探し物がある時に、
ピンと来たところへ行くと必ず見つかることも、
理由が判らないかも知れません。
*
そんなわたしにとって
クリスタルが特別な理由は、
ファンタジーを運んでくれるものであると同時に、
想いが届きやすかったから
想いが受け取りやすかったから
なのではないかなと思ったりします。
*
ペットが病気になった時、
お友達が贈ってくれたクリスタル。
気持ちの塊のように感じて、
とてもありがたかったのを覚えています。
太陽の下で驚くほど輝くルチルクォーツに
明るい何かを感じて手離せなくなったこともあります。
当時のBF の心臓が止まった経緯で
尋常なくしんどかった時、
見知らぬ人であった
クリスタルショップのオーナーさんから届いた
注文以上に沢山のクリスタルに、
届いた時に感じた
サポートの感覚や、
それを抱きしめて
号泣出来たことのありがたさ。
想いが、カタチになって
触れられる手ごたえのあるものになっていることに
とても救われたのを思い出したりもするのです。
*
そして受け取ってもらう時も。
他の物を選ぶと、
好みが違ったりすることで
プレゼントも
受け取ってもらえなかった感を得ることも
たまにあるのだけど、
(リサーチ不足だという話ですが・笑)
クリスタルだと、
気持ちが素直に届く感じのすることが
圧倒的に多いこと。
ほかのカタチをしていない、
ただのクリスタルだから、
シンプルに伝わる感覚。
それが素直にうれしいというのは、
あるのですよね。
*
年末に受けた
MINA ちゃんのセッションで、
さやちゃんには天使もいるし、
やろうと思ったら出来る。
と言われたのをやたらと思い出します。
天使というのは彼女なりの言い方で、
わたしの言語に置き換えると、
インスピレーションのこと。
彼女は続けました。
でもそこまでやらなくていいんだよ。
出来ることで、へ~!そんなことも出来るんだ、すごいね、
ということになる人もいるかも知れないけれど、
別に相手はそこまで求めてないかも知れない。
そんな大変なことをしなくてもいい。
もっと楽にやっていい。
ぴったりのクリスタルじゃないなと思っても、
目を瞑って、
ああ、それがいいのね、と
そこに合わせて組む位でもいい、
みたいな話をしてくれていたのです。
その時は、
でも今まで通りやりたいという軽い反発と
確かにそれも判るし
そこにも可能性がある、
という気持ちが
ごった煮になりました(笑)。
今になって、
改めて考えさせられるやりとりです。
*
クリスタルを見ると、
モノとしてだけじゃなく、
人柄のようなものを感じます。
それは、
親しいお友達のように
働きかけてくれるものに感じます。
それは、
自分がちゃんと知っていて、
扱えばいいだけのことかもしれないし、
言わなくても伝わる人には伝わることにも思います。
心を支えるクリスタルは、
Holly heal を通して届けたいものだけれど、
何だか偉そうなこと過ぎるのかな…と
思ったりもします。
*
話が少し逸れます。
不安や恐怖が
人をコントロールする力というのは甚大で、
そういうことのために、
クリスタルを使う方もいらっしゃるのは事実です。
よく言われる例えだと、
「壷を売る」みたいなことかも知れません。
人の心の動きにある程度精通していれば、
実に簡単に出来ることのように思います。
高く売れるとも思います。
でも。
絶対にしたくないことです。
弱みにつけ込むようなことも
したくないです。
*
今、とっても悩んでいるので、
ごちゃごちゃした内容になって、
あまりにも、
日記のようになってしまいました。
もしかしてわたし、
本当に独りよがりにモノづくりしてるのかな、
という気持ちにもなってしまって。
お客さまお1人お1人にお会いして、
お話を伺いたいような気持ちです。
*
いただいたオーダーは、
本当に大切にお作りしています。
お選びするところから、
本当に、その方を思って、
ひとつひとつやらせていただいています。
でもなんか、
ある視点から見たら、
実によく判らないことをやってるよな、
と思ってしまったり…。
こうやって想いを強くお作りすることは
余計なことなのではないかなと、
ふと思ってしまったり。
お客さまからいただいた
お手紙の束を見て、
こうやって理解してくださる方がいらっしゃるのも事実だよ!
と自分を励ましてみたり。
こんなこと書いちゃダメだよ!
と言われそう。
プロとしてダメだとも言われそう。
いつも平然として
穏やかに落ち着いていられないし、
ホント、しょーもない。
ホント、頼りない。
*
Holly heal を受け取ってくださった
お客さまが大切過ぎています。
*
全部消して、
穏やかな言葉だけを残そうかなとも思ったのですが、
意味を感じるので、
今日だけはこのままにしておきます。
こんなことを
読ませてしまってごめんなさい。
そして、最後まで読んでくださってありがとう。
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